第5話・万雷の怪獣〈ヴァドワギーダ〉
◯第五話・万雷の怪獣
コガネが翁と嫗の営む宿で、昼寝をしたときのこと……。
目を瞑ると、辺りを暗黒が包み込んだ。閉じた瞼は明かりを遮るので、それは当たり前のことだが、コガネにはこれがただ事ではないと、すぐに分かった。
まるで自分を除いて、世界がガラリと別の世界に置き換わってしまったように、コガネは感じた。トワキもヤエもいない、広がる暗黒世界に一人立つ。
天にはコガネを包囲するかのように星が撒かれて、燦然と瞬いている。
──まさか向こうから干渉してくるなんて。
コガネの表情が強張る。
彼等が来るということは、コガネ達の目的地、〈
輝く星々。分体・メギドガンデ。
箱型の星の一つがコガネの頭上に落ちてくる。落ちる過程で箱の面は割れて、十二枚の扇型の板となる。
コガネを取り囲んだ、赤く光る逆三角形の板達は「ウォンウォン」と不気味な音を響かせている。
『ツキミコ』
光る板から鳴るそれは、声というよりは、感情のないただの音だった。
「今はコガネって名前だよ。まさか、私の意識の中に入ってくるなんてね」
次々と音を響かす赤い板達。
『ナゼ、ヒメミコヲ討トウトスル?』
『彼女ハワレワレニ贄ヲモタラス』
『魂ヲモタラス』
『ヒメミコヲ狙ウナ。共存ヲエラベ。ツキミコ』
光板の輝きが増す。闇を埋める眩い光の明滅にコガネは目を細めた。
「それはメギドガンデの総意なの?」
コガネが問うと光はハタと途絶え、皆が黙る。
分かっていたことだ。
この程度しかこちらに来ないのだから。
所詮、彼等は分身に過ぎない。メギドガンデの総意なら既にコガネは存在していないだろう。
「消えて。興味をもつのは勝手だけど、私の世界にあんた達が干渉することなんて、何もないんだ」
赤い逆三角形の光板は次々と闇に消えていった。
一つを除いて。
『コガネ、アナタニ聞キタイコトガアル』
「何?」
「ソッチノ世界ハ楽シイ?」
その問いにコガネは答える。
「分からない」
やがて最後の一つも消え、コガネは目を覚ました。
コガネの隣に置かれた葛篭の中からは、ヤエのいびきが聞こえてくる。
その奥でトワキも寝ている。悪夢でも見るのだろうか、トワキは寝ているとき、いつも苦しそうな顔をする。
◯
トワキとコガネは巳の原の蛇怪を下す。
……そしてその数日後。
一時的とはいえトワキ達に旅の仲間ができた。
トワキ達が旅の道中に出会った旅僧は、自らをライチと名乗った。
ライチが山道で賊に襲われていたところをトワキが助け、その縁で二人はライチの目指す大寺、雷紋寺まで同行することになった。
賊五人を挙手空拳で薙ぎ倒したトワキに、ライチは驚いていた。
「目が見えないとは思えないねぇ」
コガネは感嘆した。
ライチの瞼は巻かれた布で封じられ、開くことはない。しかしながら、梅雨のしっとりと濡れた山道を歩く足取りに迷いはなく、踏み場を誤ることもなかった。
明るい髪色をしたこの有髪僧は、広めの口の口角を常に上げ、旅の仲間ができたことを喜んでいるようすだ。
「産まれて早三十年。盲てからは二十余年。人間って強かなもんでねぇ。なぜか光を失った今の方が、面白いことに見えるものが多くなりましたよ」
「目が見えないのに見えるものが増えるとは、これ如何に?」
コガネの問いに、ライチは口元に拳を当てて笑う。
「ははは、頭の目ではなく心の目でね……ああ、お連れ様ならワタクシの言う意味、伝わりますよね?」
不思議そうな顔をするコガネを余所に、ライチは前方を進むトワキを見た。
確かにトワキはシトウの里の事変以降、内なる鬼の力により肉体の強化を受けた。
そして、その強化を受けたのは五感だけに留まらず、他者には理解し難いだろう、もっと勘的な領域までに及んでいた。
ゆえにトワキもこの〈心の目〉とライチが呼ぶ感覚により、ある程度は危機を先読みして対応することができた。恐らくこの男も同様に、勘が並の人間よりも、遥かに鋭敏化しているのだろう。
「さぁね」
しかし、トワキはライチの問いをこの一言で流す。
──ライチの布で塞いだ目が、何故だか私の正体を見定めているようで気持ちが悪い。
◯
小河が流れる。三人は脚を止め、しばしの休息を取る。
水の中に
トワキは河を泳ぐ珍生物を眺める。
烏賊達の泳ぐ様は、魚の類いとはまた違う面白さがあった。
