第十一話・滅却の怪獣〈オオガ〉
第十一話・滅却の怪獣〈オオガ〉
◯
満天の星の下、サクマの里は燃えていた。
里を包み込む紫色の炎の中には、巨大な鬼が立っている。
厳しい頭から伸びる二本の角。
ダラリと下げた両腕の肘には、天に向かって湾曲した大きな刃が付いている。
巨鬼・オオガの出現。
◯
数日前……
トワキとコガネは〈サクマの里〉を目指して歩いていた。
辺りに散らばる無数の岩で今にも埋もれてしまいそうな砂利道を、二人は牛車の
道すがら、コガネが空に向かって指を差す。
「何あれ?」
コガネの指先の遥か先、朝の青く澄みきった空を背景に、白い何かが浮いている。
「雲だろ」
「てきとう言わないでよく見て!」
コガネに促され、トワキは目を凝らした。
よく見ると、確かに雲ではない。
それは門のような形をしている。
「鳥居……か?」
羽のように広げた六つの突起。
離れていても伝わる大きさ。
白い鳥居は天を漂う。
「ありゃあ大昔に龍神を祀っていた物だ……ああ、きっとそうにちげえねえ」
男の声が左手の斜面から下りて来た。
トワキが見上げると、斜面から突き出た岩の上に声の主がいた。
「この辺りには雨雲が中々来ねーからな。龍は雨を降らすって聞いたことがある……だから」
「龍神を祀った物……?」
「そ! どうだお嬢さん見事な推察だろ!」
男は腰に手を当てて、得意げに胸を張る。
トワキにはそれが少し馬鹿っぽく見えた。
男の歳は顔からして三十位。
トワキ同様に長い髪の毛を後ろで束ねている。髪色はトワキとは異なり灰色だ。
「アンタ等旅人か? サクマの里はデカいが何もねーぞ。悪いことは言わん、別の里目指した方がいいぜ」
「あなたは、里の方ですか?」
コガネが尋ねた。
男は首を横に振った。
「いいや違う。俺も旅人だ」
旅人と言う割には男は身軽な格好をしている。見たところ連れもいない。
(刀はおろか、荷も持たずに旅か……)
トワキは少し訝しむ。
「じゃあ何で何もないと?」
コガネがまた尋ねた。
「勘!」
男はそう言うと岩を跳んで去っていった。
コガネが一言溢す。
「勘って……」
◯
「よっと!」
トワキは部屋で寝転んだ。
ここはコガネが里の者から聞き出した一番安い宿だ。
縦にも横にも木の板を張り付けた古い宿は強風が吹けば一瞬で倒れてしまいそうだった。
トワキ達が通された二階の間は狭く、歩く度に軋むような有様だったが、突上窓の板戸を持ち上げれば里の景色が望めた。
トワキは呟く。
「アイツの勘は外れたな」
今朝会った男はこの里を「何もねーぞ」と言っていた。しかし今、サクマの里は祭りで賑わっている。宿に向う道すがらには龍舞を見た。龍舞とは龍を模した造形物を複数の人間が操る舞だ。布で作られたの龍は、実際に生きているように身体をくねらせた。
その周りでは踊り子達が可憐に舞い、男達が威勢のいい掛け声を上げていた。
宿に着いて程なく、コガネは祭りを見にヤエを抱いて外に出て行ってしまった。
「龍神ねぇ……」
そう呟いたとき。
トワキは窓の外に人の気配を感じた。
咄嗟に刀を手に取る。
「よお!」
開け放った窓の外に〈あの男〉の顔がある。
「アンタ、ここは二階だぞ」
「乗ってくださいと言わんばかりに屋根がある!」
「ここの屋根板は大の男を乗っける程丈夫にはみえなかったが」
「だが俺は乗れている」
トワキは男を睨む。
「で、何の用だ?」
「下であの娘と会ったからな、ちょっと寄っただけさ」
「答えになってない」
