第12話 仮装

 逃げるように客室を出たリトラは、好奇の目を向ける貴族や侍女を無視して二階へと上がり、ケフェウスと共にバルコニーに出た。


「急にどうしたんだよ。途中まではいい感じだったってのに、あんな風に出て来て良かったのか? 後で何言われるか分かんねえぞ?」


「仕方ないだろ、あの時はどうにかして部屋を出たかったんだ。て言うかさ、あの威圧感は何なの? 偉い人は怖くなきゃダメって決まりでもあんの?」


 柵の笠木に両手を突いて項垂れるリトラは、胸の空気を全て出し切るように大きな溜息を吐いた。


 半ば強引な方法によって客室から抜け出たわけだが、ライラントの事情を知っているリトラにとって、その父アンセルムと二人きりの空間はそれだけ心苦しかったのであろう。


 とは言え、アンセルムが突如発した尋常ではない圧力を前にして、何とか理由を作って逃げ出した事に違い無かった。


「はあぁ、すげえ怖かった。急に雰囲気変わるんだもんなぁ。物腰も柔らかくて優しそうな人だったから、余計にびっくりしたよ。場が凍るってのを身を以て知った気がする。何なら俺の心臓も一瞬凍ったよ」


「ま、まあな。正直な話、俺もびびった。オレは別におかしな事は言ってないと思ったけど、あの人にとって気に入らない事でも言っちまったのかな?」


「そうだね、そうかもしれない。気を付けたつもりだったけど……まあ、考えても仕方がないよ。もし次に会ったら、理由を聞いてしっかり謝ればいいさ」


「そうだな、アンセルムって人は話の分からない人間じゃあなさそうだったし……まあ、色々あったけど、これでようやく二人で話せるわけだ」


 と言って、ケフェウスはリトラの肩から飛び降りて笠木に飛び乗った。リトラは宮殿側に向き直り、柵に背中を預けて星空を仰いでいる。


「リトラ、あの紅くなった女王の心からは俺の力をはっきりと感じたぜ。偶然とは言え、やっぱり俺達がやっちまったんだな」


「あっ、それなんだけどさ、もしかしたら違うかもよ?」


 ケフェウスが怪訝な顔付きでリトラを見ている。


「何言ってんだ? 彼女に当たったのは間違いないんだぜ?」


「そりゃそうだけど、紅榴石の星ガーネット・スターを撃った時の事を思い出してくれよ。只でさえ威力を抑えてたんだ。仮に撃った直後は人を殺す程の威力があったとしても、あの大扉を破ってから廊下を突っ切って聖堂までとなると、その威力を保っていたとは思えない。それだけの力が残っていたら、彼女の胸には風穴が空いてたはずだ」


「うーん。でも、女王の心が威力を和らげたのかも知れないぜ? オマエだって見ただろ、あの光の爆発、まるで洪水みたいに溢れ出た光をよ。きっと宝石の内側で反射を繰り返したか、それによって増幅でもしたに違いないんだ」


「そうだね、紅い光に宿る力、穢れを清めるみたいな光は、女王の心が反射したか増幅させたんだと思う。でも、直撃した時の衝撃までは受け止め切れなかった。実際に彼女は死んでいた訳だから、そう考えるのが自然だよ。胸に強い衝撃を受けて、彼女は死んだはずなんだ。でもね、そうなるとおかしいんだ。彼女の胸元には痣一つ無かったんだから」


「人を殺す威力が無かったのに、それに当たって死んだって事か……じゃあ、何で彼女は死んでたんだよ。俺達がぶっ放す前に既に死んでたって事なのか? でも、彼女は紅い光が向かって来たって言ってたぜ? それまで意識があったって事なら、やっぱり俺達がやっちまったんじゃ……」


 自分自身で発した言葉に、ケフェウスは青ざめている。


「そこが俺にも分からないんだよ。紅榴石の星の光が女王の心に当たって、内側で反射を繰り返して暴走した。とか考えてみたけど、あの光の爆発に威力はなかったからね。結局、何によって彼女が命を落としたのか分からないんだ。でもまあ、何かが起きた。今はそれだけで良いと思う。今大事なのは、彼女との約束を守るって事だ。彼女が何かをやり遂げるまで、俺達は彼女の傍を離れない。それまでは〈女王の心〉についても保留、って事でいいだろ?」


