第6話・鳴動の怪獣〈ヨウザンオウ〉


 ◯第六話・鳴動の怪獣



 トワキとコガネは夏の暑さに苛まれながらも、山に谷を、野や河を……長い道のりを歩き、今日まで旅を続けた。

 中々屋根のある場所で身体を横にすることができず、心身共に疲労が溜まる。「こむらが痛い」が近頃のコガネの口癖だった

 トワキはコガネを心配する。


 ──鬼により肉体の強化を受けた自分はともかく、コガネは普通の人間だ。体力の限界は近いだろう。


 それでもコガネは、今日もトワキを先導している。


 今日は朝から曇っていた。


 曇天の下は日差しに苦しめられないかわりに、別の問題があった。

 湿気の重さに耐えかねた羽虫が、空から降りて来るのだ。


「ぺっぺぺぺ! ぺっぺ!」


「コガネが馬鹿になった」


「ぺっんん! ぺっ! 羽虫が口に入ったんだよっ」


 コガネはそこらに唾を吐く。


「別にいいじゃないか、喰べてしまえば。私は既に諦めている。それに、沢山食べたら胃も膨れるかもしれないよ」


「馬鹿はあんた。人の胃が羽虫なんかで膨らむもんですか。そうだヤエに喰ってもらうんだ。そうしよう」 


 コガネはヤエを顔の前に持ち上げて歩く。コガネの思惑通り、ヤエは口をバクバクさせ、羽虫を喰べた。


「へへ、こりゃいいや──って痛! 私の指を噛むなよ」


 燻銀の獣は長い身体をコガネの手に巻き付け、その指を咥える。甘噛みをして、戯れているのだろう。


「お酒が欲しいんだよ」


「もうないよ〜。諦めて虫をお喰べ」


 暫く虫を喰べるとヤエは腹を満たし、自らコガネの背負う籠の中へと戻っていった。


 荒れた道を進んでいると、急にトワキが屈んだ。


 トワキは乾いた地面に手を当てる。遠方より、気味の悪い振動が腕を伝ってきた。ただの地震ではないようだ。

 振動は徐々に強まる。小石が揺れ、砂が跳ねる。何か途轍もないものがこちらに近づいている。


「あ〜あ、獣みたいに変な虫なんか喰ってるから腹を下すんだ。せめて茂みでしてなー」


「違う! 揺れている。コガネ、ヤエを籠に入れろ。何かデカいのが来るぞ!」


「ゾウ……とか?」


 震動が激しくなる。

 トワキは後方から感じるただならぬ気配に振り向いた。

 眼前には先程超えた山が座するばかりで何もないが、それでも刀の柄に手を添える。

 コガネの背負う葛篭の中で、ヤエが身震いをする。トワキと同じで、何かを察知したのだろう。

 やがて山から飛び立った鳥の大群で空が埋まった。疎な影が忙しなく地面を泳ぎ、騒々しい鳴き声が頭上から降ってくる。


「後ろに下がれコガネ! 私の後ろにだ!」


 轟音が鳴り響き、トワキの眼前で山体が崩壊する。


「うおおっ⁉︎」


 コガネが驚いて声を上げる。

 突如として現れた、津波のような不定形の怪物が、山を粉微塵に吹き飛ばしたのだ。

 怪物は巨大な鎌状の爪で地面を掻きながら、山を崩してもなお突き進む。


「呪の塊だー!」


 コガネが叫ぶ。


「化け物だ。早く私の背に乗れ」


 トワキはコガネを背負うと、大地を思い切り駆けた。


 迫り来る怪物。


 その始まりはまるで小魚のような粒だった。

 それは呪と取り込むうちに成長し、やがて鯨のような怪異となった。

 鯨の怪異は大地を泳ぎ、戦場いくさばを回遊する。そして多くの呪を吸い続け、さらにどんどん大きくなって、鯨は海となった。

 呪いの海は津波となって大地を侵し、今二人を呑み込もうとしている。


 大地鳴動の怪物・ヨウザンオウが現れた。


 大津波さながらの巨大な怪物は、進行を邪魔する木々を薙ぎ倒し、山をも喰らい猛進する。

 長い時間を掛け、数多くの戦場を渡ってきた怪物の体表には、かつてはつわもの達が身に着けていた幾つもの鎧が取り込まれている。その周りを煌めく、泳ぐ小魚にみえるものは怪物の目だ。


