第八話・颶風の怪獣〈イオラ〉

第八話・颶風の怪獣〈イオラ〉


          ◯


 日姫神子ヒメミコの呪いで彼岸山ひがんざんから広がる瘴気は、風となって吹き荒れる。

「風よ荒べ! その威力を以て人々の命を消し飛ばせ!」

 日姫神子ヒメミコは受け皿のようにした右手を口元に添えると、長い息を吹き掛けた。

 その息に押し出されるように、しゅの風は彼岸山ひがんざんを離れていく。更に多くの〈死〉を取り入れる為に……日姫神子ヒメミコの願いを乗せて、颶風ぐふうは呻きを上げながら人里を目指す。


          ◯


 トワキとコガネが逗留しているヨズモの里に、分厚い雨雲が伸し掛かる。

 真昼が暮れ方のように薄暗い。

 トワキは借家の外に出ると、空を見上げた。静かに降る雨に紛れて、キラキラと光るものがちらついている。

「どうかした?」

 家の中ではコガネが首を傾げている。

「分からん……だが気味が悪い」

 この世には怪獣と呼ばれる、荒ぶる神々がいる。異界から来る者。呪いから生まれる者。それらは人々を殺し、魂を糧にする。胸騒ぎがした。もし怪獣がこの里に来たら……トワキの頭上で、雨雲は不気味に蠢いている。


 光の粒を撒きながら、長い帯が六本、垂れた雨雲を貫いて現れる。


「何だあれは? 誰かナザキを知らんか?」

 薬種屋の店先。天から降りてくる帯の螺旋を見て、オオクラは息子の心配をするも、店の者達は皆首を振った。

「さあ、見とらんですね」

「またナポ達と遊んどるんですよ」  

 重たい不安にオオクラは俯く。

 何か嫌な気配がする。

 自分が長を務めるこの里に、正体不明の災いが訪れようとしている。

「皆んな今日はもう仕事はいいから、走れる者は外にいる者達を避難させてくれ。何か……よくないものが来るかもしれん」

 オオクラの勘はよく当たる。店の者達はそれを知って、急いで店の外に駆け出した。

 

 空から降ってくる光の粒を追って、子供達は雨の中を駆け回る。

 ナザキ、ナポ、テイヤ。三人の子供は光の粒を取ろうと飛び跳ねる。

「置いてかないで!」

 着ている衣が動きにくいのか、女の子のナポは、ナザキとテイヤの後ろを追い掛ける。

「ナポはそこで待ってな」

「キラキラはわしが捕るんじゃ」

 舞い落ちる光の下で、小さな手がぱちん、ぱちんと拍子を打って、遂に捕まえた。光る粒の正体は真白な……「なんじゃ? 鱗か?」。

 

 その瞬間──〈風〉が吹いた。


 激しく打ち鳴らされる警鐘。

 小雨降るヨズモの里に竜巻が起こった。

 舞い上がる人や物。

 雲を掻き混ぜながら巨大化する暴風。

 轟音と衝撃が里を襲う。風は家屋を吹き飛ばし、砕けた木片が空に撒かれた。

 咳き込む人。

 悲鳴を上げる人。

 荒れ狂う竜巻がまた生まれる。

 静かな雨は騒乱をもたらした。

 迫り上がる土煙の中で、巨大な人影が立ち上がる。

 水掻きを張った大きな手足。

 全身を覆う丸い鱗は真珠の光沢を滑らせ、頭頂部に立つ扁平な双角は黄金に輝く。

 そして半町程の高さがある巨体の背には、三対の帯のような長い鰭がなびいている。


〈風神・イオラ出現〉

 