喰べればどんな味がするのだろか──トワキはそんなことを考える。
コガネは河の烏賊よりも、ライチが気になるようすだ。
トワキとコガネが岩に腰を掛け、身に籠った暑さを逃がすために、河に足を浸けているときも、ライチは
ライチは歩き回りながら、手に持つ布袋竹で草を掻き分けて、何やら採取をしている。
嘘を吐いているとは思わないものの、トワキにはそれは、全くもって盲人の挙動には見えなかった。
「何してるのー?」
コガネがライチに声を掛けた。
「んー? 実です。野苺の実がなっていますよ!」
「あの、絶対見えてるよね……?」
「信じてくださいよぅ。一介の僧として嘘吐きと疑われるのは心外です」
苦い顔をしつつも、ライチは美味しい実が実っていたとかで、その実をトワキ達に採ってきてくれた。
熟れた実は確かに程よい酸味も残しつつ、甘くて美味しかった。ヤエも気に入ったようで、吻部を赤い果汁に染めている。
トワキ達に実を渡してからもライチはまた草を分ける。
「沢山採ったら、寺の皆んなも喜ぶかな!」
ライチは楽し気だ。だがしかし、トワキの勘はこの僧の内に、冷たい闇を見た。
◯
日が傾く前に目的地である雷紋寺の寺内町へ着いた。
トワキの見上げる先、段状に連なる石垣の上に置かれた町は、中々威圧感がある。
町の中へ入ると重そうな瓦屋根の伽藍が、境内のそこかしこに建っている。その中でも一際大きく目立つ建物が、雷紋寺の本堂らしい。
境内を進んでいると小舟を立てたような
そこを擦れ違う坂を上った所で、トワキ達を数人の僧侶が迎えた。
そしてトワキとコガネは、ライチの計らいでここの伽藍に泊めてもらうことになった。
◯
西陽が射す頃に夕餉が来た。
「遅なりましたなぁ」と笑いながら、トワキ達をライチ自らが持て成してくれた。
焼いた茄子、お豆腐の味噌田楽、瓜の煮物などなど……トワキの目の前に置かれた小鉢の上は、寺の食事とは思えぬ程豪勢だった。
トワキには懐かしい味が幾つもあった。修行の身ではないとはいえ、肉まで出てくるとは思わなかった。元々こうなのか、山賊から助けられた礼も込められているのか。
何にせよ美味しい料理を喰べられることに、トワキは幸せであった。
ヤエにも水と味噌のようなものが出された。獣はペロペロとそれを舐めた。トワキにはヤエの食事は余り美味しそうには見えなかった。
トワキが黙々と夕餉を喰べていると「お口に合ったようでよかった」と、ライチは喜んだ。
腹八分となった頃合い。最後に漬け物が出てきた。
◯
トワキ達は二階の小部屋に通された。二人が今晩泊まる部屋だ。
トワキは開けられた引き戸から外を眺めた。複雑な形に張り巡らされた回廊が見える。向かいの堂宇も大層立派な建物だ。その瓦越しに雷紋寺本堂の反り返った屋根が見える。その荘厳さに、トワキは何故だか緊張してきた。
「何だか物置きみたいな
ライチが謝る。小部屋には積まれた円座や細長い木箱、他にも朽木の破片のような物が幾つか棚に置かれていた。
ヤエは飛び乗った円座を気に入ったのか、丸くなって寝てしまう。
獣の気楽さがトワキには少し羨ましかった。
「ワタクシも使うかもしれないから、その上で粗相はよしてね」
そうヤエに釘を刺して、ライチは去った。
◯
日が沈む。暗くなっても、聴こえてくる経は途切れない。その調子に合わせてコガネも唄う。
「うーにゃーうーにゃーうんたらうーにゃー」
「よせよ」
ふざけるコガネにトワキは微笑みつつ嗜めた。
夜でも月明かりで室内は割と明るい。
コガネは部屋を物色している。
トワキが気にせず横になっていると、変わった物があると、コガネに呼ばれた。促され、棚の朽木に顔を近づけると、いい香りがした。
暫く二人であれやこれやと嗅いでみた。中には強烈な物もあり、咽せたりした。
◯
その頃。月明かりを遮り、闇に包まれた本堂の中に、ライチが一人立っている。
ライチは頭に巻いていた布を解くと、閉じていた双眸を開いた。その目が見上げる先には、雷紋寺の本尊、
闇に輝く、半人半馬。正に人馬一体の形態を取る金の巨像。
「では、参りましょうか」
そう言って、ライチは本堂を後にした。
◯
唄う虫も眠りに就いた深い夜。夏の割には涼しいその夜に、ライチは二人を泊める部屋を訪れた。
ライチは閉じた戸の前に立つと、深い溜め息を吐く。
