第13話 舞踏
「とても良くお似合いです。ウルリーカ様も大変喜ばれる事でしょう」
そこには、まるで最初からこの場に居たかのようにルネが立っていた。
「ノックとかして下さいますかね! 貴方はいちいち音を消して動くから分からないんですよ! ああもう、びっくりした! どうやって入って来たの!?」
「普通に、です」
「普通は音を消さないよ?」
「これは失礼しました」
ルネは深々と頭を下げているが、その声は至って平坦なもので感情は読み取れない。顔を上げた無表情の彼女をリトラは疑わしい顔付きで見たが、彼女の表情はやはり何も変わらなかった。
ルネもリトラを見つめたまま、扉を背にして動かない。その立ち姿は退室を阻んでいるかのように思えた。
リトラには彼女の意図が分からなかったが、何やら雰囲気が良くない事だけは理解していた。
「あの、この通り着替えは済みましたけど、他にも何か?」
「右腕に装着している武器を外して下さいますか。誤って刃が飛び出れば、ウルリーカ様に怪我を負わせる危険性がありますので」
「そんな事は起きないよ。大丈夫、ちゃんと手入れはしてるから」
一切動揺を見せず平然と答えたリトラに、ルネの方が僅かに驚いた表情を見せたが、その目はすぐに険しいものに変わった。
ケフェウスはルネの雰囲気が明らかに剣呑なものに変わったのを感じ取ると、肩の上で右往左往しながら弁明を始めた。
「あの、ルネさん、コイツは確かに馬鹿ですが、自分から人を傷付けるような事はしません。それに、女の子を傷付けるような真似はオレが絶対にさせませんよ!」
「ケフェウス様、私は今、リトラ様と話しています」
「ひっ!」
「……良いですか、もしもの事があってはならないのです。それに、貴方が何処の誰かも分からない。ある御方によく似た顔の暗殺者、或いは何らかの目的で顔を作り変えたのではないか、そう考える者もいます」
「へぇ。もしそうだとしたら、さっさとやってると思うけどね。でも、これだけは外せないよ。これなら手が空くし、いざという時に役立つんだ。ルネさんなら良くご存知だと思うけどね」
この言葉を挑発と受け取ったルネは無言のままリトラに近付き、鋭い眼光で睨み付けた。ケフェウスは咄嗟に部屋の隅に退避して、その翼を畳んで小さく丸まっている。
「はっきり言わなければ分かりませんか。今すぐに外せと、そう言っているのです」
「身を守る手段を黙って差し出せって? なら君は、その服の中に隠してある武器を寄越せと言われたら、素直に差し出すのかい?」
「今、私の話はしていません。リトラ様、聞き分けのない子供のような事を言わないで下さい。これは重大な事柄なのです。今すぐに、その暗殺武器を外して下さい」
「お察しの通り、まだ子供なんだ。それに、これは暗殺武器なんかじゃないよ。少なくとも、俺はそういう使い方をしたことはない」
「外して下さい」
話し合い応じる気は一切ないようだ。そして、これがおそらく最後通告であろう。ルネの声からはそれがはっきりと分かった。とは言え、リトラにも譲れない理由がある。
ルネは手を差し出して武器を手渡すように求めたが、リトラは彼女が思う以上に子供だった。その口から出たのは、まさにそれを示す言葉だった。
「リトラ様」
「やだね」
ルネの鋭い蹴りが空を切った。リトラは素早く屈み込むと、ルネの蹴り上げた足が地面に付くよりも早く彼女の腕を掴み取ったが、彼女は片足のまま宙返りすると容易く腕の拘束を解いた。
ルネはその場から飛び退き、再び扉を背にしてリトラの前に立ちはだかると、長いスカートをたくし上げ、腿に差していた短剣を手にして素早く構えを取る。
「一撃で意識を刈り取るつもりでしたが、やはり一筋縄では行きませんね。貴方は何者ですか?」
「さあね。正直な話、俺にも分からないんだ。で、そちらは本業が暗殺者の方ですか?」
「失礼な、私は女王陛下の剣です。私はリトラ様と違って、しっかりと鞘に収まった刃物ですので」
「現在進行形で抜き身ですけどね、あなた」
「うるさいですね」
ルネは舌打ちすると同時、床を滑るように移動して距離を詰め、リトラの細首に向かって切っ先を走らせる。