「……うん、そうだな、それがいい。乙女の命を奪ったかも知れないんだ。そのセキニンはきっちり取らなきゃダメだ」


「セキニンって……でもさ、彼女はどうするんだろうね。女王になって、悪者を倒して、それからは、どうするんだろう……」


 リトラは独り言のように呟くと、どこから取り出したのか、握れば隠せる程の小瓶を星空に掲げ、中を透かすようにして眺めている。


「何だそれ?」


「香水だよ」


「はあ? オマエが香水付けてんの見たことねえけど、そんなの持ってたのかよ。なんか、随分と素っ気ない容れ物だな」


「容れ物なんて素っ気ないくらいが丁度良いのさ。まあ、こうして持ってるだけでまだ一度も使ったことはないんだけどね」


 小瓶をコートの内側にしまうと、リトラは背中を預けていた柵から身を離して大きく伸びをした。


「見ろよ、皆忙しそうだ。そう言えば、明日は婚約発表だ。そっちはどうするんだろうな」


「流石に何か理由を付けて中止にするんじゃねえか? 女王サマだってそんな事してる場合じゃないだろうし、そもそもする必要がなかった訳だしな」


 二人が扉のガラス窓から忙しなく行き交う人々の姿を見ていると、一人の侍女と目が合った。


 彼女はバルコニーにリトラの姿があるのを認めると、真っ直ぐ此方に向かって来て扉を開いた。


「リトラ様ですね。私はウルリーカ様の侍女、ルネ・メリエと申します」


「僕はケフェウスですっ!」


 ケフェウスが翼を挙げて興奮気味に挨拶すると、ルネは少し困ったような愛想笑いで応えた。ケフェウスは彼女に釘付けと言った様子で、リトラの肩の上で落ち着きなく羽を整えている。


 彼女は確かに美人だった。黒髪を項で切り揃えた背の高い女性で、その佇まいや表情からは落ち着いた印象を受ける。


 リトラは肩を竦めて申し訳なさそうにルネを見たが、彼女は大して気にした様子もなく淡々と用件を告げた。


「リトラ様、私はウルリーカ様より、貴方様に相応しい御洋服を用意するように承りました」


「あっ、そう言えばそうでした。申し訳ない。勝手に動き回った所為で、貴方に要らぬ手間を取らせてしまいました」


「いえ、お気になさらないで下さい。他の侍女達に聞いて居場所はすぐに分かりましたので。さあ、ご案内致しますので此方へ」


 リトラは頷いてその後に続いた。ルネは寡黙な性格で会話はなかったが、その道中、ケフェウスが熱を上げている理由をリトラも理解する事になった。


 彼女は廊下ですれ違った貴族男性達の目を惹いていた。彼等の視線はとても分かりやすいもので、その理由は考えるまでもなかった。


 彼女の服装はどの侍女もそうであるように黒を基調とした地味なものだが、彼女の場合、その比較的ゆったりとした服でも女性的な魅力を隠し切れてはいなかった。

 今では宮殿内のあちこちで噂になっているリトラの存在が霞む程、彼女は異性に対して魅力的だった。


 中には様々な口実を設けて声を掛けてくる者もいたが、彼女は仕事があると言って一切相手にしなかった。

 しつこく食い下がる者がいないのをケフェウスは不思議に思いながら見ていたが、リトラは彼女に〈そうさせない力〉があるように思えた。


 行く手を阻む障害をものともせず颯爽と廊下を歩くルネ、その数歩後ろを歩くリトラに、肩に乗るケフェウスが呟いた。


「大人の余裕ってやつを感じるな。遊び慣れた貴族を相手にあの毅然とした態度、きっと、たった一人に深い愛を捧げる人なんだよ。意外と情熱的な人だったりするのかもな」


「あんまり勝手な事を言ってると聞かれた時に怒られるよ?」


「オマエさあ、もう少し女の子に興味持ったら? 可愛い人を可愛い、綺麗な人を綺麗と言って何が悪いんだよ。言われた相手だって喜ぶし、好意も伝わる。ルネさんみたいな人を見て、あんな年上の彼女がいてくれたらとか、彼女欲しいとか考えないわけ?」


「他に欲しいものが沢山あるからね。今はそっちで頭が一杯なんだよ」


「ケッ、いつまで経っても子供だな、オマエは」


「誰だって、いつまで経っても誰かの子供だよ」


 そう言って早々に話を切り上げたリトラだったが、ケフェウスは尚も耳元で喧しく何かを言っている。


 がっくりと肩を落として歩いていると、突然目の前にルネの顔が現れ、リトラは驚いて後退りした。


 先程までは確かに数歩前を歩いていたはずのルネが、いつの間にか此方を振り返っていたのである。


「リトラ様、此方の部屋になります」


(び、びっくりした。この人、足音しない。元々は違う仕事をしてたとか? ケフェウスは魅力的な人だって言うけど、俺には結構怖い人のような気がするんだよな)


「何か?」


「いえ、歩き方が綺麗な人だと思っただけです。案内ありがとうございました。早速着替えて来ますので、私はこれで」


 リトラは軽く会釈して部屋の中に入ると、部屋の中央には用意された服がずらりと立て掛けられていた。


「こんなにあんの!?」


「面倒臭えなぁ、オマエに相応しい服なら今着てるやつで十分だってのに。大体、こんな悪戯小僧に燕尾服なんて似合うわけねえだろ。子猿にタキシード着せるようなもんだぜ」


「うるさいな、俺だってこの格好で済むならその方が良いよ。かっちりした服ばっかりだし、見てるだけで肩が凝りそうだ。でも、これも約束の内だしな。えっと、この国だと燕尾服って夜間用なんだっけ」


 リトラは大して悩むこともなく目に付いた紺色の服を手に取ると、さっさと着替えてしまった。寸法は合っているようで、着心地は良かった。曖昧な知識で上着の裾が長い服を選んだのは、腰側にポーチを隠せるという、単にそれだけの理由だった。


 奥にある姿鏡を見つけると、その前に立って不自然な部分がないかを確認する。すると突然、リトラが悲鳴を上げて振り向いた。



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