          ◯


 トワキはコガネを背負って野を駆け抜ける。


「トワキ、ダメだ追い付かれる」


 背中からコガネの諦めたような声がする。


「ならばどうしろと⁉︎ あんなものと戦ったって勝てやしない! 逃げるしかない!」


「トワキ……」


 地響きを立て、トワキの背後より、怪物の巨大段波が迫ってくる。


「トワキ、あなたにはアレを倒せる力がある。分かるでしょ?」


「何を馬鹿な。制御なんてできやしない」


「私と初めて出会った日、あなたは鬼の力を制御できた!」


 ニギの里で、現れた鬼神の身体を操り、その力を御したのは間違いなくトワキの意思だった。

 しかしトワキは未だ、鬼に対する恐怖を払いきれずにいた。鬼神を制御するだけの強い意志をもつ自信がなかった。


 ──今度はコガネを殺してしまうかもしれない。


 トワキはそれが何よりも怖かった。


「あのときは君がいて──」


「私ならいるだろ! 後は自分を信じるだけだ。トワキ、恐怖を支配して生きろ!」


 トワキの心に兄、ケイテイの顔が出てきた。

 兄が生きていて、今ここいるのなら同じことを言ってくれるのではないか。生きろと言ってくれはしないか。

 急に現れたその叶わぬ願望は、トワキには迫り来る死が漂わせた甘美な香りに思えた。


 鬼神をこちらに呼び寄せなければ、二人は迫るヨウザンオウに殺されるだろう。


 コガネは怖気付くトワキを説得する。


「トワキ諦めろ。逃げる道なんてもうないんだ! 死ぬか! 戦うか!」


 トワキは少し黙ったのち、引きつった笑みを顔に出した。


「人に戻れなくなっても知らんぞ」


 コガネも笑う。


「それも一興だ!」


「コガネが馬鹿に」


 トワキから出た黒煙が高く上がる。双角を伸ばし、尾を振り上げ、この世へ現れる鬼の神。


『──なった』


 鬼神は脚と尾を地面に沈め、かぎ形に展開した指より爪を伸ばした。


 鬼の中でトワキは意識を保っていた。

 トワキには不思議と鬼神の操り方が分かった。鬼神の手の開閉を繰り返してみると、その指の先にまで感覚が行き届いているのが分かった。


「いけた! 鬼を操れる」


 鬼神を形作る深い煙は、トワキの身体と一体となり、あたかも肉体を失ったかのような感覚を与える。

 鬼神の内部でコガネの声が響く。彼女も同様に肉体の境界を失い、鬼と一つになっているのだろう。


「トワキ来る!」


 鬼神と成り、構えるトワキに対し、津波が塊となって突貫する。


 ヨウザンオウの巨体を受け止める鬼神。


 激突する二体の怪獣。

 ぶつかり合う力は空気を震わし、大地には波紋が広がる。

 だがしかし、立ち上がった土砂が落ちるのを待たず、巨大な怪物の進行は再開する。

 その重圧に鬼神の脚が一層沈む。踏ん張る鬼神をヨウザンオウはものともせずに、圧倒的な力で押し動かす。

 その強大な体躯は、鬼神の大きさを遥かに上回っている。

 地中に抉り込んだ鬼神の脚が、地面を引き裂ながら滑走してゆく。


 ヨウザンオウの驀進ばくしんは止まらない。巨体の両端より段波の爪を形成し、大地を切り刻んでいく。


 怪物が山野を穿つ。小さな山が丸ごと崩れる。


 逆立ち、拡散する土砂。土煙は尾を引き、連なる山脈が如く迫り上がる。

 ヨウザンオウの勢いがまた加速する。大地の鳴動が止むことはない。


 トワキは焦る。


「駄目だ止まらない! このままでは押し潰される!」