「別に大した理由何てねーよ。何となくお前さんに興味があるだけさ」
「何で」
「だから何となくだって。お前さんは理由がなけりゃ、息もしねえし寝もしねえような人間かい?」
男の説明に納得はできなかったが、害意は感じなかった為、トワキはひとまず刀を置いた。
「里は祭りだ。何もないことはなかったな」
「だな……お前さんは見に行かないのかい?」
「うるさいのは嫌いだ」
トワキがそう答えると、男は無精髭を掻いてニヤリと笑う。
「俺も」
「嘘吐け」
トワキは鼻で笑った。
「その刀……人を斬ったことがあるのか?」
男が唐突に聞く。
トワキは思わず顔をしかめる。
男はトワキの答えを待たずに、顔の前で平手を振った。
「いやいや、いらん詮索だな」
「その心遣いができるならとっとと帰ってくれ。私は寝る」
トワキは先日の夜に関所破りをした為、寝れていなかった。
「寂しいねぇ。年寄りは孤独だぜ」
男は悲しそうにそう呟くと屋根から飛び降りた。
「どこが年寄りだ」
トワキはつい気になって突上窓の外を見る。
下では艶やかな格好の踊り子達が舞いを踊る。
そこに混じってあの男も踊る。
その
(まあ、悪い奴じゃないのだろうな……)
トワキは男を軽くあしらったことに、少し罪悪感を覚えた。
◯
日が傾く頃、トワキは目覚めた。
夕餉はコガネが買ってきたものを喰べた。
祭りで集まった人々を相手に一儲けしようとしているのだろう、外には沢山の物売り達がいたようだ。
トワキは蒸された芋を頬張っていると水が欲しくなった。しかし吸筒の中の水は既に切れている。
宿の主が「どうぞご自由に」と言って指差していた水瓶の中には、一滴の水も溜まっていない。
「やれやれ」
トワキは水を汲みに外へ出る。
宵の仄暗さの中、
祭りは続く、夜になっても。
龍が舞い、踊り子も舞う。
里中が賑わっている。
トワキは井戸の側からそれを見る。
その賑わいに、故郷──シトウの里の最後の夜を思い出して。
◯
翌日。祭りはまだ終わらない。
トワキはまた一人になった。
コガネに袖を引っ張られて外に出たものの、祭りの熱は肌に合わなかった。
「その熱狂の果てに何があるというのだ」
トワキが呟くと、その独り言に返事がきた。
「神の御加護だろ」
声の方を見ると、また〈あの男〉だ。
「人々は神を崇める。神は人々を救う。遥か昔から続いていることだ」
「生贄を差し出すんだろ。この祭りでも誰かが死んでるかもな」
「そうとも限らんよ。信仰を持った者の魂は神の世と繋がる。で、そいつがいつか老いや病でポックリ逝っちまう。そしたらその魂は神の世に流れる。魂を得た神様は御満悦さ。別にわざわざ生贄を用意する必要はない」
男は身振り手振り説明する。
「私が今まで見た神は喰い意地の張った奴ばかりだったがな」
トワキは苦い過去を思い出した。
男が髭を掻く。
「ほう、お前さん神を見たのか」
「どいつもこいつも醜い化け物だった。あんなものがいなければ、人はもっと……」
「幸せになれる? そいつはどうかな」
「分かってはいるさ、そんな簡単な話じゃないってことくらい。言ってみただけだ」
トワキ達の前で龍が舞う。
龍舞の数は増えていく。
渦を描いて進む龍達の中に、翼を持ったものがいる。
「ほう、〈飛龍〉の龍舞たぁ珍しいねぇ」
そう言うと、男は天を仰いだ。
「昔は空を見ればよく飛んでたんだが……世が荒んだせいか最近はめっきり見なくなったな」
「アンタ、まるで龍を見たことがあるような言い方をするな……龍が飛んでいたのは大昔のことだろ」
