第7話 紅き光の躍るとき

「今夜も良い天気だ。ところでケフェウス、王女様とは会えたのか?」


 リトラは何のしがらみもない夜空を悠々と飛びながら自由の翼ケフェウスに声を掛けたが、何やら考え込んでいるらしく答えは返って来ない。


 手酷くやられたみたいだしなぁ、とリトラはつい先程の事を思い返した。


 ケフェウスはぼろぼろの姿で戻って来ると多くは語らず、さっさとリトラの手を掴んで時計塔を飛び立った。詳しい話は聞けていないが庭園で出会ったという蒼雀ブルーティットの彼女と色々あったらしい。後は察しろと言った様子だった。


 どうやら、ケフェウスには珍しく女の子を怒らせてしまったらしい。何が原因でそうなったのか分からないが今はそっとして置いた方が良さそうだと、リトラは大人しく眼下に広がる光景を眺めることにした。


 気を利かせてそうしたようだが、実際のところはリトラの想像とは違っていた。


「………どうすんだよ、やばいぞこれ、まだ半分だぞ、どう考えたって無理だろこんなの」


 その哀れな声は風に掻き消されてリトラには聞こえていないようだが、今のケフェウスは考え事どころではなく飛ぶのに必死なだけであった。


 今のところは高度を保てているものの、寺院までの距離は中々縮まらない。小さくなった自身の体とその原因であるリトラを恨めしく思いながら、ケフェウスは懸命にその翼を羽ばたかせた。


 そんな事とは露知らず、リトラは眼下に見えた灯りの群れに目を留めた。


「……多分、近衛の兵だな。あの様子じゃあ単に巡回って訳じゃなさそうだ」


 宮殿の周囲は忙しなく動く灯りに溢れており、こうして見ている間にも次々と増えていく。間違いなく何かが起きたのだ。何かを捜索しているのだろうか、とリトラは更に目を凝らした。


 今のところ彼等の動きは疎らで統率があるようには見えない。どうやら指揮系統にも混乱を来しているらしい。あれだけの人員を割いているのだ、高貴なお客人の失せ物探しという訳はないだろう。


「まっ、理由が何であれ中の警備が減るのはありがたいな」


 運が向いてきた。


 リトラはそう思っていたのだが、暫くするとそうではない事が分かった。何事もなく庭園上空へと入ったその時と同じくして、近衛兵の多くが都の中心部へと向かう中、残った者は宮殿には戻らず庭園に回ったのである。


 彼等が大勢で何を探しているのか、または何かを警戒しているのか分からないが、庭園を巡回するならばマドナーヤク寺院を調べないはずがない。


 そろそろ庭園の半ばに差し掛かるが、寺院の周囲には木々はなく身を隠せる場所がない。先んじて寺院に侵入しなければ見つかってしまう。しかし現在のケフェウスの飛行速度ではそれも難しいと言わざるを得ない。


 彼等は隊伍を組んで周囲を確かめながら進んで来る。そう直ぐに追い着かれる心配はないだろうが、十分な距離が空いているとは言えなかった。こうして夜の闇に紛れているとは言え、雲間からは薄らと月明かりがこぼれている。発見される恐れは十分にあった。


「ケフェウス、どうする? 厳しそうなら一度庭園から外れても……」


 リトラはさっとケフェウスを見上げたが、慌てる様子もなく飛び続けている。その姿はこれまでに無いほど力強く、頼もしく見えた。問題ない、黙って俺に掴まってな、そう言われている気がした。


 リトラはケフェウスの判断を信じて寺院に視線を戻すと残り半マイル程度の距離だった。これならば何とか先に侵入して身を隠せるだろう。リトラはそう確信してケフェウスに身を任せた。