 トワキは鬼神の最大の攻撃である、紫炎を放った。

 鬼神の目を通じ、トワキにも熱で焼けた怪物の表皮が、弾け飛ぶのが分かった。

 しかし、その高熱は鬼神の身体をも包み、その内部をも焼こうとしている。


「熱っ!」


「クソッ敵が近すぎる」


 トワキとコガネ、二人だけではない。ヤエも一緒に取り込まれ、この痛みを共有しているのだろう。「キュン!」という悲痛な声を上げた。


 すぐに紫炎を止める鬼神。


 天地を鳴動させ、爆走する怪物を前に、なす術のない鬼神。その背が小山を突き砕いた。強い衝撃に、二人と一匹は苦しんだ。


「やはり鬼と感覚を共有しているようだ。それよりマズいな、人里が近い」


 振り向く鬼神の視線の先には、大きな人里があった。

 また山が崩れる。


「グッ!」


       

          ◯


 里中に警鐘が鳴り響き、危機を知らせている。

 遠方より迫り来る土砂の嵐を、里の者達が不安気に眺める。

 女の声が皆を先導する。


「高台なんて意味がないぞ! 皆、できるだけ左右に散るんだ!」


 地響きが激しくなってくる。怪物の姿が里に近づく。



 鬼神の内より、コガネの声が聞こえる。


「トワキと初めて会ったとき、あなたが出した鬼は今よりも遥かに巨大だった」


 澄んだ声音は、トワキに覚悟を決めろと言ってくる。


「本当に……戻れなくなるぞ」


「荒ぶる神を鎮めるは、荒ぶる神のみ」


 トワキには何故だかコガネが笑っているのが分かった。信頼をしてくれているのが分かった。


 ──このままで逡巡していても、訪れるのは破滅だ。



「……分かったよ。君を信じて、私を信じる──現れろっ!」



 猛進する怪物の腹の下、黒煙の爆発が起きた。


 力を増す鬼神。その爪がヨウザンオウの身体にめり込んだ。


『ヴォオオウゥ!』


 地獄の底から轟くような鬼神の咆哮は、里を震わせ、人々を戦慄させる。

 黒煙を纏い、強大化した鬼神は、その力でヨウザンオウを押さえ、そのまま鋭利な頭部を打ち付けた。

 頭突きの衝撃は、ヨウザンオウの巨体を波となって駆け抜ける。

 ヨウザンオウはその威力に大きく仰け反った。

 鬼神は反った怪物の腹に、固めた拳を打ち込む。

 ヨウザンオウの巨体が大きく陥没する。


「うああぁ!」


 人々の悲鳴が上がる。強打の衝撃は里にまで届いた。

 更に拳が放たれる。泡が弾けるように爆発した衝撃が、突風と化して里に吹き荒ぶ。

 人々は轟音に耳を押さえ、振動に膝を折り、地面にうずくまった。


 打ち込まれる鬼神の拳はさらに加速を続ける。


 鬼神の両腕が風を切る度に生まれる赤熱の軌跡が、ヨウザンオウの山をも超える巨体を宙に浮かせた。

 鬼神は渾身の力を乗せて、強烈な一撃を叩き込む。その威力に天に突き上げられるヨウザンオウ。


 鬼神の体内を紫の光が上がる。



「私だけじゃあない。コガネ、君も覚悟を決めろよ」

 

「当たり前だ」


 トワキとコガネ、それにヤエは伝わる高熱に耐える。

 鬼神の口が開き、放たれた紫炎はヨウザンオウの巨体を焼き払う。

 怪物は徐々にその身体を焼失させながら、空へと昇り、やがて焼かれた死骸は塵芥となって地上に降り積もってゆく……。

 地響きは消えてなくなった。

 だがしかし。


『ヌアアァアッ!』


 鬼神の咆哮はなおも里を震わせる。


          ◯

 