リトラに動く様子はないが、攻撃が見えていないわけではない。もしや寸止めすると分かっているのかとルネは逡巡したが、リトラの足が僅かに動いたのを見ると、床を蹴って更に踏み込んだ。
リトラの取る行動が回避にせよ攻撃にせよ、ルネにはそれらに対応する用意が出来ていた。だが、リトラが取った行動はそれらに該当しなかった。振り抜かれたルネの右腕、その内側にするりと体を潜り込ませたのである。
リトラの肩にルネの右腕が勢い良くぶつかり、彼女の手にした刃はリトラの背中側で標的を見失ったまま制止した。こうして二人の間に一切の距離はなくなり、互いの胸を突き合わせたままの格好で、次にどう動くかを瞬時に選択しなければならなかった。
(少し脅かせば〈ぼろ〉を出すかと考えていましたが、当てが外れてしまいましたね。今のはどう考えても、幼少から訓練を積んだ者の動きとしか思えない。しかし、暗殺者だとするなら気配がありすぎると言うか、隙だらけと言うか、何より殺気がない。さて、どうしましょう。判断は任せるとの仰せでしたが……)
手首を返して腕を引けばリトラの背中を突き刺す事が出来るが、その条件はリトラも同じだった。右腕に装着した武器を使えば、ルネの腹部を容易く突き刺す事が出来る。
それはルネにも分かっているが、先程も感じた通り、やはりリトラには反撃する意思がないのだと確信すると、腕を下ろしてゆっくりと身を引いた。
そうして互いの顔が見える程度には距離を空けると、ルネは慣れた手つきで短剣をスカートの中にしまい込んだ。それを見届けると、リトラは床に座り込み、大きく息を吐いて彼女を見上げた。
「俺を試してるのか何なのか分からないけど、彼女を傷付けたりはしないよ? さっきも言ったけど、身を守る為に持ってるだけだし、手が空くのが便利ってだけだよ」
「確かに便利でしょうね。リトラ様、貴方の育った世界ではどうか分かりませんが、私はその手の武器を使う人間は冷酷で卑劣だと考えています。相手に丸腰だと油断させて殺害する、そのような事を前提として造られた武器です。スカートの中に短剣を隠すのとは訳が違います。その武器は卑怯です、卑怯者が持つ武器なのです」
「それは言いすぎだよ。どんな武器だって結局は使う人間次第なんだから。大体、皆が皆、人を殺したいから武器を持ってるわけじゃないだろ? それにさ、これは顔も知らない親からの最初で最後の贈り物なんだ。褒められた武器じゃないのは分かるけどさ、そんな風に言われるのは悲しいから……もう止めて欲しいな」
此方を見上げて寂しげに笑うリトラに、ルネは内心酷く動揺し、返す言葉を失ってしまった。彼女には、その笑みの裏側に隠されたものに覚えがあったからだ。
ルネはこの時、自分の中にあるものと非常に近しいものをリトラから感じていた。おそらく、深い孤独の中を生きてきた者なのだろうと。
そして、これは憶測でしかないが、手元に残された物がたとえ卑しい武器とは分かっていても、繋がりを示す唯一の
(何と下らない、何と馬鹿な事を。まさか彼の言葉を信じると? 相手の同情を引くなど、その手の者が扱う常套手段ではありませんか)
揺らいだ心を喝破するも、ルネの心にはリトラが真実を語っているという確信でもあるのか、そう簡単に納得させる事は出来なかった。
そんなルネの眼下で、行き場を失った子供のように座り込むリトラ。その姿には、先程までの快活な青年の面影はない。ルネは胸が酷く締め付けられるのを感じて、遂にはリトラから目を逸らしてしまった。
「信じなくてもいい。俺は何処の誰かも分からない人間、君の言う通りさ。それに君は女王陛下を守るって立場で、俺みたいな人間を疑うのが仕事だろうからね。俺はただ、これを外したくなかっただけなんだ。理由なんて本当にそれだけさ。でも、そんな理由じゃ納得出来ないってのは子供にだって分かる」
リトラは袖を捲ると、籠手のような物を外してルネに差し出した。細かな意匠の施されたそれは良く手入れされており、暗殺者が使用するには派手で、美しかった。
ルネは僅かに躊躇い、すぐに受け取る事が出来なかった。するとリトラが立ち上がり、そっと彼女の手を取ると、未だ躊躇いのある手にしっかりと握らせた。
「俺を信じるかどうかは別として、今はこれで安心してくれない?」
「分かりました。今はこれで安心しておきます」
