第8話・颶風の怪獣〈イオラ〉


 ◯第八話・颶風の怪獣



 日姫神子ヒメミコの呪いで彼岸山ひがんざんから広がる瘴気は、風となって吹き荒れて、呻きを上げながら人里を目指す。


 更に多くの〈死〉を取り入れる為に……。

 

          ◯


 トワキ達が逗留しているヨズモの里に、分厚い雨雲がのしかかる。


 静かに降る雨に紛れて、空には光るものがちらついている。

 雲が垂れる。

 光の粒を撒きながら、幾本もの長い帯が雨雲を貫いて現れた。帯は螺旋を描いて降りて来る。



「竜巻か? 誰かナザキを知らんか?」


 薬種屋の店先に出たオオクラは息子の心配をするが、店の者達は皆首を傾げる。


「仕事はいい、走れる者は外にいる者達を家の中に避難させろ」


 オオクラは少し不安になってきた。

 胸騒ぎがする。

 これからよくないことが起きるような、そんな漠然とした不安が胸の奥に湧いてきた。


 螺旋は徐々に里に降りてくる。


 空から降ってくる光の粒を追って、子供達が雨の中を駆け回る。

 粒を取ろうと皆んなで手を伸ばし、我先にと飛び跳ねる。

 舞い落ちる光る粒の下で、小さな手がぱちん、ぱちんと拍子を取って……遂に捕まえた。

 光の粒を捕らえた子供の周りに、友達が集まってくる。


 粒の正体は真白な……。


 「なんじゃ? 鱗か?」


          ◯


 里に降り立った螺旋は解かれ、六本の帯が羽ばたく。

 その瞬間、轟音と衝撃が里を襲い、爆風が家屋を吹き飛ばした。

 砕けた大量の木片が、空に撒かれた。

 咳き込む人。

 悲鳴を上げる人。

 静かな雨は騒乱をもたらした。

 土煙の中で、巨大な人影が起き上がる。その背には三対の帯状の鰭がなびいている。全身を覆った丸い鱗の上には光沢が滑り、頭頂部に立つ板のように扁平な双角は黄金の輝きを放っている。


 暴風の化身・イオラ出現。


 イオラ、その帯鰭を振るい、旋風を巻き起こす。

 帯鰭の軌道に沿って放たれた颶風ぐふうが、更にヨズモの里を破壊する。

 巨壁が如く巻き上がる風塵。

 人々が擦り潰され、血肉が地面に赤黒い筋を引く。

 帯の乱舞が発生させる風の刃は平穏を切り裂き、乱流が作る竜巻は絶叫をも吹き飛ばす。

 もはや警鐘を鳴らす者もいない。



「皆急いで山の砦へ避難しろ!」


 荒ぶる神の出現に気圧されたオオクラだったが、すぐに里長として皆を動かす。

 そのオオクラの指示に声が被る。


「ダメだっ!」


 喘ぎ喘ぎ、声を重ねたのはコガネだった。胸元にヤエを抱き、顔には擦り傷が付いている。


「アレが呪の化身なら、狙っているのは人そのものだ。だから人の集まる里に来たんだ! 皆んなを密集させず散らして! 早くっ!」



 イオラの背より伸びた六本の帯鰭が、天高くに昇る。操られた空気の流れは、怪物へと引き寄せられていく。それを解き放てば、里は、人は、全ては木っ端微塵に吹き払われるだろう。


 オオクラの握り締めた拳が硬くなる。


 ──化け物め、丸ごと吹き飛ばす気か⁉︎ …… ナザキ!