 イオラ、帯を振るい、旋風を巻き起こす。

 縦横無尽に流れる帯が放つ突風が、更に里を破壊する。

 巻き上がる風塵。

 次々に生まれる竜巻。

 風は人々を擦り潰す。

 地面に撒かれた血肉が赤黒い筋を引く。

 帯の乱舞が発生させた風の刃は、平穏を切り裂き、乱流が作る竜巻は絶叫をも吹き飛ばす。

 既に警鐘を鳴らす者も消えていた。


「急いで山の砦へ避難しろ!」

 オオクラは里長として皆を先導する。

 その指示に声が被る。

「ダメだっ!」

 喘ぎ喘ぎ声を重ねたのは、コガネだった。

 胸元にヤエを抱き、顔には擦り傷ができている。

「アレがしゅの化身なら、狙っているのは人そのものだ。だから人の集まるこの里に来たんだ! 皆んなを密集させず散らして! 早くっ!」

 イオラの背に生えた六本の帯鰭が、天に向かって伸びていく。

 風向きが変わる。操られた空気の流れが、巨人の帯に引き寄せらている。それを解き放てば、里は、人は、全ては木っ端微塵に吹き払われるだろう。

 オオクラは拳を硬く握り締めた。

「化け物め、丸ごと吹き飛ばす気か」

 震えた唇から絶望の声が漏れ出た。

          ◯


 オオクラの息子・ナザキは、破壊された里の中心で、動けなくなっていた。

 ナザキの脚が震える。

 まだ幼い顔が、恐怖に染まる。

 さっきまで一緒に遊んでいた他の子供達は、颶風に晒されて、ただの肉と化した。 

「どしたんじゃ? 皆んな死んだんか?」

 吹き荒ぶ風の音と共に、イオラの咆哮が里中に響き渡る。

『ハアアアアァ!』

 全てを破壊するべく、イオンは力を溜める。

 その前方、暗黒の塊が現れる。

 膨れ上がる魔界の黒煙。

 そこから鋭い二本の角が生える。

 黒煙の形は凄まじい速さで変わる。後ろに伸びるのは、先端に突起を広げた長い尻尾。イオラに向かって突き出るは、骨の板が張り付いた太い腕。

 異形が声を上げる。

『ナザキ逃げろ!』

「んじゃ⁉︎」

 黒煙から現れた巨大な鬼が響かせるその声は──トワキのものだ。


          ◯


 トワキは鬼神と化して、風神・イオラに殴り掛かる。

 ドンッ! という重たい音が鳴り響く。

 殴られたイオラの巨体からは、雨水と共に鱗が散る。

『聞こえないか! 早く逃げろナザキッ!』

「鬼が喋っとる⁉︎ そん声はトワキか!」

『この化け物は私が倒す!』

 再び鬼神の拳がイオラに当たる。

 鱗の身体にヒビが走る。

「トワキ! 勝つんじゃぞー!」

 逃げるナザキに頷いて、鬼神は更に攻撃を加える。対抗するイオラは伸ばした帯を、鬼神の身体に突き刺さした。

 しかし鬼神は怯むことなく、イオラの肩に手刀を打った。

 高くから風を切って落とされたその一撃に、イオラが倒れた。

『終わりだっ!』

 鬼神は倒れたイオラの頭部目掛けて、拳を放つ。 

 間一髪で身を浮かせ、攻撃を逃れるイオラ。

 外れた拳は地面を穿ち、土煙が上がる。

 瓦礫を巻き上げながら、地面すれすれを飛翔するイオラは、鬼神から距離を取り、里外れの山地に降り立った。


 雨足は強まり、風も勢いを増す。

 風神の怒りは嵐を呼ぶ。


 鬼神は地中にめり込んだ腕を引き抜くと、敵を追って壊滅した里の中を進んでいく。

 風紋を踏む潰す一歩一歩に、トワキの怒りが乗る。ヨズモの里を破壊し、そこに住む人々を殺した者は、たとえそれが神と呼ばれる存在だとしても、トワキは許さない。


          ◯


 イオラ目指して歩く鬼神を、瓦礫越しに仰ぎ見るコガネとオオクラ。そこへナザキが駆けて来る。

「オオクラー!」

 無事な我が子を見て、オオクラの強張っていた顔が綻んだ。

「ナザキッ! よく無事だった!」

「あの鬼はトワキじゃ! ナポもテイヤも、みんなあのヒラヒラの化け物に殺されたけど、トワキがわしを助けてくれたんじゃ!」

