第五話・万雷の怪獣〈ヴァドワギーダ〉
第五話・万雷の怪獣〈ヴァドワギーダ〉
◯
コガネは闇に包まれた。
トワキもヤエもいない、広がる暗黒の世界に、一人立っていた。天にはコガネを包囲するように星が撒かれ、燦然と瞬いている。
ただの星じゃない──。
緊張の
まさか向こうから干渉してくるなんて──。
彼等が来るということは、〈
分裂体・メギドガンデ。
箱型の星々。
その一つがコガネの頭上に落ちてくる。
落ちる過程で箱の面は割れて、複数枚の三角の板になった。ゆっくりと近づいてくる三角の板達は、先端部を下に、逆三角になる形で立つと、コガネを取り囲む。それらは赤い光を発し、「ウォンウォン」という不気味な音を響かせる。
『ツキミコ』
闇の中で、充血したように赤く染まる板から鳴るそれは、声というよりも、感情を伴わないただの音に聞こえる。
「今はコガネって名前だよ。まさか、私の心の中に入ってくるなんて──」
コガネが言い終わるのを待たず、赤い逆三角形は次々と音を響かせる。
『ナゼ、ヒメミコヲ討トウトスル?』
『彼女ハワレワレニ贄ヲモタラス』
『魂ヲモタラス』
『ヒメミコヲ狙ウナ。共存ヲエラベ。ツキミコ』
取り囲む逆三角形の輝きが増す。
闇を埋める眩い光の明滅にコガネは目を細めた。
「それはメギドガンデの総意なの?」
しかし、コガネが問うと光はハタと途絶え、板達は黙った。
分かっていたことだ。この程度しかこちらに来ないのだから──。
所詮、彼等は分身に過ぎない。
メギドガンデの総意なら、既にコガネは存在していない。
「消えて。興味をもつのは勝手だけど、私の世界にあなた達が干渉することなんて、何もないんだ」
これ以上の議論は無駄と判断したのか、分裂体・メギドガンデは次々と闇に消えていった。
一つを除いて。
『コガネ、アナタニ聞キタイコトガアル』
「何?」
「ソッチノ世界ハ楽シイ?」
コガネは少し悩み、その問いに答える。
「分からない」
やがて最後の一つも消えた。
闇が終わる。
コガネは自分が寝ていたことを思い出した。
しかし、先程までの闇の世界は夢ではない。
隣に置かれた葛篭の中から、白銀の身体を巻いて寝ているヤエの、大きないびきが聞こえてくる。その奥でトワキも寝ている。悪夢でも見るのだろうか……。トワキは寝ているときに、いつも苦しそうな顔をする。
◯
数日後。
トワキ達に旅の仲間ができた。
ライチと名乗る盲目の男は、修行の為に各地を行脚している旅僧であった。山道で賊に襲われていたところをトワキが助け、その縁でトワキ達はライチの目指す大寺、
ライチはぼやく。
「僧なんぞ襲っても、骨くらいしか手に入らんでしょうに……」
◯
「目が見えないとは思えないねぇ」
コガネは感嘆した。ライチの瞼は頭に巻かれた布で封じられ、開くことはない。しかしながら、雨季のしっとりと濡れた山道を、杖を頼りに歩く足取りは迷いなく、踏み場を誤ることもなかった。
「でしょう? もっと褒めてください」
大きな笠の下から覗く明るい髪色。有髪僧・ライチは広めの口の端を上げて、旅の仲間ができたことを喜んでいた。
「産まれて早三十年。盲てからは二十有余年。人間って
「目が見えないのに見えるものが増える?」
コガネの問いに、ライチは口元に手を当てて笑う。
「ふふ、顔に付いてる目ではなく、心の目でね……。ああ、お連れ様ならワタクシの言う意味、伝わりますよね?」
ライチは前方を歩くトワキに尋ねた。その声音はどこか含みがある。
「さぁね」
トワキはそれだけ言って、薄暗い山道を足早に進んだ。
トワキはシトウの里の厄災以降、その身に宿る鬼の力により、肉体の強化を受けた。それにより研ぎ澄まされた感覚は、迫る危機を事前に感知する。
ライチも同様だ。
視覚を失った代わりに、その他の感覚が並の人間よりも遥かに発達した。光を失っても、身に付いた直感が歩むべき道を教えてくれる。ライチはその勘を〈心の目〉と呼んでいた。