          ◯


 ナザキは破壊された里の中心で跪き、震えて動けなくなっていた。

 既に他の子供達は颶風に晒されて、ただの肉と化した。 

 ナザキの幼い顔が恐怖に染まる。


「どしたんじゃ? 皆んな死んだんか?」


 吹き荒ぶ風の音と共に、イオラの咆哮が里中に響き渡る。


『ハアアアアァ!』


 全てを破壊するべく、力を溜めるイオラ。

 突如、イオラの前方に、黒煙の塊が現れる。


『ナザキ逃げろ!』


「んじゃ⁉︎」


 その響く声の主は……巨大な鬼だ。


 既に鬼神と化したトワキはイオラに殴り掛かる。


『聞こえないか! 早く逃げろナザキッ!』


「鬼が喋っとる⁉︎ そん声はトワキか!」


『この化け物は私が倒す!』


 イオラに拳が入る。殴られた巨躯からは雨水と共に鱗が散る。風神・イオラは大きくよろめいた。


「トワキ! 勝つんじゃぞー!」


 逃げるナザキに頷いて、鬼神は更に攻撃を加える。

 イオラは帯鰭を展開させる。

 広がった帯鰭は直角に折れ曲がり、鬼神の身体に突き刺ささる。

 しかしそれでも鬼神は怯むことなくイオラの肩に手刀を打つ。

 高くから風を切って落とされたその一撃に、イオラは倒れた。


『終わりだっ!』


 鬼神は倒れたイオラの顔面目掛けて拳を放つ。

 土煙を上げ、地面を穿つ鬼神の拳。

 間一髪でその身を浮かせ鬼神の攻撃を逃れたイオラ。

 回転しながら地表すれすれを飛翔するイオラの突風に、瓦礫が撒かれる。

 里外れの山地に降り立つイオラ。雨足が強まる。風神の怒りが嵐を呼んだ。


 鬼神は土中にめり込んだ腕を引き抜くと、イオラを追って壊滅した里の中を進んでいく。

 風紋を踏む潰す鬼神の一歩一歩にトワキの怒りが乗っていた。

 ヨズモの里を破壊し、そこに住む人々を殺した者は、たとえそれが神と呼ばれるに値する存在だとしても、トワキには許すことはできなかった。


          ◯


 イオラ目指して歩く鬼神を、瓦礫越しに仰ぎ見るコガネとオオクラ。

 そこへナザキが駆けてくる。


「オオクラー!」


「ナザキッ! よく無事だった!」


「あの鬼はトワキじゃ! ナッポもテイヤも、みんなあのヒラヒラの化け物に殺されちまったけどトワキがわしを助けてくれたんじゃ!」


 コガネは鬼神を見つめる。


 「トワキ、もう怖くはないんだね……いえ、怖くても……」



 迫る鬼神目掛けて帯鰭を振り、イオラは風の刃を放つ。

 鬼神は渾身の力を込めた掌底をイオラに向けて突き付けた。

 風刃を割り、放たれた掌底の風圧は、イオラの巨躯を仰け反らした。


『ヌゥウッ!』


 イオラが怯む。

 更に迫る鬼神。その口腔には紫炎が溜まる。魔界の炎の高熱に、頭部に降り掛かる雨水は一瞬で蒸発する。

 蒸気に包み込まれた鬼神の頭部より、トワキの震えた声が発せられた。

 

『済まない、ケイテイ、カドダイ。あなた達の大切なものを奪った鬼の力で、私は私の大切な者達を守る』


 鬼神の放射した紫炎は飛び上がるイオラの脚を焦がした。

 鬼神に勝てないと判断したイオラの巨体が、吸い上げられるように宙高くへ昇っていく。

 天へ逃避するイオラを見て、ナザキが喜ぶ。だが、オオクラの顔は依然暗い。


「やった! 逃げる気じゃ!」


「ここで逃せばまた来るぞ」


 断続的な地響きが里に伝わる。

 鬼神が山を駆け登る。そしてその山を踏み台に高く跳び、空を泳ぐイオラの長い帯鰭の一本に掴まった。

 遥か天上へと上昇するイオラと鬼神。

 ナザキが首を傾げる。


「んじゃ? 上がるはいいが、トワキ鬼は、飛べるんか?」



 嵐の中、イオラと共に雲の中へと消えた鬼神。

 それを追って天を仰いだコガネは、震える胸にそっと手を当てた。

 不安が心臓を押し潰そうとしてくる。


 ──トワキ、死なないで。


          ◯


 繁吹く嵐の渦の中。雲中で戦う二体の怪獣。


『オラァ!』


 鬼神は掴んでいた帯鰭を引いてイオラを手繰り寄せ、双方の位置が入れ替わり交差する刹那、一撃を入れる。

 イオラが吹き飛ばされて張った帯を、更に引き寄せる鬼神。イオラをまた殴る。

 弾ける雨。飛び散る鱗。天空で咲くイオラの血潮。

 衝撃で雲が裂け、増えていく薄明光線に照らされる二体の空中戦。 


 それをコガネは祈るように見つめる。その頬を雨粒を押し退けるように涙が伝い落ちた。

  

 赤い雨がコガネの目の前に降り注ぐ。

 それが鬼神の血か、あるいはイオラの血なのかはコガネには分からない。

 しかし涙は止まらない。

 傷付いても自分達を守ってくれるトワキへの感謝と、トワキを数々の戦いに巻き込んでいる自分自身への罪悪感が目から溢れ出る。


 血の雨は激しさを増す。

 