龍……
かつては
男の見上げる雲一つない空には、六枚羽の鳥居が浮いている。
「ああ、ずっと昔の記憶だ……いつ頃のことだったっけ」
トワキには男の横顔が急に老いてみえた。
「私の名はトワキ……アンタの名は?」
「お! 俺に興味が湧いたかい?」
男は笑う。
「別に、ただ名がないと──」
「シン」
男は喰い気味にそう名乗った。
「俺の名はシンだ」
◯
日が暮れた頃に、トワキの泊まる宿の外から声が聞こえてきた。例によってあの男──シンだ。
トワキは窓の板戸を持ち上げて下を見る。
「シンか。何の用だ?」
「トワキ、飯だ! 飯喰いに行こうぜ!」
「私はもう喰べた」
トワキがそう答えると、後ろからコガネが口を出す。
「いいじゃん、行ってくれば。トワキはもっと人と関わった方がいいよ。まだ喰べれるでしょ?」
振り向けばコガネとヤエが遊んでいる。
ヤエは前脚を上下に動かされ、珍妙な舞を踊らされている。
「しかし……」
トワキが渋っていると、シンが声を上げる。
「奢ってやるって言ってんだ! ホラ行くぞ!」
「そうだ行け行けー」
夜でも酒場は賑わっている。
トワキ達が暖簾を
闇の中、店のそこかしこで光る白の灯りはとても綺麗だ。
トワキはまるで星々が暮らす天上の世界に招かれたような気持ちになった。
「何の明かりだ?」
「
「よく知ってんのな」
「里の
コガネにせよこの男にせよ、見ず知らずの人間と関わることに、何の抵抗も感じないようだ。
「私がおかしいのか? 知らない人間に喋り掛ける気なんか、まるで起きないがな」
「今喋ってるだろ」
「アンタの方から関わってくるからだ」
暫くして、小さな七輪と串に刺された烏賊や魚の干物が運ばれてきた。
七輪の側面には墨書が書かれているが、トワキには
「炙って喰うと美味いらしいぜ。さあ、お前さんは若いんだからじゃんじゃん喰え」
シンの前には酒が出る。
「トワキも呑め」
「いい、酒はいらん。しかしアンタ、金があるような
シンの衣は
シンはトワキの言葉を受けて「フフン」と笑う。
「人を身なりで判断しちゃあ、いけねーよ」
シンはそう言うと、懐から小袋を取り出し、中身を食台の上にばら撒いた。
「何か臭いぞ」
トワキは思わず鼻を押さえる。
「失礼な! これは長い旅の中で集めたお宝だ。目が高い奴に売れば大層な金が手に入る。銭を持ち歩くより嵩張らないのもいいしな……どうだ? 美しいだろ?」
真珠、宝石、龍涎香……食台に散らばるシンの宝。
トワキはその中の一つ、内から虹色の光を放っている透明な石に魅きつけられた。
「綺麗だ……」
「こいつは〈無限結晶〉だ。トワキは特別にいいぜ、触っても」
トワキは石を手に取る。
「無限結晶?」
「大御神が作った石だ」
「大御神?」
「お前さん何も知らねーな」
シンは呆れた風に溜息を吐き、灰色の髪を掻き上げた。
「神代の時代……かつて、今よりも神と人とが近かった頃……荒ぶる神を鎮めた古き神──メギドガンデのことだ」
「メギドガンデ!」
トワキは思わず大声を上げた。
その声に驚いた人々の視線がこちらに集まる。
シンは苦笑いしながら、周りに何事もないことを身振りで伝えた。
「オイオイ、らしくねーな、どうした?」
「何でもない……メギドガンデ、どんな神だ?」
「さあな、俺はあまり詳しくない。王陵の國に行けば何か分かるかもしれんが……今は大分荒れていると聞く」
「そうか……」
「なぁお前さん、〈宇宙〉って言葉しってるかい?」
「うちゅー?」
シンがトワキの知らない言葉を出した。