トワキの後ろで「おっとと」という声がした。振り返ると、濡れた落ち葉に足を滑らせたライチがよろけている。
心配するコガネに、ライチは笑ってみせた。
トワキにはそれがわざとらしく感じた。不気味に思えた。ライチの布で塞がれた目に、自分の正体を見定められているようで、気分が悪かった。
◯
昼下がり。曇っていた空は晴れ、強い日差しが降り注いだ。
山を越えた先に河が流れている。水の中に
三人は脚を止め、しばしの休息を取る。
炎天の下、岩に腰を掛けたトワキは、河の
喰べればどんな味がするだろうか──。トワキはそんなことを考える。
コガネは河の
トワキとコガネが、身に籠った暑さを逃がす為に、河に足を浸けているときも、ライチは
ライチは歩き回りながら、手に持つ布袋竹の杖で草を掻き分けながら、何やら採取をしている。全くもって盲人の挙動には見えない。
「何してるのー?」
コガネがライチに声を掛けた。
「んー? 実です。野苺の実がなっていますよ!」
「あの、絶対見えてるよね……?」
流石のコガネも訝しむ。
「信じてくださいよぅ。一介の僧として嘘吐きと疑われるのは心外です」
苦い顔をしつつも、ライチは採取した野苺の実をトワキ達に分けてくれた。
「美味しいですよ!」
確かに赤く熟れた実は、程よい酸味も残しつつ、甘くて美味しかった。ヤエも気に入ったようで、葛篭から出した吻部を赤い果汁で染めている。
トワキ達に実を渡してからも、ライチは野苺の実を摘んで、首から下げた
「沢山採ったら、寺の皆んなも喜ぶかな!」
ライチは楽し気だ。
だがしかし。トワキの勘はライチの内に、冷たい闇が渦巻くのを感じた。
危機を感知するこの鋭い勘は、鬼神による身体強化の一端だ。鬼神は憑代であるトワキを失わないように力を与えた。
つまり。
鬼神は目の前の僧を、敵と判断した。
◯
日が傾く前に、トワキ達は目的地である雷紋寺の寺内町に着いた。
トワキは石垣を仰ぎ見る。段状に連なる石垣の上に置かれた町は、中々威圧感がある。境内に入ると、重そうな瓦屋根の伽藍が、そこかしこに建っている。その中で一際大きく目立つ建物が、雷紋寺の本堂だ。その反り返った屋根に伸びる棟には、細かな棘が並び、中々厳しい。
ライチは被っていた笠を脱ぐと、コガネに耳打ちした。
「本当はここ女人禁制なんですよ」
「ふーん……。大丈夫なの私? 僧兵とか出て来たりしない? 殴られたりしない?」
コガネが不安そうに眉を顰める。
「はははっ、出るかもしれませんね。でもきっと、トワキさんが何とかしてくれますよ」
ライチは怯えるコガネに笑いつつ、トワキを〈見た〉。無論、ライチの封じられた眼がものを見ることはない。しかし、トワキは見られた気がした。
「そうだな。変なものが出たら、私が叩き切ってやる」
そう言って、トワキもライチを見る。
その様子が穏やかでないせいか、コガネは少し怪訝な顔をした。
境内を進んでいると、小舟を立てたような形の
「何が書いてあるんだ?」
「うん? あぁ、これはそうですね……、金言ってやつです。……深いなあ」
気になってライチに尋ねてみたが、はぐらかされてしまった。どうやらライチにも読めないらしい。
碑と擦れ違う坂を上った先で、トワキ達を数人の僧侶が迎えた。
僧侶達は皆、黒の衣を着て、頭髪を剃り上げている。有髪僧はライチだけだ。
「トワキさん、コガネさん、暫くそこで待っていてください」
ライチはそう言って、僧侶達と共に伽藍の中の闇に消えた。
どれくらい時が経ったか……。
ライチが僧侶達を引き連れる形で、伽藍から出てきた。
トワキとコガネに向け、僧達が合掌をする。皆、柔和な表情をしている。コガネも緊張した様子で僧達に合掌する。トワキもそれを真似て手を合わせる。
ライチが一歩前に出る。
「ようこそ雷紋寺へ」
トワキとコガネは、ライチの計らいで、雷紋寺に泊めてもらうことになった。
ライチに対する疑念が、杞憂に終わることを、トワキは願った。
◯
トワキとコガネの前に夕餉が来た。