 なおも逃避を図るイオラに対し、攻撃の手を緩めない鬼神。手繰り寄せたイオラを蹴り飛ばし、反動で戻ったところに正拳を突き刺す。拳の皮が剥けても、その威力は下がらない。

 イオラの全身の血が弾け飛び、赤月が如く空に広がった。

 衝撃波が暗雲を散らす。舞い散る鱗の中で、次々と決まる攻撃の嵐。

 伸縮を繰り返したイオラの帯鰭が、遂に千切れた。

 鬼神の最後の拳が、天空に開いた青空の大穴に、イオラを突き飛ばす。そして限界まで口腔に溜めた紫炎を、イオラ目掛けて一気に噴射した。


『バァアアアッ──』 


 断末魔の叫びを上げ、燃える風神は爆発霧散する。


 嵐は過ぎ去った。


          ◯


 天より落ちる鬼神。その身体からは黒煙が伸びる。

 

 落下する鬼神の内部で、トワキは思案する。


 ──ダメだ消えない。いや、第一、鬼を全て消したら生身の私が衝撃に耐えられる訳がない。


 そのとき、コガネと初めてあった日の言葉がトワキの頭をよぎる。


 ──「恐れないで、この怪物はあなたの恐怖の形。恐怖を支配したときに怪物の力があなたの刀となる。扱えるはず」


 鬼神は自らの腕を見る。その前腕には沢山の骨の板が張り付いている。


「この鬼の力を信じるしかない……やってやるさ、コガネ!」

 