その言葉を聞いてリトラは明るく笑っている。一方、ルネは動揺を表に出さないのが精一杯だった。
その時、ケフェウスが衣類の散乱した部屋の隅からとぼとぼと歩いて来た。ケフェウスは悲しげな顔をして、慰めるようにリトラの足をぽんと叩いた。
「良かったのか、本当に」
「いいのさ、何かに執着して縛られるのは良くないよ。これが良い機会だったんだ。それに、これで少しは疑いが晴れたんだ。今はそれで良いさ」
「……そっか。ルネさん、聞き分けがなかったのはオレからも謝るよ。でも、コイツはそんなに悪い奴じゃない。それだけは分かって欲しい」
いつになく真剣な声でケフェウスがそう告げると、ルネはやはり表情一つ変えずに頷いた。ケフェウスはそれでも良いと満足して、リトラの肩に飛び乗ると翼を広げて場を仕切り直した。
「さて! 重苦しいのは終わりにしようぜ! リトラ、どうする? 俺達は一旦爺さんの客室にでも戻るか? アンセルムさんが居ない事を祈ってさ」
「いえ、それには及びませんよ。此方のお部屋を使って下さい。ウルリーカ様より、そのように申し付けられておりますので。衣服は私がすぐに片付けます。此処で待っていても構いませんが、外で待つのであれば、表で少し待っていて下さい」
「いやいや、部屋は結構な有様だよ? 俺達も伝うって。三人でやった方が早いだろ?」
「そうだな、突っ立って待ってるだけってのも暇だし」
そう言って、返事も聞かずに倒れた衣装を黙々と拾い上げるリトラとケフェウスを、ルネは少し意外そうな顔で眺めていた。
先程のような事があったのだから、自分と同じ空間にいるのは気まずいだろうに、二人に気にしている様子はない。何より、怒りを向けられなかった事が意外だった。
もう済んだ事だからと、気持ちをすっかり切り替えているのは見て分かるが、やはり、この人はどこかおかしい。ルネにとって、リトラはこれまでに見たことのない種類の人間だった。
「ありがとう、ございます……」
一体何に対しての礼なのか、それは礼を口にしたルネ自身にも分からなかった。
「それでは、私はこれで失礼します。後でお食事などを此方に運びますので、出来ればお部屋にいて下さい」
三人で衣服を片付け終えた頃には、先程までの剣呑な雰囲気はすっかり消え失せており、ルネも侍女としての振る舞いに徹していた。
「今更なんだけど、そこまで畏まらなくても良いんじゃないかな。俺は別に貴族でもなんでもないんだから」
「そうだな。ルネさんみたいな人に丁寧にされると調子が狂うと言うか……女王サマもそうなんだけど、もっと砕けた感じに出来ない?」
「いえ、此処にいる間はこのように接するようにと申し付けられております。ですので、リトラ様もそのように振る舞って下さると助かります。私はともかく、他の方々の前では……」
「分かりました。ウルリーカ様がそう望まれるのであれば、そのように致しましょう。では、もう下がってよろしい」
リトラは偉そうにソファにふんぞり返り、悪戯っぽく笑っている。その様子に初めはきょとんとしていたルネだったが、その後、僅かに顔を綻ばせた。
それに目敏く気が付いたケフェウスは目を見開き、頬を染めて羽根を膨らませている。
しかしそれは一瞬で、ルネはすぐに元の無表情に戻るとリトラに一礼し、手渡された籠手を抱えて部屋を後にした。
(まずは、これが何かを調べてみましょう。第一に、使用されている素材が不明です。単なる暗殺……隠密武器のようにも思えない。ふむ、この意匠からリトラ様に関わる何かが分かるかも知れません。グンナル様なら何か知っているでしょうか)
扉の前で考え込んでいたルネはふと気が付き、先の戦闘とも呼べない独り相撲によって乱れた衣服をさっと整えた。
その時、丁度廊下にいた若い侍女達と目が合った。彼女達はルネの様子に何か勘違いしたのか、頬を真っ赤に染めると、黄色い悲鳴を上げて走り去ってしまった。
当のルネには彼女達を気に留める様子など一切無く、顔色一つ変えずに主の下へと向かって歩き出した。
普段のルネを知っている者が見ても、その様子はいつもと変わりはない。ただ、その荷物を大事に抱えているだけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます