第7話・飛蟲の怪獣〈ゾガ〉


 ◯第七話・飛蟲の怪獣



 トワキが起きると連子窓の外は橙色に染まっている。部屋に籠っている為か、最近は気付くと寝ていることが多い。

 腕を見ると包帯が新しい物に変わっていた。

 あれから傷の痛みもなくなった。オオクラの処置もあるが、矢張り鬼神の力だろう。


 暫くして……。 


「はふ〜ぅ」 


「フルルッ!」


 部屋に戻ってきたコガネとヤエは、妙にさっぱりしている。心なしか、頬も紅潮して見える。

 気になったトワキが尋ねる。


「何?」


「わからない? この里は温泉が湧くんだよ。そこの衝立の奥から渡り廊下を進んでいけば、お風呂場があるんだ。あ〜気持ちよかったなぁ」


 確かにトワキ達が使っているこの部屋の奥には衝立があるが、トワキはその先を気にしたことがなかった。


「大きな家なんだな。しかし余所様のうちで勝手が過ぎるんじゃあないか」 


「ちゃんと許可もらっているんだけど。オオクラ様が傷に効くからトワキも入ればいいって」


「ふ〜ん」


 トワキが気の抜けたような返事を出すと、コガネが笑った。


「ふ〜んだって、ははっ。私達は涼みにお外に行こ! ヤエ」 


「フガッ」


 ヤエが鼻を鳴らして返事をした。

 

 トワキの顔が曇る。



「君さ、ニギの村のこと忘れているんじゃないか? よく一人で外をほっつき歩けるね」


「ここにはあんなのいないよだ。ヤエもいるしね」


「ヤエはあのときもいただろ」


 トワキの心配を余所に、コガネはヤエを連れて外へ出ていく。家の中はトワキ一人だけになった。


          ◯


 トワキの傷が癒えてくると、オオクラがこの家へ来ることは少なくなった。薬種屋をしていると言っていたから、そちらで暮らしているのだろうか。そのうち寄ってみようと、トワキは考えた。

 息子のナザキの方はたまに来てはトワキと話しをする。


「凄いな、透明だ。何だい? ソレは」


「コレは眼鏡メガネじゃ! オオクラがイコクから取り寄せたんじゃ! わしは目がよくないんじゃ! だけどこれをつければよく見えるんじゃ!」


「ほう、便利な物があるんだな」


 トワキはナザキの顔に張り付いた、眼鏡メガネという物がとても不思議に思えた。丸い透明な板が両目の前に一枚ずつ、鼈甲べっこうの枠に嵌め込まれ固定されている。この前まではそんな物は身に付けていなかったはずだ。


「相当高価な物だろう? 盗まれないよう、気を付けなよ」


「オオクラ怖いから! 誰がそんなことをするんじゃ⁉︎」


「たとえば私とか」


 トワキが冗談を言うと小さな拳でポカポカと叩かれた。ナザキは同じ頃のトワキと比べ、百倍元気だった。


「コンニャロ! コンニャロ!」


「あぁっ。よしてくれ、私は怪我人だから。まったく暴れん坊だな」


 とは言え、適当にいなしておけばいいナザキの相手は、トワキにとっては楽だった。むしろ相手して楽しいとも思えた。


「ヤエがいねぇんじゃ! アレ可愛いんじゃ!」


「可愛いかな? 噛むから見かけても指を出したりはするなよ」


「しつけろや!」


「本当にそうだね」



          ◯


 日が落ちてくる。ヤエは昼の散歩に疲れたのか、部屋の隅で寝てしまった。

 トワキはコガネに連れられて外へ出る。

 トワキはずっと部屋で寝ていた為、この里をゆっくり歩くのはこれが初めてだった。


「夕餉は喰べた?」


「お連れさんの怪我はもういいの?」


「この先で市が開かれてるよ」


 人と擦れ違えば声を掛けられる。

 コガネはすでに何人もの里の者達と親しくなっていた。

 

 ──この娘は人と関わるのが、余っ程好きなのだろう。


 二人と一匹だけの旅では、中々知ることができないことだ。


 トワキ達が店で夕食を済ます頃には日は沈みきっていた。


 夜になり、里のあちこちから上がる湯気を、沢山の灯火が橙色に染めている。


 トワキは初めて火を美しいと思った。


 トワキとコガネは夜の里を歩く。里の道はそれなりに広く、石畳が敷かれているので歩きやすかった。

 威勢のいい行商人が、人を呼ぶ。見ると、鼈甲の櫛がある。色合い艶やかな反物や、細かな硝子の飾りが、光の粒を弾いている。黒い布に並べられた、綺麗な鱗は何のものだろう。

 夜を飾る活気ある露店の数々には、翡翠色に琥珀色、朱色に瑠璃色などの色とりどりの品々が沢山並び灯火に照らされている。

 一度にこれ程の色数を見たのは、トワキには初めてと思われた。


「灯火が綺麗だね。いっぱい灯って、夜なのに昼よりも明るくって、とても不思議だよ」


 コガネは目を輝かせている。


「火事が怖いね」


 そう言ったトワキをコガネが睨む。


「あなたすぐに悲観的になるよね〜。でもね、トワキはこの里が好きでしょ? 表情が柔和になった気がするよ。もうここに住んじゃえば」


「どうかな。旅の途中で君をほっぽり出すなんてこと、そんなことをしたら君は許さないだろ」


 コガネが笑う。


「あははっ。あったりまえだろ! ぜったいに許さない!」


「ほらね」


 行燈が明々と灯り、店が賑わい人々が歩く。

 声が飛び、笑ったりゲロを吐く。

 暖かい光はどこまでも連なる。

 それを眺めるコガネは、なぜか悲しそうな顔をしている。


「ここにいる人達は皆んな、いつかは死んで消えるんだもんね」


「君まで悲観的になるなよ」


 コガネが不意な言葉にトワキは困った。

 しかしコガネは「分かってないな」と言って笑う。


「コレはそうゆーのじゃあないんだ。むしろ逆で、朝になれば消えてしまう夜の星々を見て、綺麗と思うような、そういう感じだ」


「星は次の夜にはまた出るだろ?」


「違うね。その夜の星達はその夜だけのものだよ」


「よく分からんな。人が死ぬのを見たいってことかい?」


「本当に分かってないんだね……ねぇ、せっかくだし何か食べよ!」


「もう喰べたろ。命と同じで路銀にも限りがあるんだが」


「ねぇ、せっかくだし何か食べよ!」


「分かったから、同じことを繰り返して言うな」



 二人は夜の人混みに入る。灯火とも混ざって、雑多な色へと溶けていく。


 誰がどこにもいるかも、何があるかも、分からない。


 ただ溶けた夜光の畝りがそこにはあった。


          ◯


 次の日。


「ジャリがぁっ!」



 トワキ達の逗留するヨズモの里に、オオクラの怒声が轟いた。


 すぐに薬種屋から、叱られたナザキが飛び出してくる。大方、悪戯でもしたのだろう。


「こっわいの〜! あっお前は!」


 ナザキは偶然近くを散歩をしていたトワキに気が付いた。


「今の怒号は傷に滲みたよ。おイタも程々にしろな」


「ゲンコされんかっただけマシじゃ! トキワはもう歩けるんか!」


「トキワじゃなくて、トワキな。別に脚は怪我をしていないからね」


 トワキの頭上を見上げるナザキのつぶらな瞳が眼鏡越しに輝く。


「ヤエもいるんじゃ!」


 ナザキは両腕を広げて喜んだ。

 トワキは頭に乗せていた獣を、ナザキの眼前に持ってくる。

 ヤエはナザキの眼鏡に興味を出したのか、触ろうとするが、その短い前脚が届くことはない。

 ナザキもヤエを撫でようとするが、ヤエはその手に噛み付こうと吻を突き出す。ナザキは一旦はその手を引っ込めるが、またすぐに出して……応酬が始まる。


「もうやめとけ」


 トワキはヤエを地面に下ろす。


 オオクラの営む薬種屋はとても大きかった。茅葺き四階建て。地面に付くほどに流れる切妻屋根の先からは、湯気が上がっている。店の板壁には、何やら書かれた沢山の看板が並ぶが、トワキにはその文字が読めなかった。

 店の内からは、様々な薬材の匂いが混ざってできた独特な香りが漂っている。身体に効きそうなその強烈な匂いに、トワキは「うっ」と呻きつつも、いつもより深く呼吸をしてみた。心なしか元気になった気がした。


「薬買うんか?」


「それもいいかもね。今後も旅で怪我することはあるだろうし。でもさっきの怒号で入るのが怖くなった」


「薬ぐらい、そんなもんわしが後でちょろまかしたるわ!」


「やめろよ! 私が怒られる」


 トワキは焦った。ナザキにトワキの常識は通じない。


「なぁ、わしは今から河に小便しにいくけぇ、トワキもくるんじゃ!」


 トワキはナザキの誘いを断る。


「厠でしろ」


「嫌じゃ! 嫌じゃ! せせこましい! 河でするんがええんじゃ!」


「あぁもう! 分かった。分かったから。面倒くさい砂利め、私の負けだ」 


 駄々をこねるナザキに、トワキは折れた。


 河への道中、トワキはナザキの案内で里を回る。

 ヨズモの里は起伏に富み、路地には沢山の石段が伸びている。そんな里だからなのか、足湯や四阿あずまやなど休息場所が多く、休憩がてらに談笑している人達がよく目に付いた。