 爆散するイオラを見て両腕を広げ喜ぶナザキの横で、コガネとオオクラは黒煙の糸を引きながら空を落ちてゆく鬼神を見つめていた。


「かつてこの地には荒れ狂う國津神がいて、人々は苛まれていた」


 口火を切ったのはオオクラだった。


「しかしある夜、一柱の天津神が現れた。鬼の神だ。天津神は國津神を下し、俺達は里を取り戻した。天津神はその後消えてしまった……」


「トワキの鬼神がそうだと?」


 そう尋ねたコガネに、オオクラは首を大きく横に振った。


「まさか。だが今、俺達はそれと同じものを見ている……大丈夫、トワキは死なんさ。きっと」


 オオクラの目は真直ぐに、落ちる鬼神を見据えている。



『ウオオオオッ!』


 鬼神を介して発せられたトワキの叫びが、天に轟く。

 それに答えるように、左前腕部に張り付いた骨板こつばんの一つが前方に突出し閃光を放った。


『鬼神よ! 我が恐怖を我が刀としろ! 折角私に取り憑いたんだ、こんな所で見す見す殺してくれるな!』


 恐怖を超え、己の意志で生を求めたトワキの思いに、武を司る鬼の神は答えた。

 骨の鞘を砕き、白く光るは鋭い刃。乾いた灰色の鬼神の腕より現れたのは輝きを放つ刃・〈十拳とつかの剣〉。

 トワキは鬼神の半身を、その剣で切断する。


『グッ……少しでも軽く!』


 大地が迫る。間髪入れず右腕も斬り落とす。

 赤い血が空に直線を引く。

 鬼神はトワキ本体を内包する胸部を左腕で庇い、山に突っ込む。


「トワキーッ!」


 コガネは思わずその名を叫んだ。

 大地を走る衝撃は里を揺さぶる。

 誰も立ってはいられない中で、コガネだけが落ちた鬼神のもとへと駆けていった。


          ◯


 コガネは削れた山腹を登る。辺りの木々は薙ぎ倒され、土砂に埋もれている。

 鬼神が墜落した山はその凄まじい衝撃に穿たれて、巨大な穴が開いていた。

 コガネは大穴のふちに立つとトワキを探して穴の中を見下ろした。湯脈が突かれたのか、大穴には湯が溜まっている。

 辺りには煙が充満している。湯気と土煙に、鬼神の巨体を形成していた黒煙も混じっているのかもしれないが、コガネには判別できない。

 コガネは肩に乗っていたヤエを下し、大穴に溜まった湯に飛び込む。

 湯はとても熱かった。

 それでもコガネは泳いだ。トワキを探す為に。


 穴の中央。鬼神の片腕が湯より突き出ている。暫くすると鬼神の腕は黒煙へと溶けて消えた。


「ト、ワキ……」


 コガネは急いでそこへ向かうが……。


 湯気に包まれた大穴の中に、コガネ一人が湯に浮いている。

 他には誰もいない。


 トワキの死という受け入れ難い考えが、現実味を帯びてコガネの心に湧き出てくる。


「そんな……」


 絶望感に打ち拉がれたコガネだが、その横をヤエが泳いで過ぎていくのが見えた。


「ヤエ?」


 泳ぐ獣は湯気へと消えた。

 そのとき。


「痛い! 指を噛まないでくれ!」


 湯気の先で誰かが叫んだ。

 やがて湯気が晴れると、湯に浮くトワキがコガネの目に映った。その頭にはヤエが乗っている。


「トワキ!」


「コガネか!」


 コガネは直ぐにトワキの元へ泳ぐ。

 そして、トワキとコガネは頭だけを湯に出して向かい合う。


「死んだと思ったろ? 私も思った」


「私は思ってない。思ってたらこんなとこに来てないよ」


 コガネの濡れた睫毛に、トワキは湯を浴びせ掛けた。


「うわ! 最悪……こなきゃよかったかな」


「そんなことないよ。さぁ帰ろ、里も大変だろうし」


「うん!」


          ◯


 後日。

 朝日の下、里を発とうとするトワキ達をオオクラとナザキが見送る。

 ナザキはヒビの入った眼鏡の下で、寂しそうな目をトワキに向ける。


「本当に行くんか?」


「すまんな。いろいろ手伝いたいが、今回の件で私も悟った。早く彼岸山ひがんざんを崩さなくては、またあの怪物みたいなのが、ここを襲うかもしれん」


 トワキは荒れたヨズモの里を眺める。建っている家屋の方が少なく、瓦礫の下にはまだ人が埋まっている。

 オオクラの薬種屋も茅葺き屋根の一部がずり落ち、トワキ達が借りていた家も半壊した。


「トワキ、また来るんじゃ! 一緒に小便するじゃ!」


「ああ」


 オオクラが前に出る。


「トワキ、コガネ、俺も君たちを待っている。里も今はこんなだが、すぐに立て直すさ。それに……」


 昔のことだ、オオクラはそう言って続ける。


 オオクラがまだ五つか六つ、今のナザキとそう変わらぬ歳の頃……ヨズモの里近くの山に、大猿の國津神が棲みついた。

 猿の国津神は、度々里に降りては人を攫い喰らっていた。

 猿神を恐れた人々が里から次々に去っていき、ヨズモの里は存続の危機に瀕した。

 そんな頃に、オオクラは父と二人で暮らしていた。

 オオクラの父は余所からこの里へ来た旅人だった。

 旅の危険を知っていたオオクラの父親は、まだ幼い娘は里の外では生きられないと考えたのだろう。猿神が現れてからも、オオクラ達親子はヨズモの里に残った。

 ある夜、里に猿神がやって来た。

 そして遂にオオクラ達親子が住んでいた家も壊され、猿神の手に幼いオオクラは捕えられた。

 オオクラが猿神に喰べられようとする、そのとき、オオクラを掴んでいた猿神の腕が斬り落とされた。

 頬に傷を負い血を流すオオクラの遥か頭上、一角の蒼鬼が唸りを上げていた。

 猿神が蒼鬼に跳び掛かる。

 だが巨大な蒼鬼は容易く猿神を受け止めると地面に叩き付け、そのまま踏み殺した。

 猿神を倒した蒼鬼は傷を負った幼いオオクラを見下ろした。

 蒼鬼の瞳孔が尖る。

 蒼鬼は雄叫びを上げると、額に伸びる自らの角をへし折りそれを自身の胸に突き刺した。

 蒼鬼は血潮を吹いて倒れる。

 崩れて煙と消えた蒼鬼の身体から出てきたのは、オオクラの父親の死体だった……。



「なぜ父が鬼になれたのか、どうして自ら命を経ったのかは俺には分からない」


 オオクラはそう言うが、その理由をトワキは分かる気がした。


「とにかく俺も、この里も、鬼には助けられた恩がある。またいつでも俺達〈ヨズモの民〉は、君達を歓迎するよ」


 コガネが寸の間、瞼を閉じた。


「オオクラ様、トワキのことありがとう。私達は旅を続けます……さようなら」


 トワキにはこの〈さようなら〉がとても寂しく聞こえた。


 ヨズモの里を出発し、二人は旅を再開する。

 王陵の國、天蓋の伴山を目指して。災いの元凶たる日姫神子を討つ為に。

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宇宙怪獣メギドガンデ 伊吹参 @ibk3

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