「遅なりましたなぁ」と言って笑いながら、ライチ自ら持て成す。焼いた茄子、お豆腐の味噌田楽、瓜の煮物などなど……、トワキの目の前に置かれた小鉢の上は、なかなか豪勢だ。元々こうなのか、山賊に襲われたところを助けられた礼も込められているのか……。何にせよ美味しい料理を喰べられることは、トワキにとっても幸せだった。ヤエの前にも水と、味噌のような赤茶色の塊が出された。獣はペロペロとそれを舐めた。トワキにはヤエの夕餉は余り美味しそうには見えなかった。
トワキが黙々と喰べていると、「お口に合ったようでよかった」と、ライチは喜んだ。
腹八分となった頃合い。最後に漬け物が出てきた。
◯
トワキ達は伽藍の二階にある小部屋に通された。今晩眠る部屋だ。
小部屋には積まれた円座や細長い木箱、他にも朽木のような物が幾つか棚に置かれていた。
「何だか物置きみたいな
ライチが謝る。
部屋に入るやいなや、ヤエが円座に飛び乗った。
「ヤエは気に入ったって」
「ならよかった!」
トワキは開けた引き戸から外を眺めた。
複雑に張り巡らされた回廊が見える。向かいの堂宇も大層立派な建物だ。その先に雷紋寺本堂の、反り返った瓦屋根が見える。西日に照らされたその荘厳な佇まいに、トワキは少し緊張する。まるで巨大な怪物が、町の中心に陣取っているようにみえた。
「凄い……」
思わず声が出た。
部屋の中ではヤエが円座の上で丸くなって寝ている。獣の気楽さが少し羨ましい。
「ワタクシも使うかもしれないから、その上で粗相はよしてね」
ヤエに釘を刺してから、ライチは部屋を後にした。
それから少しすると、鐘の音と僧達の唱えるお経が聞こえてきた。
◯
日が沈む。
暗くなっても、聴こえてくるお経は途切れない。その調子に合わせてコガネも唄う。
「うーにゃーうーにゃーうんたら、うーにゃー」
「よせよ、バチが当たるぞ」
ふざけるコガネを、トワキは微笑みつつ注意した。
戸を開けていれば、夜でも室内は月明かりで割と明るい。
コガネが部屋を物色する。
トワキは気にせず横になっていたが、「変わった物がある」と、コガネに呼ばれる。
促され、棚の朽木に顔を近づけると、微かだがいい香りがした。
朽木の正体は香木。物によっては燃やさなくとも香りを味わえるようだ。中にはトワキがかつて暮らしていた、シトウ族の族長の屋敷を思い起こす匂いもある。二人であれやこれや嗅いでみると、強烈なものがあり、咽せたりした。
◯
その頃──。闇に包まれた本堂の中に、ライチは一人立っていた。
ライチは頭に巻いていた布を解くと、封じられていた双眸を開いた。その目が見上げる先には雷紋寺の本尊、
人の上半身と馬の身体をもつ、半人半馬の黄金の巨像。文字通り人馬一体の形態を取る菩薩像に、ライチは合掌をした。
「では、参りましょうか」
そう呟くと、ライチは本堂を後にした。
◯
唄う虫も眠りに就くような深い夜。
夏の割には涼しいその夜に、ライチは二人のいる小部屋の、閉ざされた戸の前に立つと、深い溜め息を吐いた。
「はぁ……。何で起きているのでしょうかねぇ? 眠っていれば楽に死ねたでしょうに。トワキさん」
戸を隔てた先からトワキの返事がくる。
「アンタの殺気に起こされた。僧というのに、あんたの心中は随分と雑念に
ライチはまた溜め息を洩らす。
「はぁ、そうですか。あなたの〈心の目〉にはそう映りましたか。雑念ねぇ……。確かにワタクシの心中には相反する思いがある。それを雑念と言われればそうかもしれない。ワタクシはあなた方のことを好いていますし。……いやいや、本当に。その証拠、最後の夕食も美味だったでしょう? 毒だって刺してない」
どうせあなたには効かんでしょうが──。そう溢して、ライチは一層深い溜め息を吐く。
閉めた戸を挟み、トワキとライチは睨み合う。
「ですがねぇ、鬼はいけない。トワキさん、ワタクシの心の目はあなたの身の内に悪鬼を見た。途轍もなく醜悪。消し去りたい」
