第5話 おかしな事

 時計塔を飛び立ったケフェウスは西側から宮殿裏手側へと回り込み、現在は宮殿を臨む庭園の木々の梢で思案していた。


 恐らく王女は自室に籠もっているはず。そう簡単に見つかりはしないだろう。そもそもこれは急な思い付きであり、あまり時間も掛けられない。幾つかの窓を覗いて見つからなければ潔く諦めて時計塔へ引き返そうと決め、ケフェウスはいざ宮殿に向かって飛び立とうとしたのだが、そこで重大な事実に気が付いた。


「そういや、王女サマのこと何も知らねえや……」


 勢い任せで来てみたものの、ケフェウスは彼女の事を何も知らなかった。彼女を探すにしても手掛かり一つない。せめて特徴の一つでもリトラに聞いておくべきだったと今になって後悔した。


 家路を急ぐ鴉の群れにでも訊ねようかと思ったが、あの中に話の分かる者はいそうにない。そもそもケフェウスはあの連中が好きでは無かった。三本足の御使いは別として、あの連中は此方の話など聞かず集団で追い回して来る可能性がある。


 さてどうしたものかと翼を組んで頭を捻るが、そう簡単に名案は浮かばなかった。このまま此処にいても時間の浪費、大人しく時計塔に戻ろうかと諦めかけたその時、太い幹を挟んで何者かが語り掛けてきた。


「あんな悪賢い犯罪者が日中を堂々と飛び回っているのに、何で私のような善良で品行方正な市民が隠れて生きなければならないのよ。おかしな話だと思わない?」


 聞こえて来たのは世の不平を訴える女性の声だった。声を荒げているにも拘わらず、それは何の濁りのない美しい囀りにしか聞こえない。ケフェウスは翼でさっと黄褐色の襟元を正すと、こほんと喉の調子を整えて声を返した。


「美しい声のお嬢さん、君の気持ちは良く分かるぜ? でも、残念ながら奴等を裁く法は無い。人間も鷹狩なんてせずに連中を狩った方が良かったんだ。幾らか被害は減っただろうしな」


 この言葉に気を良くしたのか、声の主がケフェウスの傍にさっと飛んで来た。現れたのは蒼雀ブルーティット、その名にある通り、青色の美しい羽根を持った小柄で愛らしい女性だった。


 彼女はケフェウスを見上げると、その頭部に羽角があるのを認めて驚いた。


「あら、こんな時間に珍しい。それに私、この辺りにいるのは面梟メンフクロウだけだと思っていたわ。まさかミミズクに会えるなんて!」


 彼女はこの驚きを大層喜び、声を弾ませた。


「この思いがけない幸運に感謝しないとね。勿論、アナタのような話の分かる人と出会えたことにも」


「オレの方こそ君のような賢い女性と出会えて幸運だよ。丁度、この辺りで話を聞ける者がないか探していたところなんだ」


「何か困り事?」


「そう深刻なもんじゃない。人を捜してるんだ。あの宮殿にいる王女様さ。もし知っているなら彼女の特徴を教えて欲しい」


「王女様のこと? そんなの誰でも……あっ、分かった! アナタ、この国の人じゃないのね? いいわ、そう言うことなら教えてあげる」


「おお、話が早くて助かる」


 彼女は腰に翼を当て、任せなさいと言わんばかりにその鮮やかな黄色の胸をぽんと叩いた。


「まず背は小さくて細身ね。髪は明るい赤毛、顔は気が強そうでちょっと冷めた感じ。特徴的なのは眉毛、きりっとして長いのよ」


「ち、ちょっと待ってくれ。それってさ」


「こら、最後まで聞きなさい。さっきは小さいって言ったんだけど、彼女って不思議と小さく見えないのよ。きっと顔が……って、ねえ、聞いてる?」


 ケフェウスは一点を見つめて動かない。


 不審に思った蒼雀が脇腹を翼で突くと、ケフェウスが宮殿を指差した。蒼雀は首を傾げたが、仕方なしに従って視線をその先に向けてみた。


 すると、先程までは誰もいなかった庭園側のバルコニーに一人の女性が佇んでいる。髪は明るい赤毛、背は小さく細身、それらは蒼雀の語った特徴と合致している。


 その明るい赤毛は夕陽を受けてその輝きを増し、上流階級にしか見られない長髪を胸元にも垂らしている。その癖のない髪は風にさらさらと揺られ、その半ばから毛先までを幾筋もの光がきらりと走った。


 陽光を空に投げ返す赤毛とは対照的に、光を吸い込む落ち着いた深い青色のドレスもまた印象的だった。二人は長らく嘴を開けて彼女の姿を眺めていたが、はっと我に返った蒼雀が声を上げた。


「あの子よ!あの子が王女様よ! これまた珍しい事があるものだわ! 姿を見るのは本当に久しぶりよ? でも、思っていたよりも元気そう……でもなさそうだけど、噂のように酷い顔ではないわね」