 コガネは胸に抱いていたヤエを肩に乗せると、じっと鬼神を見つめる。

 「トワキ、もう怖くはないんだね……いえ、怖くても……」


 迫る鬼神目掛けて、イオラは帯から風の刃を飛ばした。不可視の刃を察知した鬼神は、それをしなる尾で打ち払った。尾に弾かれた風は、イオラの巨躯を仰け反らせる。

『ヌゥウッ!』

 イオラが怯む。

 鬼神の口腔に紫炎が溜まる。

 魔界の炎の高熱は、降り掛かる雨水を、一瞬にして蒸発させる。蒸気に包み込まれる鬼神の頭部から、トワキの震えた声が鳴る。

『済まない、ケイテイ、カドダイ。あなた達の大切なものを奪った力で、私は私の大切な者達を守る』

 鬼神に勝てないと判断したイオラは、宙へと吸い上げられるように昇っていく。

 藤色の光が広がる。

 放出された紫炎の高熱が、飛び上がるイオラの脚を焦がした。

 天に逃避するイオラを見て、ナザキが喜ぶ。

「やった! 逃げる気じゃ!」

 しかし、オオクラの顔がまた強張る。

「ここで逃せば奴はまた来るぞ」

 断続的な地響きが里に伝わる。

 大地を揺らす強い衝撃。

 土砂の柱が立ち並ぶ。

 風雨の中を鬼神は駆ける。

『逃すかっ!』

 鬼神は小山を踏み台にして高く跳び、空を泳ぐイオラの、長い帯鰭の一本に掴まった。

 イオラは鬼神を振り落とすべく空を泳ぎ回る。しかし鬼神はその手を放さない。

 帯鰭に鬼神を吊るしたまま、イオラは遥か天上へと上昇する。

 ナザキが首を傾げる。

「んじゃ? 上がるはいいが、トワキ鬼は、飛べるんか?」

 雷爆ぜる嵐の中、イオラと鬼神は雲中に消える。雷光の明滅は、天空で格闘する二体の影を、広がる雲に映し出す。


 天を仰ぐコガネは、震える胸に手を当てる。

「トワキ……」

 不安が心臓を押し潰そうとしてくる。

 それが伝わるのか、肩のヤエも怯えて震えている。



          ◯


 嵐に渦巻く雲の中で戦う二体の怪獣。

『オラァ!』

 鬼神は掴んでいる帯鰭を思い切り引っ張り、イオラを引き寄せる。そして双方の位置が入れ替わり、交差する刹那に、一撃を入れる。

 吹き飛ぶイオラ。

 張った帯鰭を、鬼神は再び引っ張る。

 引き寄せたイオラを鬼神はまた殴る。


 弾ける雨。

 飛び散る鱗。

 天空で咲くイオラの血潮。

 衝撃で雲が裂け、二体の空中戦が、太陽の光芒に照らされる。


 それをコガネは祈るように見つめる。

 雨水の水滴を押し退けて、頬を涙が伝い落ちる。

 赤い雨が目の前に降り注いだ。

 それが鬼神の血か、あるいは敵の血なのかは、コガネには分からない──しかし涙が止まらない。傷付いても自分達を守ってくれるトワキへの感謝と、トワキを数々の戦いに巻き込んでいる自分自身への罪悪感が、目から溢れ出てくる。

 肩に乗ったヤエがコガネの涙を舐め取る。

「トワキ、死なないで」

 血の雨は激しさを増していく。

 

 攻撃の手を緩めない鬼神。引き寄せたイオラを蹴り飛ばし、張った帯の反動で戻ってくる巨体に、正拳を突き刺す。拳の皮が剥けても、鬼神の攻撃の威力は下がらない。イオラの全身の血が弾け飛び、赤月が如く空に広がった。

 衝撃波が暗雲を散らす。

 舞い散る真珠色の鱗の中で、次々と決まる鬼神の猛攻。


 ──そして。


 鬼神の最後の拳が、雲に空いた青空の大穴に、イオラを突き飛ばした。伸縮を繰り返したイオラの帯鰭が、遂に千切れる。

『消し飛べ!』

 鬼神は限界まで口腔に溜めた紫炎を、イオラ目掛けて一気に放出した。

『バァアアアッ──』 

 断末魔の叫びを上げ、風神・イオラは爆発霧散する。嵐は過ぎ去った。


          ◯


 天から落ちる鬼神。

 その身体から黒煙が伸びる。

 落下する鬼神の内部で、トワキは思案する。

(ダメだ消えない。第一、鬼の身体を全て消したら、生身の私が落下の衝撃に耐えられる訳がない)