「何で起きているのでしょうかねぇ? 眠っていれば楽に死ねたでしょうに」
戸を隔てて、トワキの返事がくる。
「さっきまで寝てたよ。あんたの殺気に起こされた。僧という奴は闇討ち紛いのことをするのか?」
僧はまた溜め息を洩らす。
「ワタクシはあなた方のことを好いています……いやいや、本当に。その証拠、最後の夕食も美味だったでしょう? 毒だって刺してない」
どうせあなたには効かんでしょうが──そう溢して、ライチはさらに一層深い溜め息を吐く。
閉めた戸を挟みトワキとライチは睨み合う。
「ですがねぇ、鬼はいけない。トワキさん、あなたの身の内には悪鬼が見える。途轍もなく醜悪。消し去りたい」
ライチを双眸を見開く。
「ワタクシがまだ幼い歳の頃。故郷に荒ぶる神が現れた」
荒ぶる神。それは鬼だ。
青みがかった堅牢な皮膚に、黄色い角を眉間に生やした、巨大な鬼。
その鬼はライチの暮らしていた村の家々を薙ぎ倒し、次々と人を殺した。その中には彼の家族、友人もいた。
村を焼き払うと、その鬼は消えた。
もうこのような残逆は見たくない──そう願ったライチは、光と引き換えに雷神の力を得た。悪鬼を消し去る為に。
ライチの瞳孔が鋭く割れる。
「ワタクシはこのまなこの光と引き換えに、
ライチの口角が上がった。
「ヤエは籠に詰めたな?」と、トワキはコガネに確認した。頷くコガネをトワキはそっと脇に抱く。
室内の空気がまるで小石を擦り合わせたかのように、チリチリとした音を立て始め、肌が痺れてくる。
何か危険が来る──トワキの勘がそう告げた。
二人の髪が徐々にばらけて逆立っていく。
トワキのこめかみに緊張の汗が滲み、コガネが髪を抑えたそのとき。ライチの双眸が発光する。
「
ライチの声と同時に、二人のいる室内に雷光が炸裂する。
ライチの眼力が雷を放った。
刹那。
吹き飛ぶ戸を従え、コガネを抱えたトワキがライチの横を擦り抜ける。
間一髪でトワキは爆ぜる雷撃を躱すことに成功した。
ライチが振り向くと、トワキはすでに向かいの堂宇の屋根の上に降り立っていた。
焼け焦げた部屋を背に、ライチの眉間に皺が寄る。
「まさか、雷尊の眼力を避けるなんて……鬼人めが」
トワキはコガネを連れ、闇に消えた。
◯
落雷に怯えた僧達の叫び声が広がる。静かな夜は疾うに去った。
「火事です! 火事です!」
「雷が落ちました! 雷尊の怒りだ!」
他の僧侶が慌てふためく境内を、ライチだけは力強い足取りで進む。
そして本堂に戻ると、闇に聳える雷蹄王菩薩像に語り掛けた。
「あなた様より頂戴した眼力だけでは鬼は狩れませなんだ! 総身を差し出します。どうかワタクシに代わり、あの鬼を人の世から駆逐してくだされ! ワタクシには分かる、あの鬼は大量の人々を殺している悪鬼だ! 消し去らねば!」
まるでライチの願いに巨像が答えたかのように、雷紋寺本堂に太い雷が刺さる。
◯
夜が明けたことを隠すように雨が降り頻る。
篠突く豪雨は、駆ける軍馬の爪音さながらに音を立てて、トワキ達に襲い掛かる。
トワキはコガネを連れて走った。笠に打ち付ける雨が重たく感じる。
開けた土地の至る所に、かつて大きな火災に見舞われたのであろう炭化した家屋の骨が、滂沱の雨の中に黒く浮いていた。
コガネが指を差した。
その細い指の先を辿って見れば、雨靄に隠れて大きな楼門が建っている。
トワキとコガネはその楼門目指し、無限の雨の中を走り抜ける。
辿り着けば、離れた所から見るよりもずっと大きな楼門だった。
要するにこの場所までは、トワキの予想以上の距離があった。
コガネが門の床に尻を付く。纏っていた雨水が石の床に広がっていく。
濡れた少女は、普段とはどこか違う印象をトワキに与えた。
コガネの長い睫毛が水滴を抱いているのを見て──綺麗だ。
トワキはつい、そう感じてしまった。
◯
「ふぅ……大変だったね」
「いや、大変なのはこれからだ」
雨を睨むトワキの目付きは鋭い。視線の奥、豪雨を隔てて巨影が聳え立つ。
天に向かって一角を伸ばしたその姿は怪獣だ。
四本の脚、その上に乗るは人に似た上半身。半人半馬の巨影。
雷神・ヴァドワギーダ出現。
「怪獣……いつから」
コガネが警戒する。こちらを見る怪獣は、まるで気配を発することなく、いきなり現れた。
トワキも緊張してきた。
──この怪獣は自分達を襲ってくるのだろうか?
