第4話 胎動の音色

「うん、いいね、此処からなら良く見える」


 陽は傾いて時刻は夕刻、グンナルと別れたリトラとケフェウスの二人は時計塔にいた。都の中心から南西に位置し、王家の住まうオルロフ宮殿を臨む大時計塔である。


 宮殿の手前側にはウルリーカ女王の銅像がある噴水広場があり、広場に面した通りには何台もの馬車が停められている。豪奢な四頭立ての馬車は諸侯の馬車であろう。


「こりゃあ凄い、馬車の数も警備の数も相当なもんだ。ん? あれは確か……」


 双眼鏡を覗き込むリトラは馬車の一つにまだ記憶に新しい紋章がはためくのを見た。それは先程グンナルが語ったばかりの王女の婚約者、ライラントの生家であるイダー=オーバーシュタイン家の紋章である。


 彼が行方知れずとなってしまってからも両家の親交はあったのだろうか、或いはこの目出度き日(世間的にはだが)に謁見に訪れたのだろうか。


 リトラはその理由が何とはなく気になったが、今はまず目的の場所を探すことにして宮殿の裏手へと視線を移した。


 そこに広がるのは一面緑の芝生と高く聳える木々が茂る庭園。リトラの視線はそこから更に奥へ進み、中央を緩やかにうねる歩道から南西に外れた場所でようやく止まった。


「あった。あれだよ、ケフェウス」


 指を差した先には白く尖った枯れ木のような建物があった。その周囲に木々はなく、ぽつんと寂しげに建っている。


「ありゃあ教会か?」


「マドナーヤク寺院、だったかな? 戴冠式とかに使われていたみたいだけど、火事があってから久しく使われていないらしい。修繕はしたみたいだけどね」


 リトラの頭上、高い鉄柵の上で翼を休めるケフェウスが先を促した。


「で、あの寺院と宮殿は地下通路で繋がってるんだ。今夜、あそこを調べてみようと思う。上手く行けば今夜中に宮殿に入れる」


「それは構わねえけど、何でそんなことまで知ってんだよ」


「さっき図書館で調べたんだよ。溜め息と欠伸を聞きながらね。ところでケフェウス、まだ俺を掴んで飛べるだけの力はあるかい?」


 その無礼な物言いに、ケフェウスは体を膨らませて憤慨した。


「おい、オレをそこらの鳥類と一緒にすんなよ? たとえオレが喧しいお喋り鸚哥インコと同じサイズだったとしても、お子様一人をぶら下げて飛ぶくらい訳ないぜ」


「それを聞いて安心したよ。よし、日が暮れたら此処から飛ぼう。流石に空の警備まではしてないはずさ」


 宮殿に向かって両腕を広げ満面の笑みを浮かべるリトラを尻目に、ケフェウスは嘴を大きく開けて僅かに沈黙した。


「……直接宮殿の屋上に降りるんじゃダメなのか?」


「何言ってんだよ、屋上にも警備はいるんだぜ? あんな所に降りたら間違いなく騒ぎになる。ほら、見れば分かるだろ?」


「じ、じゃあ警備とかに成り済ますのは?」


「今から制服を手に入れんのは面倒だなぁ。それに見ろよ、皆デカいし分厚い。あんなのを俺が着たらぶかぶかになるよ」


「でもほら、変装で忍び込むのって楽しそうじゃねえか? その方がスマートって言うかさ」


 ケフェウスは尚も折れなかった。


 翼を忙しなく動かしながら、何とか別の方法を提示しようと必死になっているようだ。


「そう言うけど、俺はともかくとしてケフェウスはどうするんだよ。服の中になんて隠せないし、俺一人で行ったら拗ねるんだろ?」


 ケフェウスはぐっと呻いて言葉に詰まった。


 リトラの言う通り、一人で侵入するなど普段のケフェウスが許すはずがない。それは母様の言い付けによるものでもあるが、何より見ているだけで満足出来るような控え目な質ではないからだ。


 だと言うのに何故か乗り気では無い。明らかに様子のおかしいケフェウスを訝りながら、リトラはどこか諭すように言った。


「変装なんていつでも出来るけど、王家の秘密の地下通路なんて滅多に行けないぜ? 中で何があるか分からないし、ケフェウスだってそっちの方が好きだろ?」


「……まあな!」


 空元気で返事をしたケフェウスには気付かず、その返事に満足した様子のリトラは上機嫌ではしゃいでいる。


「今から楽しみだよ。にしても、この高さから飛ぶのはさぞ気持ちいいだろうなぁ」


 鉄柵の隙間から顔を出して無邪気に都を見下ろすリトラ、一方のケフェウスは羽根の下で顔を青くしていた。


 この時計塔から飛び立ち宮殿を越えて庭園の奥までとなると4mile程ある。無茶苦茶を言うなと怒鳴りたくなったが見栄を張った手前それは出来なかった。


 この時計塔の高さから飛び立ったとしても、高度を維持して飛び続ける力が果たして今のケフェウスにあるのか否か、それはケフェウス自身にも分からなかった。


 とは言え、偉大な夜に遣わされた神鳥としての自負がある。ケフェウスは決意の眼差しで白木のような寺院を見つめた。


「おっ、気合十分だな。頼りにしてるぜ?」


「まあ任せとけ、人物の偉大さは体格と比例しないってことを今夜証明してやるよ」


 と啖呵を切ったものの、その胸中を占めるのは不安が大半だった。


「なあケフェウス、俺達の真下にある振り子は650pond、鐘の重さはその5倍あるんだってよ。よく作ったよなぁ、こんな大きいの。あ、鐘と言えばウルリーカ女王が亡くなった時は歳の数だけ鳴らしたらしいんだ」