 死ぬのか? ──そう考えたとき、コガネと初めてあったときの言葉が、トワキの頭に響く。


『恐れないで、この怪物はあなたの恐怖の形。恐怖を支配したときに怪物の力があなたの刀となる。扱えるはず』


 鬼神の腕を見る。

 そこには沢山の骨の板が張り付いている。

「この鬼の力を信じるしかない……やってやるさ、コガネ!」


 爆散するイオラを見て喜ぶナザキ。

 その横で、コガネとオオクラは空から落ちる鬼神を不安気に眺める。

 黒煙の糸を引く鬼神。

 地面までの距離はどんどん縮まる。

「かつてこの地には荒れ狂う國津神がいて、人々は苛まれていた」

 口火を切ったのはオオクラだった。

「しかしある夜、一柱の天津神が現れた。鬼の神だ。天津神は國津神を下し、俺達は里を取り戻した。しかし、天津神はその後消えてしまった……」

「トワキの鬼神がその天津神だと?」

 そう尋ねたコガネに、オオクラは首を大きく横に振って否定する。

「まさか。だが今、俺達はそれと同じものを見ている……大丈夫、トワキは死なんさ。きっと」

 オオクラの目は真直ぐに、落ちる鬼神を見据えている。


『ウオオオオッ!』


 鬼神の喉から発せられたトワキの叫びが、天に轟く。

『鬼の神よ! 折角私に取り憑いたんだ、こんな所で見す見す殺してくれるな!』

 その言葉に答えるように、左前腕部に張り付いた骨板こつばんの一つが前方に飛び出して──閃光を放った。

 恐怖を超え、己の意志で生を求めたトワキの思いに、武を司る鬼の神は答える。

 骨の鞘を砕き、白く光るは鋭い刃。

 太陽に負けない程に鋭く輝く白刃が、鬼神の腕から現れた。

 