ヴァドワギーダが巨大な上体を持ち上げ、後脚で屹立した。
剣のように鋭い前脚を掻くように動かし、天を突く程に高く上げた頭から、嘶きを轟かせた。
そして、怪獣の姿は突如として消えた。嘶きは尾を引き、辺りに響き渡る。
雨足は更に強まる。
邪な雲は何処までも広がり、稲妻が二人のいる門の上空に溜まる。
そして、この世を真二つにするかのような鋭い雷が、二人のいる門を直撃する。
「わあっ──」
コガネの悲鳴はすぐに掻き消される。
轟音を伴う雷撃は長く続き、揺れる門の太い柱には雷光が絡み付いて火花が爆ぜている。
異常な雷に、トワキはいつにない大声でコガネに伝える。
「ただの
火花の
再び嘶きが鳴り、二人の鼓膜を劈く。
燃えながら崩れゆく楼門。
四つん這いにコガネに覆い被さったトワキに、門の破片が容赦なく降り掛かかった。
「トワキ!」
楼門を破壊する雷神。
そのとき、圧壊した門の残骸から、黒煙と共に飛び出したしなる尾が、ヴァドワギーダを打ち払う。
強烈な尾の一撃に倒されたヴァドワギーダの巨躯が
そして崩れた楼門の瓦礫を払い除け、鬼神が現れる。
起き上がるヴァドワギーダの前に、鬼の神は仁王立ちする。
ヴァドワギーダを睨む鬼神の目は闘志に満ちている。
雨の御簾が垂れる中で、雷神・ヴァドワギーダがライチの声を発した。
『あなたはやっぱり鬼でしたねぇ、トワキさん。知っていますか? 怪物は怪物でも別の世界から来た
ヴァドワギーダの後頭部より生えた一角が、青白く発光する。
その角は
『──なぜなら本体をこちら側に置く國津神とは違い、天津神の本体は異なる世界にある。この世界への干渉は限定的なんです。だからこそ國津神の
雨を纏い、鬼神はヴァドワギーダに向かって歩き出す。
その一歩が落ちる度に地面の泥が震動する。
何とか無事だったコガネが、砕かれた門の残骸を押し除けて這い出てくる。
砕けた楼門の破片で額を切り、顔には血が垂れている。
「あれはトワキの鬼……トワキ忘れないで。恐怖に呑まれなければ、それはあなたの武器となるはず」
葛篭から出てきたヤエがコガネの肩に乗った。その身体は震えている。
ヴァドワギーダが再び二本脚で立ち上がる。
『雷尊は國津神です。対して鬼は魔界より出た天津神だ。トワキさん、あなたはワタクシには勝てません! 雷尊の放つ雷〈いかづち〉に焼かれて、死んでください!』
ヴァドワギーダが嘶きを上げ、刹那に消えた。
後には幾つもの光の筋だけが残った。
雷神の気配を察知してか、鬼神は上空を見上げた。
空は暗雲に支配されている。
彼方から伸びる一筋の雷が鬼神の身体に突き刺さった。
更に二本目、三本目と、鬼神に刺さる閃光は増えていく。この異常な雷はヴァドワギーダが操る武器だ。
それでも鬼神は動じずに空を睨む。
空に満ちる暗雲から生まれた数え切れないほどの大量の雷は、激しく折れ曲がると、鬼神に向かって一斉に襲い掛かった。
網目状に発生した雷は一点に集まり、鬼神の身体を焼いていく。
やがて鬼神の目前に、黄金の輝きを放つ、雷神・ヴァドワギーダが現れた。
断続的に続く雷撃に泥が爆ぜる。
爆音と明光から身を守るため、コガネとヤエはせっかく這い出た残骸の山へと、急いで戻っていく。
「うわー! 死ぬ!」
「グルルッ!」
さっきまでの薄暗さが嘘のように、周りは真白に塗り替わる。
明滅する雷撃の光の中を、戦う二体の怪獣の巨影が飛び飛びに映る。
『鬼め! 鬼め! 醜悪な邪鬼めが!』
ヴァドワギーダは手首に付いた弓状に湾曲した刃で鬼神に斬り掛かる。
次の影、鬼神の強打が雷神の顎を破砕する。