 道の開けた先、大層立派な酒屋があり、人々で賑わっている。

 店の軒先に吊り下がるとても大きな玉は杉玉というらしく、トワキは初めて見た。大量の杉の穂を集めて作られたその玉が、いつか重さに耐えきれずに落下し、下にいる人達を潰しまうのではないかと、トワキは不安になった。

 ナザキは何が楽しいのか、その杉玉に拾った小石を投げている。

 小石が杉の穂の間に挟まると、ナザキは「ケケケ!」と笑ってトワキを見る。


 ──オオクラ様の怒号が響く訳だ。


 呆れたトワキは笑うナザキを無視することにした。


 後でヤエが呑む酒を買おうか──などとトワキが考えていると、匂いに釣られたのか、ヤエは今にも店の中へ入ろうとしている。

 トワキはヤエを掴み上げ、何とか店への侵入を阻止できたが「シャー! シャー!」とうるさいので、トワキはその場で酒を買ってしまった。


          ◯

 

 トワキとナザキは河に着いて用を足す。辺りには木々が生えている。淙久そうそうと流れる河の上に、平たい岩が半身を出していた。

 トワキはその岩に乗り、脚を伸ばして休んだ。河は広く、水は澄み、泳ぐ魚が何匹もいる。そして何より、涼しさをトワキは気に入った。避暑には最適である。

 浅瀬は河底に沈む石の影響か、細かな波が立っている。

 対してその奥。まるで時間が進むんでいることを忘れたかのように、ゆったりと流れる深間の水面に、荒々しい山肌が映っている。木々が根差さず、露出した岩の肌は、真昼の陽光を白く弾いている。


 暫くして、トワキはヤエに酒を酌んでやった。


「コイツ酒を呑むんか? 不気味な獣じゃの〜!」  


 酒を舐めるヤエに、ナザキは顔をしかめる。


「可愛いんじゃなかったのか?」


 トワキは尋ねたが、ナザキは「ソレとコレとは別じゃ」と言って首を横に振った。


「酒飲みは小便が臭いから嫌いじゃ。わしゃそれを嗅いで吐いたことがある!」


「ヤエのしっこは果物の匂いだよ」


「今に臭くなるわい! トワキも気を付けるんじゃぞ」


 トワキは不安になって、酒を舐める獣を見つめた。


 ──そんなに臭くなるのか?


          ◯

 

「蟲だー!」


 トワキ達が尿の話しをしていると、里から叫び声が響いてきた。

 それを聞いて、座っていたナザキがすぐに立ち上がった。


「トワキ、蟲が出たんじゃ!」


「虫? カブトムシか? しがみ付く力が強いから、気を付けないと虫の爪が皮に食い込んで痛い思いをすることになる」


「違うわ馬鹿たれ! 人間を喰うバケモンじゃ! 最近里近くの森に棲みついたお化け蟲じゃ!」


「呪か」


 蟲とは一体何か。その答えはトワキにもすぐに分かった。


 視線の先、飛翔する巨蟲が、こちらへ向かって来る。大人の身の丈ほどはありそうな四枚の翅を、激しく羽ばたかせて、高速で空を移動する蜂のような怪物。


 巨蟲・ゾガ出現。


『キュイィーン!』


 蟲の翅が空気を切る音か、鳴き声なのか、耳を劈く程に甲高い音が聞こえてきた。

 そして。


「ウキャアァー!」


 それに負けず劣らずの金切り声。こちらは人の子供のものだ。ゾガに捕らえられた女の子の叫びだ。


「子供が捕まっているぞ」


「ありゃナッポじゃ! わしの友達じゃ!」


「刀を持ってきてよかった」


 トワキは岩の上に置いていた刀を腰帯に差して、岩の上に立ち上がる。


「トワキお前、ゾガを倒しに行くんか⁉︎ ケガは⁉︎」


「大丈夫だ。早くしないとあの子が喰われる」

 