「宇宙ってのは、つまり……時間と空間……人の世と神の世……そしてそれらの
「ふーん……意味分からんな」
トワキは石を返そうとしたが、シンはそれを制した。
「何かの縁だそいつはやるよ。さ! 喰え喰え!」
シンは酒を呑み、干物を喰らう。
「つまんねー話、いつからか、酔わなくなっちまったんだよな俺」
◯
二人は夜食を済ませ店から出る。
「トワキあばよ!」
「暗いから気を付けて歩けよ酔っ払い」
「だから酔わないんだって!」
シンは酒を浴びるほど呑んだが、顔を赤くすらしていない。
「シン、飯を奢ってくれてありがと。私は明日の朝に里を去る。ま、これで今生の別れってやつだな」
トワキは礼を言った。
シンは手を振る。
「何、縁があれば現世でもまた会えるさ」
トワキと別れ、シンは夜の闇を下駄を鳴らしながら歩いた。
シンは一人になると、急に寂しくなった。
祭りは終わった。
里は眠ったように静かだ。
『……シン』
どこからか、誰かに呼ばれた。
『……シン』
頭に鋭い痛みが走る。
シンは地面に膝を落とした。
「ぐっ、誰だ!」
『……シン』
「お前は……⁉︎」
声は自身の内から聞こえる。
『……シン!』
そして……
「ああ、お前か……」
男は思い出した。
自分は一人ではないと……
自分の中には別の存在がいることを……
「そうか……そうだったな……〈オオガ〉。お前腹を空かせていたんだったな」
シンの身体から魔界の黒煙が溢れて出てくる。
◯
コガネがいる。
その周りには幾つもの煌めく石──無限結晶が浮かんでいる。
トワキはそれが夢だとすぐに分かった。
なぜなら、目の前に立つコガネの背は現実よりも少し低く、顔も幼い。
「逃げ……早……」
夢のコガネは必死に何かを伝えようとしている。
「コガネを……連れて早く……逃げ……て! トワキ!」
そして──
トワキは鋭い痛みで夢から覚めた。
痛む手を広げて見ると、酒屋で男に貰った無限結晶が砕けていた。
手の平は血で濡れている。
「今の夢は一体……」
ただの夢ではない、トワキにはそれが明確に分かった。
トワキは眠っているコガネを叩き起こした。
「何ぃ……? 厠くらい一人で行ってよ」
「違う! 宿……いや、里を今すぐ発つぞ」
「何で⁉︎」
「夢で君がそう言ったからだ!」
そんな理由で納得してくれるはずがない──トワキはそう考えたが、意外にもコガネは素直に聞き入れた。
「はいはい、分かりましたよっと」
「君、私のこと信頼しすぎじゃないか?」
◯
トワキとコガネはサクマの里を出立した。
暗闇では岩の中の砂利道は分かりづらい。
それでも二人は闇を歩いた。
コガネが星に紛れて飛ぶ光を見つけた。
白く光るそれは
仲間から逸れて落ちてきた、優しく光る綿毛の一つを手に乗せ、トワキはシンのことを考える。
(もし、また会うことがあるのなら、今度は私が飯に誘おう)
──紫の炎がサクマの里を包み込むのは、それから暫くしてからだった。
夜空を照らす紫の炎。
突如として暗黒を塗り潰した紫色。トワキにはそれが何か分かる。
鬼の使う炎──紫炎だ。
「コガネ……そこで待っていろ」
トワキから黒煙が噴き出す。
煙の形が定まり、魔界の怪物の身体が作られる。
鋭い頭。
その左右から後方に伸びる二本の角。
尾が生え、骨の鎧が腕に付く。
トワキを核に現れる巨大な鬼──鬼神。
大木のような脚が地面の岩を突き砕く。
コガネをその場に残し、鬼神となったトワキはサクマの里を目指して走った。
(シン!)