ライチは双眸を見開く。
「ワタクシがまだ幼い歳の頃。故郷に荒ぶる神が現れた」
ライチの言う荒ぶる神。
それは鬼だ。
二十数年前……、ライチが暮らしていた村に鬼が出た。
青みがかった鎧の皮膚をもち、眉間から黄色い角を生やしたその鬼は、村の家々を薙ぎ倒し、次々に人を殺した。その中にはライチの家族、友人もいた。
村を焼き払い、人々を惨殺すると、やがて鬼は煙となって消えた。
生き残ったのはライチだけだった。
そして……。
もうあのような残逆は見たくない──。
そう願ったライチは、光と引き換えに雷神の力を得た。悪鬼を消し去る為に。
引き戸の先のトワキを睨むライチの瞳孔が、鋭く割れる。
「ワタクシはこの
閉ざした戸の内。
トワキはコガネの側に寄る。
「ヤエは籠に詰めたな? しっかり持ってろ」
頷くコガネをトワキはそっと脇に抱く。
室内の空気が砂利が擦れるようなチリチリとした音を立て始め、肌が痺れてくる。
何か危険が来る──。トワキの勘がそう告げた。
二人の髪が徐々にばらけて逆立っていく。
トワキのこめかみに緊張の汗が滲み、コガネが髪を抑えたそのとき。
ライチの双眸が発光する。
「
ライチの声と同時に、二人のいる室内に雷光が炸裂する。
ライチの眼力が雷を放った。
刹那。
吹き飛ぶ戸を従えて、コガネを抱えたトワキがライチの横を擦り抜けた。
間一髪でトワキは爆ぜる雷撃を躱すことに成功した。
ライチが振り向くと、トワキはすでに向かいの堂宇の、瓦屋根の上に降り立っていた。
焼け焦げた部屋を背に、ライチは眉間に皺を寄せる。
「まさか、雷尊の眼力を避けるなんて……。鬼人めが」
トワキはコガネを連れて闇に消えた。
◯
落雷に怯えた僧達の叫び声が広がる。
静かな夜は疾うに去った。
「火事です! 火事です!」
「カミナリが落ちました! 雷尊の怒りだ!」
僧侶達が慌てふためく境内を、ライチだけは力強い足取りで進む。
そして本堂に戻ると、闇に聳える雷蹄王菩薩像に語り掛けた。
「あなた様より頂戴した眼力だけでは鬼は狩れませなんだ! 総身を差し出します。どうかワタクシに代わり、あの鬼を人の世から駆逐してくだされ! ワタクシには分かる、あの鬼は大くの人々を殺している悪鬼だ! 消し去らねば! ヴァドワギーダの力で」
ライチの言葉に答えるように、雷蹄王菩薩像が発光する。
そしてその瞬間。
明光と轟音を伴い、雷紋寺本堂に太い雷が突き刺さった。
◯
降り頻る雨は夜が明けたことを隠すようだ……。
トワキはコガネを連れて走った。
篠突く豪雨が、軍馬の爪音さながらに音を立てて襲い掛かる。被った笠に打ち付ける雨が重たく感じる。
開けた土地の至る所で、焼け焦げた家屋の骨が、豪雨の中に黒く浮いていた。大きな火災に見舞われたのだろうか。
「あっ」
コガネが雨の奥を指差した。
その細い指の先を辿って見れば、大きな楼門が建っている。
トワキとコガネはその楼門を目指して、無限の雨の中を走り抜ける。
「まるでもののけの根城だな……」
トワキは門を見上げて呟いた。
雨の中、やっとの思いでたどり着いた楼門は、辛うじてその大きさを保っているものの、見るも無惨に朽ち果て、腐って崩れた木材が、骸骨のように隙間を空けていた。
吹き抜ける風に門の骨が揺らされた。
幸いにも雨の直撃を防げるだけの瓦屋根は、まだ残っている。かつては荘厳だったであろう楼門も、長く人々に忘れられ、今は旅人の雨宿りに使われる。トワキは少しだけ虚しさを感じた。
「何ぼうっとしてる、早く入ろう!」
「ああ、分かっている」
屋根から流れ落ちる雨水の瀧を避けて、楼門に入るや否や、コガネは背負っていた葛篭を床に置き、腰を下ろした。
コガネの纏っていた雨水が石の床に広がっていく。
二人は笠を脱ぐ。
コガネの衣の短い袖から出た腕に、水が艶を走らせた。濡れた少女は、普段とはどこか違う印象をトワキに与える。その長い睫毛が水滴を抱いているのを見て、綺麗だ──。トワキはつい、そう感じてしまった。