 山間やまあいに浮かぶ双角の影。鬼神が里へ向かってくる。

 終わらぬ脅威に、里は騒然となった。

 絶大な力をもって、ヨウザンオウを下した鬼は、新たな破壊の対象へと進んでいく。


 トワキは鬼神を消し去ろうとするも上手くいかない。


「やはり戻れない、意識も眩んできた」


「あのときのように恐怖を払え! 鬼神はあなたの恐怖が作り出したものならば、それを支配するんだ!」


「一度上手くいったからって何度もできるわけじゃない」


 鬼神の脚はトワキの意思に反して動き続けている。

 鬼神を介してトワキの脚に伝わってくる、地を踏む感覚は、まるで破滅までの刻限を刻んでいるかのように思えた。

 トワキの心に焼け付いた、シトウの里での惨劇の記憶が、更なる恐怖を生む。


「ケイテイ……私はまた……」


 あの夜、鬼神によって潰された兄の最期が、再びトワキの眼前に広がった。


「トワキ!」


「駄目だ恐怖なんて払えやしない。目の前で人が焼けて死ぬ」


「詰まらないことを考えるな! そんなことを考えていたら何もできない、上手くいくことだけを、幸せだけを思え!」


 コガネはそう言うも、トワキの過去に根付いた死の呪いは、既に抗えぬ呪縛となっている。


「幸せなんてそんなモノ──」


 鬼神による悪夢が再現されようとしている。そのとき、「じゃあさ」とコガネが囁いた。


「……後で、私の乳を触らせてあげる」


「はぁっ⁉︎」


 不意の一撃にトワキは吹いた。


 その瞬間、鬼神が霧散した。


 トワキの恐怖は、一瞬でどこかへ行ってしまった。

 鬼神が消えたことにより、肉体を取り戻したトワキ達は宙に放り出された。


「嘘だぁっ!」


「コガネッ!」


 トワキは手を伸ばすも、あろうことかコガネはそれを避けた。


「嫌っ! 触らんでっ!」


「違うっ!」


 地面が近づいてくる。

 トワキはやっとの思いでコガネ引き寄せると、そのまま抱きすくめた。地面との激突に備える為、金色に輝くコガネの頭を手で覆った。


 一瞬、強い衝撃がした。

 

 トワキの身体を痛みが駆けた。

 そして、徐々にトワキの意識は遠退くいていく。


「トワキッ!」


 意識が消え入る中で、この旅の間、幾度となく聞いた呼び声がまた聞こえてくる。

 身体は冷えるのに、左腕だけは生暖かい。


 ──コガネは無事だろうか? ヤエは……? 