 しかし、


「もうダメだぁ……」


「ええッ!?」


 先程までの勇壮な姿は何処ヘやら、気の抜けた声と共にケフェウスはどんどんと降下していく。


「ち、ちょっとケフェウスさんッ? 何してるんですか!」


「うるせえッ! もう限界なんだ、不時着する!」


「はぁ!? 余裕だって言ってたろ!」


「見栄張ったんだよ、それくらい察しろよ! こんな体でオマエぶら下げて飛べるわけねえだろが!」


「そう言ってくれれば良かったのに……って言うか近衛の兵が大勢来てるんだ! ケフェウス、もう少し、もう少しだけ先まで行ってくれ!」


「そんなの聞いてねえぞ、先に言えよ!」


「仕方ないだろ、ケフェウスだって気が付いてると思ってたんだ!」


 こうしている間にも着々と地上に揺れる灯りが近付いている。寺院までの距離は残り300ヤード。


 ケフェウスは何とか高度を維持しようと羽ばたくが、その抵抗も虚しく緩やかに下降していくだけだった。


「レセディ様! レセディ様ぁ!」


 その時、地上を行く近衛兵の声が二人の耳にもはっきりと聞こえた。


 低空を行く二人の眼下、その薄闇の中には小さな明かりと赤い制服が見える。


「み、見付かっちまうぅ」


 ケフェウスは歯を食いしばって何とか耐えているが最早前には進んでおらず、その場に留まっているに過ぎなかった。


「ケフェウス、もう降ろしてくれて大丈夫だ。俺は着地と同時に全速力で走る。先導は頼んだ!」


「わ、分かったぜ!」


 ケフェウスは直ちに降下準備に移った。


 勢いを殺し過ぎぬように注意して宙を滑ると、地面と平行を保ちながら手を離し、リトラを芝生の上へと着地させる。


 リトラは着地と同時に地面を一度転がると、起き上がりの勢いをそのままに全速力で駆け出した。その背後、中年の近衛兵がリトラの影に気が付いた。その距離三十フィート、空中で発見されなかっただけでも幸運と言えた。


「今、何か……おいっ、そこにいるのは誰だ! 待てっ、おい止まれ!」


「ゴメン今急いでるから無理!」


 リトラは尚も速度を上げて走る。


「こら待てっ、このガキッ!」


 近衛兵も負けじと追い掛けるが制服と装備が邪魔をする。その距離は次第に開いていくばかりだった。だが、この先に逃げ場などない。それは後を追う近衛兵には分かっていた。


 勿論それはリトラにも分かっている。近衛兵より先に寺院に辿り着いたところで扉は閉じられている。解錠を試みている間に追い着かれ、扉の前で捕縛されるだろう。騒ぎを聞き付けた他の近衛兵も一斉に寺院へと向かって来ている。逮捕は時間の問題だった。


 その時、前方を行くケフェウスが速度を落とすと振り向かぬまま叫んだ。


「ぶっ放せッ!」


 リトラは瞬時にその意味を理解した。


 リトラは全速力のままケフェウスの背後へと迫ると、その体に向かって左腕を突き出した。次の瞬間、眩い閃光と共にリトラの左腕にケフェウスが宿り、その光は真紅へと変わる。


 ケフェウスが身に宿す紅榴石の星ガーネット・スター、その紅き輝きがリトラの左腕から放たれた。威力を最小限に留めているとは言え、その紅い光弾は大扉を容易く破壊し、更に寺院内部の闇の中へと吸い込まれていった。


「よっしゃ、取り敢えず中に入ろうぜ!」


 とケフェウスが言ったその時、破壊された扉の遥か先、暗闇に覆われている寺院の最奥で紅い光が大きく煌めくのが見えた。


「何だ、今の……」


 リトラが異変を感じ取り、扉を前にして脚を止める。


 すると、最奥に留まって膨らみ続けていた光がある一点に向かって収束し始め、それは今や目視出来ない極小の粒となって消え失せたように見えた。


 だがその直後、それは弾けたように一度激しく明滅したかと思うと、そこから膨大な光の奔流を伴った紅い輝きが一挙に放射された。


 それは正に、光の爆発だった。


 寺院の窓という窓から溢れ出した光が庭園全体を紅く照らし出す。


 中でも寺院の正面上部、大きなバラ窓から突き抜けた光の勢いは凄まじく、それは宮殿や時計塔を容易く飛び越えて都の上空、夜空の高くにまで伸びて赫々と輝いた。


 それはあたかも西の空に夕陽が舞い戻ったのかと錯覚する程だった。この一瞬、都から全ての音が消え失せた。


 人々は騒ぐのを忘れ、その光に魅入られている。中には空を見上げて祈る者もいた。それ程に、その紅い光は神聖で鮮烈な印象を人々に与えたのだった。


 夜空に赫々たる軌跡を残した紅榴石の光、その残滓は今も微かに明滅している。


「……ケフェウス君」


 リトラが呆れたような、やや非難するような眼差しでケフェウスを見る。


「やめろやめろ、そんな目で見るんじゃねえ」


 光と静寂に包まれながら、この事態を引き起こしてしまった当の二人は顔を見合わせ、寺院の前に立ち尽くした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る