雷光の明滅と共に、現れては消えるを繰り返す二体の巨影。影と攻撃は連鎖するようだ。
格闘する二体。
雷鳴は収まらない。
鼓膜を劈く轟音から守るため、コガネは耳を塞いで疼くまる。
ヤエもコガネの月白色の衣に隠れて、身体を震わせた。
ヤエを撫でて安心させようとするも、コガネ自身、恐怖と不安に押し潰されてしまいそうな気持ちだった。
落雷に耐えていると、遠くから風に吹かれて異臭が漂ってきた。何かが焼け焦げる匂いだ。
絶え間なく続く雷の猛攻に、鬼神の身体の限界が近づいているのだろうか。
コガネはトワキの身が気掛かりだった。
だがコガネの心配とは裏腹に、鬼神の拳の威力は依然健在だ。
痛みを感じていないのか、鬼神は雷撃に怯むことなく攻撃を続ける。
鬼神の苛烈な攻撃にライチは取り乱す。
『雷尊の攻撃を喰らい続けて、なぜ倒れぬ!』
鬼神の一撃が、ヴァドワギーダの鎧の外皮を打ち砕いた。身体を穿たれたヴァドワギーダは苦痛に叫ぶも、その悲鳴は雷鳴に呑まれて刹那に消える。
鬼神と化したトワキは、ただひたすらに拳を振い続ける。
ヴァドワギーダの双眸が光を放つ。
『御・鳴神っ!』
ライチの振り絞るような声に呼応し、まるで天地を繋ぐ柱のような一本の太い雷が落ちた。
真白に染まった世界の中で、硬いものが砕ける音が鳴った。
◯
のべつ幕なく放たれていた雷がピタリと止まる。
暫くすると雨足も落ち着いてくる。
雲は割れて、辺りに太陽の光が射してきた。
静かになった地上には蒸気が立ち込め、ほのかに熱をもっている。
勝敗が決したことを悟ったコガネは、耳鳴りのする頭から手を離すと、崩れた楼門より這い出た。
コガネの目の前には、雷撃の残光を帯びた鬼神が立っていた。
雷に総身を焼いた鬼神からは煙が上がる。
その足元には、顎と胸部を潰され、両腕を引きちぎられた、無残な姿のヴァドワギーダが倒れている。
天に向かって伸びていた一角も、根本からへし折られた。
勝ったのはトワキが成り代わった鬼神だ。
だが、流石に力の限界がきたのか、地面に膝を落とした後、鬼神はすぐに黒煙となって消え失せた。
鬼神から身体を取り戻し、後に残ったトワキに、コガネはすかさず駆け寄った。
「トワキ大丈夫? 火傷してる」
「この程度、平気さ。今回は鬼も消えたみたいだ。良いのか悪いのか、鬼の力が馴染んでしまったようだ」
「無事でよかった……本当に」
コガネはトワキの震える手を握った。
「まだ怖いんだね。仕方がないよ」
ヴァドワギーダの死骸の中から細い声がする。瀕死のライチのものだ。
「まさか、雷蹄王が……負けるなんて……」
「ライチ、矢張りお前がこの神の憑代になっていたか」
ライチは雷神の圧壊した胸部の中から、トワキに呪いの眼差しを向けた。
「ワタクシは死ぬ……お前が殺したであろう……数多の人々と、同じく、お前を恨んで……なぁ……」
鬼めが──最期にそう残してライチは瞼を閉じる。
もう二度と開くことはないだろう彼の瞼からは血が流れ出した。
「そうだよライチ。如何にも私は鬼だ。私はまた恐怖に呑まれた。無我夢中で……お前を殺した」
「トワキ違う」
ライチに同意するトワキを、コガネは否定した。
「トワキは私とヤエを命懸けで守ってくれた。そんなあなたが〈鬼〉な訳がない」
コガネの衣から出てきたヤエもその意見に同調してか、トワキの肩に飛び移り、頬を擦り付けた。
「ありがと」
そう言って、トワキはヤエの頭を撫でた。
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