 確認する間もなく、トワキは眠ってしまった。


          ◯


 そして……。

 どれくらい眠っていたのか、トワキは両目に覆い被さっている重たい瞼を開けた。


「トワキ、起きた?」


 目の前にコガネの顔がある。らしくなく、随分としおらしい表情をしている。

 コガネの頭上にぼやけて見える焦茶色は、板張りの天井のようだ。

 誰かの家の中で、トワキはしとねに寝かされていた。

 その顔を心配したコガネが覗き込んでいる。


「腕痛い? 岩にぶつけて凄い血が出てたから」


 トワキはコガネに言われて初めて左腕の負傷に気付いた。布が巻かれているが、余程酷い傷なのだろうか、血が滲んでいる。


「私は気を失っていたのか? ……ここはどこ?」


 トワキは首を回して周りを見てみた。

 コガネの頭の後ろ、連子窓が光を取り込んでいる。落ち着いた室内には、細長い黒色の花器が置かれており、そこに生けられた百合の花達が、仄かに陽光に照らされている。


「ここはオオクラ様の家だよ。オオクラ様はこの里の長で薬種屋をしてるんだってさ。トワキの腕もオオクラ様が手当てしてくれたから、人嫌いでも後で礼くらい言っときなよ」


「私は別に人嫌いじゃない。君もヤエも無事か?」


「私は見てのとおり大丈夫だ。ヤエも無事。羽があるからね。高い所から落ちてもへっちゃらなんだよ」


 コガネが視線を横に移す。その膝元には二人の荷物が置いてある。


「ほらそこ、私の笠の中で寝ているよ。最近は大きくなって、葛篭が手狭に感じるのかもね。トワキの笠は……壊れちゃった」


 コガネは申し訳なさそうな顔をした。

 かつて譲り受けた刀に続き、カドダイとの思い出の品がまた一つ失った。トワキは少しだけ悲しくなったが、コガネに余計な気苦労を掛けたくもないゆえ、笑顔を繕った。


「もともとオンボロさ」


 トワキは最も気になることを、恐る恐るコガネに尋ねる。


「私は……鬼は……誰も殺していないか?」


 トワキの問いに、コガネはゆっくりと、静かに頷いた。


 安心したトワキは上体を起こすと、腕に巻かれた包帯を解いた。


「えっ何で取るの⁉︎ 馬鹿なんじゃない! ちょっと傷見せないで! やだやだやだやだ」


「うわっ成程。結構深いな」


 コガネが拒絶するのも無理はなかった。トワキの左腕は大きく掘り込まれ、肉の溝が走っていた。その周りに付いた黄色の粉は薬だろうか。

 傷を見るとトワキは急に鋭い痛みに襲われた。包帯を解いたことが悔やまれる。トワキは呻き声を上げ、再び褥に背を付けた。


 暫くすると引き戸が開きトワキの寝ている部屋に、背の高い女性が入ってきた。


 知らない人間の顔を見て、トワキは少し緊張した。

 その女性が戸を閉める際に、後ろに束ねた黒髪に、銀色の簪が一本刺しているのが確認できた。歳は二十半ばくらいだろうか、凛とした顔付きをしている。

 その女性を見てコガネが慌てた。


「ごめんなさい、この人馬鹿なんです! せっかくオオクラ様が巻いてくれた包帯とっちゃって」


 どうやらこの女性が里長のオオクラ様のようだ。

 トワキは身体を起こそうとしたが、オオクラは無言で手を向けて、それを制した。

 着物をたすき掛けにして、トワキの傷付いた左腕を診るオオクラ。

 オオクラが少し険しい顔をしたので、トワキは不安になってきた。


「いいよ。血が完全に止まっている……その腕、もう動くのか? そう、よかった。待ってな、新しいのをもってくる」


「あ、ありがとう」


 トワキは礼を言う。少しぎこちなかったのがトワキ自身にも分かった。


「こちらこそ、里を守ってくれてありがとう。荒ぶる國津神を倒したあの鬼の正体は、君だろう?」


「あっ、え」


 礼を言ったはずが向こうからも感謝され、トワキは虚を突かれた気分になった。

 そして。


 ──この人は私が鬼であることを知った上で助けてくれた。


 トワキはそのことにも驚いた。


「俺は大体店に居るし、この部屋は好きに使ってくれて構わない」


 トワキが口籠っていると、オオクラは部屋を出ていってしまった。


「嫌いじゃないぃ? 全然喋れてないじゃん……」


 コガネが呆れた風に言う。


「嘘ではない。嫌いじゃあなくて、得意じゃないだけさ」


「あそ、どっちでもいいけど。あと、あのね、私からもトワキにお礼を言うよ。ありがと! その傷、私を庇ったからできたんでしょ?」


「関係ない、それに多分すぐ治る」


 ここまでの傷を負ったことは初めてだが、トワキは自身の傷の治りが早いことは疾うに知っている。鬼による身体強化の一つだろう。その為、今回の深傷も少しばかり安静にしていればすぐに完治すると考えた。


「それでも、何でもありがとう……じゃあ、私オオクラ様のお手伝いしようかな……あ、そうだ、もう一つ言いたいことがあった!」


「何だい?」


 コガネはトワキに顔を近づけると、耳元で囁いた。


「……スケベ」


 トワキが弁解する間もなく、ピシャリと戸が閉まる音が鳴り、コガネは部屋から出て行った。


「あ、あれは、不意打ちだ! 私は、スケベでは、ない……」


          ◯


 次の日、トワキが寝ていると、腹の上で何かが忙しなく跳ねている。「起きろ! 起きろ! 起きろ!」と騒いで、とてもうるさい。


「子供?」


 六つか七つくらいの子供が、トワキの腹の上で遊んでいる。

 隣ではコガネが、焦った様子でわなわなしている。コガネは人好きに見えるが、子供には慣れていないのだろうか。


「ジャリがっ! 怪我人に何狼藉働いてんだ!」


 そう叫んだのはオオクラだった。子供をトワキから下ろすと、部屋から追い出した。オオクラの剣幕に、コガネは唇を真一文字にし、目を丸くしている。背筋まで張って、相当驚いたのだろう。