「……大丈夫だよね、母様」


「何か言った?」


「何でもねえよ!」


 人の気も知らず観光気分で楽しんでいるリトラに苛立ちながら、ケフェウスは心中母様に成功を祈願した。


「どうしたんだよ急に……何か変じゃない?」


「変じゃない、気にすんな。それよりもだ! 肝心要のモノはちゃんと宮殿にあんのか?」


「グンナルお爺さんが言ってただろ? その〈準備〉はしてるってさ。おそらく侵入困難な場所からは移されてるはずさ。今頃は展示されてるんじゃないかな。高貴なお客様も来てるみたいだからね」


「う~ん。だとしても、外であれなら中の警備も相当のはずだ。侵入、窃盗、脱出、どれも見付からずに済ますのは至難の業だぜ?」


「そうだよなあ、上手く侵入出来たとしても警備を何とかしない事には……まあ、考えとくよ」


 あくまで楽観的な態度を崩さないリトラに、ケフェウスは長い溜め息を吐いた。


 リトラのこうした所に振り回されるのも嫌いではないのだが、一見無垢で人好きのする顔に似合わず大胆で突拍子もない事をしでかすから心臓に悪い。


 それにも多少慣れているとは言え、まだ悪意の名を冠していたフリージアにたった一人で挑んだと知った時は、あまりの無謀さと無鉄砲さに驚くと同時に恐ろしくもあった。


 半人半神の身ならばまだしも、やり直しの利かない一度きりの命しか持たず、まだ子供と言われてもおかしくない年齢で何故あんな真似が出来るというのか。


 あまりに刹那的であり、良くも悪くも今に全力で生きている。だからこそ神々の王すらも怖れた偉大な夜の恩寵を享けるに至ったのだろうか。


 本来ならば神々に玩ばれる存在に過ぎない人の身でありながら、それを可能にしたのは何故だろう。


 その刹那の命が生み出す無二の輝きによって魅了したのだろうか。いや、それは有り得ない。歴史に名を残した者の中には、似たような者が掃いて捨てるほどいる。


 ただ、彼等とは異なり栄光や死後の名誉などと言うものは一切求めていない。かと言って危険を好む死にたがりの狂人という訳でもない。


 誠実ではあっても正義ではなく、他人の所有物を奪う悪党ではあるのだが、物に執着しているわけではない。こうして考えてみると何とも掴み所のない人間である。母はそこを気に入ったのだろうか。


 などと頭を捻るものの、ケフェウスはそんな埒の明かない問答を繰り返す自分に気付くと鼻で笑った。


 母の御心を理解し得る者など何処にもいないからだ。もしかすると深い理由などないのかも知れない。ケフェウス自身がそうであるように。


「単にコイツが気に入った。理由なんてそれで十分だ」


 そう空に呟くと、翼をひと打ちした。


「どっか行くのか?」


「王女サマがどんな女の子か気になるんだ。それにほら、爺さんの話を聞いたら何だか可哀想でさ……ってことで行くわ。夜には戻る!」


 リトラの答えも待たず、ケフェウスは宮殿に向けて飛び立った。その姿はたちまち小さくなり、滑空する黄褐色は沈み行く夕陽の光に溶けだした。


「……行っちゃったよ。頼むぞケフェウス、王女様に一目惚れして戻って来ないとかやめてくれよ?」


 こうして一人残されたリトラは、その時が来るまで時計塔に身を潜めることにした。此処は少し冷えるのか、肩に掛けていたトレンチコートに袖を通す。


 ふと、都を賑わす祭りの音色が未だ衰えていない事に気が付いた。


「今尚民衆の心を離さない女王ウルリーカ、彼女は一体どんな人物だったんだろう。色々書いてあったけど結局分からなかったな」


 リトラは未だ人々の記憶に君臨する女王に強い関心を抱いていた。と言うのも、都を充たす空気にも彼女の気配を感じていたからだ。


 この時計塔も彼女の生きた時代に建てられたものである。見上げると、その当時に鐘に入ったとされるヒビが確かに残っていた。修繕はされず、そこに舌が当たらぬように鐘を僅かに回転させたという。


「この大きさなら天にまで届きそうだ」


 その時、地平の先で眠りに落ちる間際の昼が時計塔を淡く照らした。それに気付いたリトラがお休みと囁くと、昼はゆっくりとその瞼を閉じようとしていた。


 彼のすぐ足下では、巨大な針ががちりと音を鳴らし、また一つ時を刻んでいた。直に昼と夜とが入れ替わるだろう。妙なる物語を望む夜の目覚めは、もう間近に迫っている。



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