十拳とつかの剣〉


 落下の衝撃を和らげる為、トワキは鬼神の巨躯の下半身をその剣で切断した。

『グッ……少しでも軽く!』

 大地が迫る。間髪入れず右腕も斬り落とす。

 赤い血が空に長い直線を引く。

 鬼神は本体であるトワキを内包する胸部を、左腕で庇った。

 ──そして。

 山が爆発する。

 鬼神が落ちた。


「トワキーッ!」


 コガネがその名を叫んだ。

 大地を走る落下の衝撃が里を揺さぶり、誰も立ってはいられない中を、コガネだけが落ちた鬼神のもとへと駆けていった。


          ◯


 コガネは削れた山腹を登る。

 木々は薙ぎ倒され、土砂に埋もれている。鬼神が墜落した山は、その凄まじい衝撃に穿たれて巨大な穴が空いていた。

 大穴のふちに立ったコガネは、穴の中を見下ろしてトワキを探した。

 落ちた鬼神が湯脈を突いたのか、大穴の底には湯が溜まり、辺りには煙が充満している。

 湯気と土煙、それに鬼神を形成していた黒煙も混じっているのだろうが、コガネには判別できない。

 コガネは肩に乗っていたヤエを下し、大穴に溜まった湯に飛び込んだ。

 湯はとても熱い。

 それでもコガネは泳いだ。

 トワキを探す為に。


 穴の中央あたりに、鬼神の片腕が湯から突き出ている。

「ト、ワキ……」

 コガネは急いでそこへ向かうが、傷付いた鬼神の腕は、黒煙に戻って消えてしまった……

 煙に包まれた穴の中に、コガネは一人湯に浮いている。他には誰もいない。トワキの死という、受け入れ難い考えが、現実味を帯びて心に湧き出てくる。

「そんな……」

 絶望に呑まれそうになるコガネの横で、チャプチャプと小さく水を掻く音がする。

 真横でヤエが泳いでいる。

「ヤエ?」

 慣れない犬掻きで泳ぐ獣は、湯気の中へ消えた。

 そして。

「痛い! 指を噛まないでくれ!」

 湯気の先で誰かが叫んだ。

 その声音をコガネはよく知っている。

 やがて湯気が晴れる。

 そしてコガネの目に、頭にヤエを乗せたトワキが映った。

 二人は湯に浮いている。

「トワキ!」

「コガネか!」

 コガネは直ぐにトワキのもとに泳いで行く。

 そして、トワキとコガネは頭だけを湯に出して向かい合った。

「死んだと思ったろ? 私も思った」

「私は思ってない。思ってたらこんなとこに来てないよ」

「そうか!」

 コガネの濡れた睫毛に、トワキは湯を浴びせ掛けた。

「うわ! 最悪……こなきゃよかったかな」 

「そんなことないよ。さぁ帰ろ、里も大変だろうし」

「うん!」


          ◯


 後日。

 朝日の下、里を発とうとするトワキ達をオオクラとナザキが見送る。

 ナザキはヒビの入った眼鏡の下の、寂しそうな目をトワキに向ける。

「本当に行くんか?」

「すまんな。もっと手伝いたいが、今回の件で私も悟った。早く彼岸山ひがんざんを崩さなければ……またあの風の化け物みたいなのが、ここを襲うかもしれん」

 トワキは荒れたヨズモの里を見渡す。

 建っている家屋の方が少なく、瓦礫の下にはまだ人が埋まっている。

 オオクラの薬種屋も茅葺き屋根の一部がずり落ち、トワキ達が借りていた家も半壊した。

 幸い荷物だけは無事だった。

「トワキ、また来るんじゃ! 一緒に小便するじゃ!」

「ああ」

 トワキは頭に乗っているヤエを、ナザキの顔まで下ろした。

「おひょー!」

 ナザキはヤエの小さな額に触われたことを喜んだ。

 オオクラが前に出る。

「トワキ、コガネ、俺も君達を待っている。里も今はこんなだが、すぐに立て直すさ。それに……」 

 昔のことだ、オオクラはそう言って続ける。


 オオクラがまだ数えで六つか七つ、今のナザキとそう変わらぬ歳の頃──ヨズモの里近くの山に、大猿の國津神が棲み着いた。

 猿神は度々里に降りては人を攫い、喰らっていた。恐れた人々は里から次々に去っていき、ヨズモの里は存続の危機に瀕した。

 そんな頃に、オオクラは父と二人で暮らしていた。

 オオクラの父は余所からこの里へ来た人間だった。

 旅の危険を知っていたオオクラの父親は、まだ幼い娘は里の外では生きられないと考えたのだろう。猿神が現れてからも、オオクラ達親子はヨズモの里に残った。

 ある夜、里に猿神がやって来た。

 そして遂にオオクラ達親子が住んでいた家も壊され、猿神の手に幼いオオクラは捕えられた。

 オオクラが猿神に喰べられようとする、そのとき──オオクラを掴んでいた猿神の腕が引き千切られた。

 頬に傷を負い、血を流すオオクラの遥か頭上で、一角の鬼が唸りを上げていた。

 青い堅牢な皮膚をした蒼鬼だ。

 猿神が蒼鬼に跳び掛かった。

 だが巨大な蒼鬼は、跳び掛かる猿神を容易く受け止めると地面に叩き付け、そのまま踏み殺した。

 猿神を倒した蒼鬼は、傷を負った幼いオオクラを見下ろした。

 鬼の瞳孔が尖る。

 幼いながら、オオクラは死を覚悟した。

 しかし、蒼鬼は雄叫びを上げると、その額に伸びる角をへし折り、それを自身の胸に突き刺した。

 鬼は血潮を吹いて倒れる。

 そして、崩れて煙となった蒼鬼の身体から出てきたのは、オオクラの父親の死体だった……


「なぜ父が鬼になれたのか、どうして自ら命を経ったのかは俺には分からない」

 オオクラはそう言うが、その理由をトワキは分かる気がした。

「とにかく俺も、この里も、鬼には助けられた恩がある。またいつでも俺達〈ヨズモの民〉は、君達を歓迎するよ」

 コガネが寸の間、瞼を閉じた。

「オオクラ様、トワキのことありがとう。私達は旅を続けます……さようなら」

 トワキにはこの〈さようなら〉がとても寂しく聞こえた。まるで最期の別れを言うようだ。

 トワキはコガネの〈覚悟〉を知っている……

 オオクラも何かを察したのか、物悲しそうな目をコガネに向けた。

「コガネは私が守ります」

 トワキはそう宣言した。

 オオクラは微笑む。

 ナザキは頷いた。

 コガネは不思議そうにトワキを見ているが、その口元は上がっていた。


 ヨズモの里を出発し、二人は旅を再開する。

 王陵の國、天蓋てんがい伴山ともやまを目指して。

 災いの元凶、日姫神子ヒメミコを討つ為に。

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