「そうみたいだな。オレもてっきり、髪はぼさぼさ、肌はぼろぼろ、げっそり痩せ細って骨と皮だけになってるのかと思ってたよ」


 ケフェウスは想像していた失意の王女とはまるで違う姿に驚き戸惑ったが、同時にその姿に見入っていた。


「……何て言うか、女王サマが似合う顔って感じだ。あの歳で見事なもんだぜ」


 円らな青い瞳。凛とした顔立ちは少し気難しそうにも思えたが、常に微笑んで見える口元がそれを和らげている。言葉を選ばずに言えば、賢くてちょっと生意気そうな愛嬌のある女の子だった。蒼雀の言っていた通り、長く濃く引かれた眉は意志の強さを表しているようで印象的だった。


 背筋は真っ直ぐに伸びて姿勢が良く、それほど小柄には感じない。その立ち姿には気品があり堂々としている。ケフェウスが見事と言ったのは正にそこであった。


 彼女の持つ美しさは顔立ちなど生まれながらに得たものにではなく、自らが培って高めたものにこそ宿っている。


「しっかし、まるで別の生き物みてえだな」


 歳は変わらないだろうに此処まで違うものかと、ケフェウスは半ば呆れたように溜め息を吐いた。あの立派な立ち姿を、どこぞの手癖の悪い猫背で命知らずの悪戯小僧にも見せてやりたい。


「そっくりだって言われてる女王サマが人気なのも頷ける。でも、やっぱり寂しそうだよ、彼女。それがまた美しさに花を添えてるってのは何だか皮肉だな……」


「そうね、あんな事があったのに以前よりも綺麗になったように思えるわ。悲劇は美を高めるのかしら、愛と引き替えに」


「愛なくして美は生まれないってのに……じゃなくて! 何だかおかしいぞ、爺さんによれば彼女はかなり〈おかしな事〉になってるはずだ」


 確かにグンナルはそう言っていた。ライラントの帰還祝いと婚約発表の準備をさせ、明日の誕生日が過ぎれば手紙が届くまで一年を塞ぎ込むのだと。


 しかし此処から見る彼女はどうだろう。行方知れずになった婚約者の帰還を信じる心の壊れた哀れな娘なのだろうか。ケフェウスにはどうしてもそのようには見えなかった。


 バルコニーの笠木に手をかけ、遠く寺院を見つめる姿には悲しみなど微塵も感じられない。寧ろ、抱く印象はそれとは真逆、あの双眸からは揺るがぬ意志と決意めいたものを感じる。


 やはり、あの気高く美しい王女が悲しみに屈しているなどとは到底思えない。それとも誕生日の間だけ正気を取り戻すのだろうか。或いは、


「人違いってことは……」


「そんなはずないわ。大人っぽくなってるけど間違いなく彼女よ、見間違えたりしない」


「う~ん、じゃあ爺さんが言ってたのは何だったんだ?」


「さあ、そのお爺さんも誰かに聞いた話をアナタに聞かせただけじゃないの? それに噂話なんてする人は大抵尾鰭を付けるものよ」


「……確かにな。でも、そういう感じでもなかったんだ。教師だって言ってたし、呆けてるようにも見えなかったし、やけに詳しかったし」


「まっ、別にいいじゃない。私は安心したわ、心の方はともかく体の方は健康そうだもの。アナタは彼女が痩せ細って骨と皮だけになっていた方が良かった?」


「そんなまさか! 聞いた話と違ってたから、ちょっと気になっただけ……って、ああっ!」


 ふとバルコニーに視線を戻すと、そこに新たな人物が現れた。ケフェウスはその人物を見るや素っ頓狂な声を上げて驚いた。


「あの爺さん、やけに詳しいとは思ったけど王女サマと知り合いだったかのか。でも、何だか妙な雰囲気だな……」


「あの人が話してたお爺さん?」


「ああ、間違いない。あの学者みたいな爺さんが色々教えてくれたんだよ」


「そうだったの。よく見るわよ、あのお爺さん。確かずっとずっと前から宮殿にいる人だったと思う」


「ずっと、ってのは?」


「何でも前の王様の時から教師をしているとか、相談役だったなんて話も聞いたわ。とっても有名な学者先生なんですって」


「なら、教え子と口喧嘩ってのは一体……悪い、ちょっと行って来るよ」


「行くって何よ、まさか盗み聞きしに行くつもり!?」


「大丈夫! オレ、こう見えて口は堅いから!」


「そういう問題じゃ……ちょっと!」


 言うが早いか、ケフェウスは音もなく飛び立ってしまった。蒼雀が待ちなさいと叫ぶが声はもう届かない。


 彼女はどうしたものかと梢をうろうろしたが、遂には居ても立ってもいられなくなってケフェウスの後を追って飛び出した。


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