◯
コガネが安堵の息を吐く。
「ふぅ……。大変だったね」
しかし、雨を睨むトワキの目付きは鋭い。
「いや、大変なのはこれからだ」
視線の奥。豪雨を隔てて巨影が聳え立つ。
天に向かって一角を伸ばしたその姿は、二十間(約三十六メートル)程はある巨大な怪獣だ。人の上半身を馬の首元から生やしたような異様な姿。半人半馬の巨影。それが何か、トワキには分かった。
「ライチ……、そいつがヴァドワギーダか」
〈雷神・ヴァドワギーダ出現〉
「怪獣……、いつから」
コガネも警戒する。こちらを見る怪獣は、まるで気配を発することなく、いきなり現れた。
ヴァドワギーダが巨体を持ち上げ、後脚で立ち上がる。剣のような鋭い前脚を掻くように動かし、天を突く程高く上げた頭から、嘶きを轟かせた。
そして、ヴァドワギーダの姿が突如として消えた。
怪獣の嘶きは尾を引き、辺りに響き渡る。
雨足は更に強まる。
邪な雲は何処までも広がり、雷が二人のいる楼門の上空に溜まる。
そして。
この世を真二つに割るかのような太い稲妻が、楼門を直撃した。
「わあっ──」
コガネの悲鳴はすぐに掻き消される。
轟音を伴う雷撃は長く続き、揺れる門の太い柱には雷光が絡み付いて火花が爆ぜる。
異常な雷に、トワキがいつにない大声を出した。
「ただの雷じゃあない! さっきの怪獣が襲ってきたんだ!」
火花の
楼門に伸し掛かる雷は、すでに怪獣の形を成している。
再び嘶きが鳴り、二人の鼓膜を劈く。
燃えながら崩れる楼門。
コガネに覆い被さったトワキに、門の破片が容赦なく降り掛かかった。
「トワキ!」
楼門がヴァドワギーダに破壊される。
そのとき、トワキの身体から、魔界の黒煙が立ち昇る。
辺りを塗り潰す禍々しい黒煙は、怪物の姿に変化する。
双角を伸ばした鋭い頭部。
骨の鎧を張り付けた太い腕。
筋肉とも瘤ともつかない、肉の塊を纏った巨大な身体。
トワキを呑み込んだ黒煙は、鬼の肉体を形成した。
圧壊した門の残骸から飛び出したしなる尾が、ヴァドワギーダを打ち払う。
強烈な尾の一撃に倒されたヴァドワギーダの巨躯が
楼門の残骸を払い除け、鬼の神が現れる。
起き上がるヴァドワギーダの前に、仁王立ちする鬼神。その巨体は、カナドナギと戦ったときよりも大きく、二十間はあるヴァドワギーダと並ぶ高さだ。
敵を睨む鬼神の目は闘志に満ちる。
雨の
『あなたはやっぱり鬼でしたねぇ、トワキさん。知っていますか? 怪物は怪物でも別の世界から来た
ヴァドワギーダの頭部、真直ぐと伸びる一角が、雷の力を溜めて青白く発光した。
『──なぜなら本体をこちら側に置く國津神とは違い、天津神の本体は異なる世界にある。この世への干渉は限定的なんです。だからこそ國津神の力により天津神が抑えられて、この世に定まった摂理が成り立つのです』
鬼神がヴァドワギーダに向かって歩き出す。
その重圧な一歩が落ちる度に、地面の泥が飛び跳ねる。
トワキに庇われて無事だったコガネが、砕かれた門の残骸を押し除けて這い出てくる。破片で額を切った顔には血が垂れる。
コガネは鬼神を仰ぎ見る。
「あれはトワキの鬼。……トワキ忘れないで。恐怖に呑まれなければ、それはあなたの武器となるはず」
葛篭から出てきたヤエが、コガネの肩に飛び乗った。怯える獣の小さな身体は震えている。
ヴァドワギーダが再び後脚で立ち上がる。
『雷尊は國津神です。対して鬼は魔界より現れた天津神だ。トワキさん、あなたはワタクシには勝てません! 雷尊の放つ雷に焼かれて、死んでください!』
ヴァドワギーダが嘶きを上げ、刹那に消えた。後には幾つもの光の筋だけが残される。
雷神の気配を察知し、鬼神は空を見上げた。
空は雨を溜めた暗雲に支配されている。
そのとき。
閃光が爆ぜる。
天空の彼方から伸びる一筋の稲妻が、鬼神の身体に突き刺さった。更に二本、三本と、鬼神に刺さる閃光は増えていく。
この異常な雷はヴァドワギーダが操る武器だ。