 トワキはそう言って、岩を蹴り、勢いよく跳ぶ。少しして、背後よりナザキの声が追ってきた。


「ゾガは毒針をもっとる! トワキ用心せえー!」


 トワキは家屋の屋根伝いに駆けてゆく。


 石置きの屋根は揺れる。置かれた石が跳ねて、板は砕けた。脚が沈むよりも早く、トワキはまた跳ぶ。

 

 トワキは勢い殺さず、飛翔する巨蟲の前方に飛び込み、身を翻し一撃。


 人々のどよめきが聞こえる。下では里の者達が戦いを見守っている。


 斬られたゾガの体毛が空中を舞う。


 トワキの振った刀は蟲の胸部から脚までを斬った。

 トワキはその一瞬の間に、捕まっていた女の子の襟を掴んで、巨蟲より引き離す。そして降り立った屋根の上に、助けた女の子を下ろした。


「あ、ありがと」


「いい。下がってろ」


 礼を言う女の子を背に隠し、トワキは刀を持ち直す。

 斬られてもまだ飛翔するゾガ。腹部を曲げ、毒針を突き出す。


『キイィーン!』


  甲高い音を鳴らして、巨蟲がトワキに迫る。


「針……ナザキが言っていたやつか」


 刀を構えるトワキ。

 突如ゾガの腹部先端が破裂する。

 その勢いで放たれた毒針が音が伝わるよりも速くトワキに向かって飛んできた。


 そのとき、トワキの瞳孔が縦に割れる。それは闘志に満ちた鬼神の目と同じだ。

 

 トワキはその目で、飛んでくる針を見切り、左手で掴み取った。


 毒針の矢を受け止められたゾガは、トワキを喰い殺そうと鋏のような顎を開いて突進する。


 利刃の軌跡が鋭い三日月模様を描いた。


 トワキはゾガの開かれた大顎を、その頭ごと刀で切り落とした。

 ゾガは頭部を失ってもなお羽ばたいている。

 トワキは左手に掴んだ毒針を、ゾガの胸部の傷口に思い切り突き刺した。  

 自らの毒に侵されたゾガの動きは徐々に鈍り、やがて静止する。


 巨蟲・ゾガは死ぬ。


 下から勝負を見届けていた人々は、屋根から滑り落ちた巨蟲を見て、暫くの沈黙の後に一斉に歓声を上げた。


「いやったぞぉ!」


「遂に蟲を討ったっ!」


「ナッポは大丈夫か?」


「彼がやってのけた!」


「ありがとう旅人さん!」


 持て囃されたトワキはすぐに照れ臭くなってしまって、女の子を道に下ろすと、すぐに逃げた。


「あれはそーいう人だから!」


 走るトワキの後ろから、聞き慣れた笑い声がした。


          ◯

 

 河に戻りヤエを拾うと、トワキはナザキと共に帰路につく。トワキは片手に酒を持っているのが今になって少し恥ずかしくなった。


 ナザキはトワキに憧れの眼差しを向ける。


「凄いんじゃトワキは! それだけ強いと怖いものなしなんじゃろ!」


「そんなことないさ。でも、ナザキが窮地の時は私が助けてあげてもいいよ」


 トワキは得意そうに言った。

 その涼やかな流し目を喰らって、ナザキは照れ笑いをする。


「トワキのくせして調子にのるな! コンニャロ!」

 