トワキは男の身を案じる。
里に近づくと、炎の中に立つ絶望の根源の姿が見えた。
厳しい頭から伸びた二本の角。
ダラリと下げた両腕の肘には、天に向かって湾曲した大きな刃が付いている。
間違いない──鬼だ。
その金色の目がこちらを見ている。
『うおぉぉぉ!』
鬼神となったトワキは怒りの雄叫びを上げ、里を燃やした鬼に殴り掛かった。
敵の鬼も拳を固める。
拳と拳がぶつかる。
二体の鬼の力は互角だ。
トワキの叫びを聞いて、敵の鬼が声を発した。
『トワキか! ……そうか、お前さんも鬼だったのか』
その声を聞いてトワキは戦慄する。
『シン! アンタなのか……⁉︎ 何で──』
敵の鬼はトワキの鬼神を蹴飛ばした。
『ぐあっ!』
敵の鬼が倒れた鬼神に迫る。
『トワキ、思い出したんだ……俺はもう人じゃなかった』
『シン……』
『
鬼神は再び蹴り飛ばされる。
強い衝撃がトワキを襲う。
『クッ』
倒れた鬼神の眼前──紫の炎を背にした、巨大な影が聳え立つ
『俺はこの鬼に名を与えた──オオガだ』
◯
昔──龍が
あるやんごとなき姫君が、空飛ぶ龍を自分のものにしたいと言った。
貴人の願いに、多くの者達が命じられ、龍に挑み、散っていった。
ある時一人の男が龍に挑んだ。
その男は龍を騙して酒に酔わせ、捕えることに成功した。
しかし、姫を前にした龍は呪詛の鳴き声を上げて死んでしまった。
龍の祟りは國を滅ぼし、龍を騙した男は呪われ、鬼に憑かれた。
その頃から、龍の一族は人の前から姿を消した……
◯
『ああ、またやっちまった。いつもそのときになるまで忘れるんだ……いや、忘れさせられるんだ』
『何を言っている……シン!』
『お前も鬼なら分からんか? 鬼って奴は強欲で、腹が空いたら人の魂を無理矢理奪って喰っちまう。しかも、タチが悪いことに取り憑いた人間を操って盛り場に向かわせる……そしてこれだよ』
鬼神とオオガ。二体の鬼の周りでは紫の炎が燃え盛っている。
この炎はどれだけの人間を燃やしたのか──トワキの中に怒りが湧き立つ。
『なぜ止めなかった鬼を! なぜ止められなかった!』
トワキは分かっている。
それがどれだけ難しいか。
しかし怒りを抑えることはできなかった。
鬼神の拳がオオガを突く。
『トワキッ! お前、鬼を操れるのか? それは凄い……だが誰しもがお前さんみたいに強い訳じゃあない。遥か古より鬼は人の世に現れてきた。だがその力を操れるなど聞いたことがない……俺も無理だった……この三百年……繰り返してきたんだ』
シンの言葉にトワキは驚く。
『三百年だと』
『ああ、思い出した。全く、オオガの奴は記憶まで操る。俺ぁ完全に呑まれちまったんだ……鬼によぉ。言ったろ? 俺はもう人間じゃあない。ただの鬼の器だ。トワキ、お前は違うと言い切れるか?』
『何?』
『お前さんは鬼を操れているつもりかもしれねえが、それすらも鬼による
『そんなこと……』
問われたトワキは口籠る。
「違う」と言い切ることができなかった。
◯
空の大鳥居は月光に輝いている。
夜を飾る星々は増えていく。
群生地から飛び立った綿毛の群れが、星に混じって光っている。
下では揺れる紫色の炎から生まれた、火の粉達が舞っている。
そして。
そこには二体の鬼が対峙している。
トワキの操る鬼神と、シンを操ったオオガ。
悠久の時の中、人と鬼は交じってきた。
『トワキ、お前さんには聞こえないのか? 鬼に喰われた魂の呻めきと、鬼となった者達の嘆きの声が』