暗雲から生まれた大量の雷が、鬼神に向かって一斉に襲い掛かった。
万雷が巨体を焼く。
雷撃を喰らう鬼神の前に、黄金の輝きを放つ雷神・ヴァドワギーダが現れる。
断続的に続く落雷に泥が爆ぜる。
強烈な光と爆音から身を守る為、コガネとヤエは崩れた楼門の残骸の中に、急いで戻っていく。
「うわー! 死ぬ!」
「グルルッ!」
先程までの雨天の薄暗さが嘘のように、周りが真白に塗り替わる。
『鬼め! 鬼め! 醜悪な邪鬼めが!』
雷光の明滅に合わせて、格闘する二体の巨影が現れては消えてを繰り返す。
ぶつかり合う攻撃の嵐。
ヴァドワギーダが手首に付いた刃で鬼神に斬り掛かる。
次の影、鬼神の強打がヴァドワギーダの顎を破砕する。
飛び飛びに映る影の戦い。
雷鳴は収まらない。
コガネは耳を塞いで疼くまる。
ヤエもコガネの衣の内に隠れて、身体を震わせた。
落雷に耐えていると、風に吹かれて異臭が漂ってきた。何かが焼け焦げる匂い。絶え間なく続く雷の猛攻に晒され、鬼神の肉体にも限界が近づいているのだろうか。
コガネはトワキの身が気掛かりだった。
鬼神は雷撃に怯むことなく攻撃を続ける。
その威力にライチは取り乱す。
『雷尊の攻撃を喰らい続けて、なぜ倒れぬ!』
鬼神の拳がヴァドワギーダの身体を穿つ。
『グアァ──』
ライチの叫びは雷鳴に掻き消された。
ヴァドワギーダの一角が力を溜める。
『今のワタクシは雷蹄王! 悪鬼なんぞに負けることが、ある訳がない!』
雷神の双眸が光を放った。
『御・鳴神っ!』
ライチの振り絞るような声に呼応し、まるで天地を繋ぐ柱のような一本の太い雷が、鬼神を直撃した。
そして。
真白に染まった世界の中で、何かが砕ける音が鳴った。
◯
のべつ幕なく放たれていた雷が、ピタリと止まった。
暫くすると雨足も落ち着いてくる。
雲が割れて、辺りに日の光が射した。
静かになった地上には蒸気が立ち込め、仄かに熱を持っている。
勝敗が決したことを悟ったコガネは、耳鳴りのする頭から手を離すと、門の残骸から再び這い出た。
視線の先に、雷撃の残光を帯びた鬼神が立っている。
その足もとには、顎と胸部を潰され、角をへし折られた無残な姿のヴァドワギーダが倒れていた。
勝ったのはトワキの鬼神だ。
しかし流石に限界がきたのか、雷に全身を焼かれた鬼神は、地面に膝を落とすと、すぐに黒煙となって消えた。
身体を取り戻し、倒れたトワキに、コガネはすかさず駆け寄った。
「トワキ大丈夫? 火傷してる」
「この程度、平気さ。今回は鬼もすぐに消えたみたいだ。良いのか悪いのか、鬼の力が馴染んでしまった」
「無事でよかった。……本当に」
コガネはトワキの震える手を握った。
「まだ怖いんだね。仕方がないよ」
「もう大丈夫だ」
トワキが立ち上がると、その後ろ、ヴァドワギーダの死骸の中から、ライチのか細い声がする。
「まさか、
トワキはふらつきながら声のもとへと近寄っていく。
瀕死のライチはぐったりとした様子で、潰されたヴァドワギーダの胸部から半身を出していた。
「ライチ、矢張りお前がこの怪物の憑代だったか……」
「あぁ、そうさ……トワキ……」
ライチはトワキに呪いの眼差しを向ける。
「ワタクシは死ぬ……。お前が殺したであろう……数多の人々と、同じく、お前を恨んで……なぁ……」
鬼めが──。最期にそう残して、ライチは瞼を閉じた。もう二度と開くことはないその瞼から、一筋、血が流れる。
「そうだよライチ。如何にも私は鬼だ。私はまた恐怖に呑まれた。無我夢中で……お前を殺した」
「トワキ違う」
コガネがトワキの側に寄る。
「トワキは私とヤエを命懸けで守ってくれた。そんなあなたが〈鬼〉な訳がない」
コガネの衣から出てきたヤエも、その意見に同意してか、トワキの肩に飛び移ると頬を擦り付けた。
「ありがと」
そう言って、トワキはヤエの頭を撫でた。
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