「ハハハ」


 ナザキに脛を蹴られたが、トワキは笑う。


 トワキは人の為に、自身の力を役に立てたことがとても嬉しかった。


          ◯


 日が暮れてくる。トワキはナザキと別れる。ナザキはオオクラのいる、広い薬種屋の方で暮らしているらしかった。


「またな! トワキ! ヤエ! わしは寝るけ!」


「じゃあなナザキ」



 トワキが借家に戻ると、黄昏れに包まれた部屋にはコガネが一人、ぽつんと座っている。

 部屋に入るなり、ヤエはすぐにコガネに擦り寄った。やはりヤエが一番懐いているのは、コガネなのだ。


「トワキ、今日はよくやったね。奥の山からヒグラシの唄が聴こえるでしょ? あれはきっと、あなたを讃えている唄なんだ」


 トワキはコガネに褒められて、少し嬉しい気持ちになった。


「蟲を倒したら虫に褒められるのか? 変だね。でもまあ、いい音色だね。ヒグラシ達にはヤエに喰われないようしてほしい」


 コガネは笑う。だが、その眉にはどこか哀愁を感じ取れた。


「ふふ。私ね、今日はオオクラ様の薬種屋でお手伝いをしたんだ。そしたら急に怒号を上げるからびっくりしたよ」


「ふっ、それはおっかないね」


「そう、おっかないね」


 コガネはそう言うと、連子窓を見つめ、ヤエを優しく撫でる。彼女はそれきり何も喋らない。


          ◯


 夜、トワキは手に持った灯火を頼りに、部屋に置かれた衝立の先、ミシミシと軋む渡り廊下を進み、浴室へと向かった。


 浴室には、石で組まれた広い湯船があり、溢れんばかりに湯を湛えている。

 トワキは灯火を置き、湯に浸かる。


 ──温かい。


 かつてシトウ族の里で死ぬ為に行っていた禊ぎの沐浴とは随分と違う。

 トワキは生きるための入浴をした。


 高い天井に、太い丸太梁が、湯気越しに薄っすらと見える。


「本当に大きな家だ……」


 トワキが湯に浸かっていると、左手、引き戸を隔てて声がする。コガネの澄んだ声だ。


「トワキ……あなたに話したいことがある」


「どうしたよ? 改まって」


「私ね、何というか……今はコガネって名乗っているけど、昔は月姫神子ツキミコって名前だったんだ」


「はぁ……ツキミコ? 君にはコガネの方が似合っているよ」


「そうだね。それで、想像は付いたかも知れないけど、私達が討つべき悪しき巫女──日姫神子ヒメミコは私の双子の妹」 


「成程な……」


日姫ヒメはあなたと同じで、その身を憑代に天津神アマツカミを呼び寄せる。その神の名はメギドガンデ」


「メギドガンデ……いつか聞いた名だな」


「でも聞いて。本来メギドガンデの力は私のもの。私の魂をメギドガンデの身体に入れることで、その力を、少なくとも一時的には止められるはず。だからそのときが来たら、あなたは迷わずメギドガンデを倒すの」


「それは君ごとって意味か? 私は君の用心棒だよ」


「それでも、何でも。殺すの」


 その後、暫く沈黙が続いた。


 耐えかねたトワキが口火を切る。


「風呂、気持ちいいな。お姫様も入るか?」


「ドスケベ」


「冗談さ。私はドスケベじゃない」


「トワキ、灯があるなら消して」


「なぜ? 何も見えなくなる」


「それでも、何でも。早くだよ」


 トワキは灯火を消す。闇に包まれ何も見えなくなった。


 少しすると、引き戸の開く音がする。トワキの横で静かに湯が波打つ。

 そして肩と肩とが触れ合う。

 コガネと共に湯に浸かっている。それなのにトワキの心は不思議と平静だった。


「本当に来るなんて。スケベは君だったか」 


「うるさい。こっち見ないでね」


「何も見えないよ?」


「もしかしてこっち見てるの⁉︎」


「み、見てないよ。暗いって話しだ」


「……まぁ、いいや。ねぇ、傷に触っていい?」


 トワキは怪我をしていた左腕を上げる。その表面を、コガネの細い指がなぞっていく。

 トワキには光のない世界で指と傷跡とが触れ合う感覚だけが、現実のもののように感じられた。


「ざらざらしている。カサブタか。痛くない?」 


「全然。でも少し痒い。もう大分治ってきたし、この調子なら傷跡も残らないかもしれないな」


「あーあ、トワキには箔が付かなかったか」


「ふふっ、そうだな」


 二人はそれから暫く湯に浸かった。


          ◯

 

 月夜に輝く彼岸山ひがんざん

 まるで巨大な水晶の塊のようなその山は、天より生えて、地に向かって伸びている。結晶で作られた平らないただきには、血油が淀む。この世の理から解かれ、かつては神域とされた彼岸山ひがんざんの山頂は、今や呪いの場とかしていた。

 その天地が逆転した赤い床の上を、白く光るうちきが駆けていく。月光を刻むようになびく、銀色の長髪。瞳は血を見過ぎたのか、鮮やかな真紅に染まっている。


 彼女の名は日姫神子ヒメミコ。悪しき巫女と呼ばれる姫。


 日姫神子ヒメミコは声を張る。


「聞きなさい首達! 奴が近付いているよ。願を掛けてよかったね。随分と待ったわ……コガネ。あなたは神の世界へ行ったから、今生の別れとなったらどうしようと、幾度も案じたことよ」


 周りには切り落とされた人の首が、数多と転がっている。

 日姫はそのうちの一つを拾い上げる。血の床に張り付いていた髪が、頭皮ごと剥がれた。


「あぁ、もう可愛くなくなってしまったね。コガネ、私、お前の力で沢山の人を殺して、呪ったわ……ふふ、悲しむかな?」


 生首に溢れた彼岸山からは、呪いの瘴気が昇る。



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