『耳を傾けるなシン。恐怖を乗り越えれば鬼は制御できる』
『それができたら誰も苦悩することはなかった!』
鬼神とオオガは格闘する。
オオガの右腕の刃が鬼神に迫る。
鬼神の左前腕部から突き出た〈
同じ硬さの刃と刃がぶつかって──双刃は砕け散る。
オオガはもう一方の刃を鬼神に向ける。
鬼神は咄嗟に長い尾を払ってオオガを突き飛ばした。
『フハハハハハッ!』
シンが狂ったように笑う。
『何が面白い!』
『俺じゃない! オオガだ! 鬼が戦いを楽しんでやがる!』
起き上がるオオガの背より黒煙が噴く。
燃えるように揺れる黒煙から、何かが飛び出た──オオガの分身だ。
その数は五体。
巨鬼の姿を真似た漆黒の煙が、鬼神に向かって駆けてくる。
『ヌアアァ!』
分身が叫んだ。
『聞こえたかトワキ! オオガに呑まれた者達の声が!』
鬼神は右腕から十拳の剣を伸ばし、オオガの分身の一体を斬り伏せる。
『喧しいなら掻き消すまでだ!』
鬼神の剣は二体目の分身も両断する。
斬られた分身は煙と消える。
『それは手前勝手でいい。お前さんが強え訳だ』
矢継ぎ早に三体、四体と分身は斬り払われる──そして最後の一体を斬ったとき、鬼神の剣は砕けた。
『分身でもオオガは硬えだろ』
『関係ない!』
二体の鬼の口に紫炎が溜まる。
『オオガを止めろ! トワキ!』
放出された紫の火炎がぶつかる。
逆巻く炎は膨れ上がり、二体の鬼を呑み込んだ。
──そして、その炎の中、二つの拳がすれ違う。
『トワキ、俺が何故お前さんに興味が出たのか……ずっと考えていた。それが今、分かった……お前ならオオガを止められる!』
鬼神とオオガの拳は互いの頭部を打ち砕いた。
黒煙の爆発が起きる。
二体の身体が消滅する。
人の身体に戻ったトワキとシンは、炎に焦がされた地面に着地する。
トワキの目線の先──残留していたオオガの煙がシンの右手に集まり、骨の刀を作り出した。
「オオガの悪足掻きか」
シンの瞳孔が割れる。
金色の双眸はオオガのものだ。
「やれやれ、まだ戦わんといけねえのか」
「止めてやる!」
トワキも刀を抜いた。
迫るシンの骨刀は、周りで燃える炎の紫色に染まっている。
トワキは駆ける。
シンが刀を振り下ろす。
目前に迫る骨刀の閃き──刹那に、トワキは身を屈め、シンの横を擦り抜けた。
そしてトワキは擦れ違いざまに、刃を横に振る。
「やっぱ……強えわ……トワキ!」
オオガの骨刀は霧散する。
シンはトワキを背に地に膝を突く。
振り向き、トワキを見る男の目は、オオガのものから人のものに戻った。
「終わったようだな……シン」
トワキは刀を鞘に納めた。
「まだだ……オオガは死んでねえ」
シンが立ち上がる。
両手で押さえられた脇腹の傷口からは、鮮やかな内臓が覗いている。
「私が──」
「いや……いい」
シンは血濡れた右手を向け、再び刀を抜こうとしたトワキを制した。
「もう……自分で……できる」
シンは歩きだす。
よろけながら炎に向かって進んでいく。
男は最後の声を出す。
「あばよ……トワキ……世話になった」
トワキも歩く。
自分を待つ者のもとへと戻る為……
後ろで炎が立つ音がした。
そして……
男の気配がなくなった。
「じゃあなシン……」
そう呟いて、トワキは紫に燃える里を去った。
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