「済まないね。俺の子だ。名前はナザキというのだが、誰に似たのか……身体の丈夫さだけが取り柄の馬鹿息子だよ。すこし目は悪いがね」


 そう言うと、オオクラはトワキの傍に座し、左腕の布を丁寧に解いた。


「やはり傷の治りが早いな。うん、大丈夫だ、後は自然に治るだろう。傷跡は残るかもしれないが、男はそのくらいが箔が付くってものだよ。ふふっ、まあ女もだがな」


 そう言って笑うオオクラの左頬にも傷跡がある。凛とした顔に張り付いた落ち葉のような傷跡は、トワキには可愛らしくみえた。


「君たちは旅をしているのか? どういうわけか、最近は國津神共が荒れている。呪を祓うといわれる此岸山しがんざんの霊力が落ちているのかもしれないね」


 それを聞いて、コガネが首を横に振った。


「いえ、此岸山しがんざんは何も変わってない。変わったのは彼岸山ひがんざん。悪しき巫女の呪いで彼岸山ひがんざんの方の力が増しているんだ。だから私たちは彼岸山を崩しに天蓋の伴山へ向かう。ねっ、トワキ、ヤエ」


「ねっ」と言われて、ヤエは「クルル!」と返事をしたが、山を崩すなどトワキは今初めて聞いた。当然オオクラも驚いている様子だった。

 なんて馬鹿なことを言う娘だ。そう思われても仕方がない。トワキですら少し思った。


「天蓋の伴山。地より聳える此岸山しがんざんと天より吊り下がる彼岸山ひがんざん。神の力を宿した双子の山か。あそこへは特別な道でしか行けないと聞く……」  


 難しい顔をするオオクラに、コガネは頼もしく答える。


「大丈夫。私はその道を知っています」

 

 

 その後、トワキを残し二人は部屋を辞した。コガネはオオクラの手伝いをするつもりらしい。


          ◯


 二人が部屋を出た後、オオクラの息子、ナザキがまたやって来る。

 また腹で跳ねられてはかなわないので、トワキは褥から上体を起こした。


「兄ちゃん、伴山に行くんか?」


「らしいね」


 どうやらナザキはさっきの話しを聞いていたらしい。


「彼岸山を崩すんか?」


「みたいだね」


「あんな大山どうやって崩すんじゃ?」


「さぁね。君は彼岸山を知っているのかい?」


 トワキが尋ねるとナザキは笑った。


「ひゃひゃひゃ! 聞いたことがあるだけじゃ! どデカい山じゃけぇ崩せるもんか! あの姉ちゃんもお馬鹿さんじゃの〜」


 トワキも笑う。


「ハハハ。そうかもね。でも私はコガネを信じるよ。何か策があるんだろう」


 そう言って、トワキは光を取り入れている連子の間から、何気なく外を見た。そこには道の窪みに敷かれた板を踏み抜き、つまずいて転けるコガネがいた。トワキは急に不安になった。


「大丈夫かあの姉ちゃん」


「可愛いだろ?」


「なんじゃ兄ちゃん、〈ほの字〉か?」


 トワキは少し考える。コガネに対する自分の気持ちを、上手く言葉に落とし込むことができない。恋情、友情、どちらも違う気がした。ただの旅の供では寂しく感じる。


「うーむ、どうだろうね?」


「わしに聞くない! ハッキリせん男は嫌われる──って前にオオクラが言ってた!」


 コガネに自分への気持ちを問えば、彼女は何と答えるのだろうか。


 トワキは少し気になってきた。




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