第3話 夢と未来


「俺はリトラ、こっちはケフェウス」


 リトラが名乗るとグンナルは目を見開き、信じられんと口の中で呟いた。


「どうかした?」


「いや、気にせんでくれ……」


 何やら狼狽えるグンナルに首を傾げるリトラとケフェウスだったが、取り敢えず彼が何者であるのかを訊ねることにした。


「お爺さんは何故此処に? こんな所でお酒を飲むような人には見えないけど」


 ほんの一瞬、この問いに答えるか否か躊躇う様子を見せたグンナルだったが、何か思う所があるのかうむと頷いて話し始めた。


「儂は教師をしておるのだが、つい先程教え子と口論になってしまってな。これからどうするべきか迷っていたのだが、取り敢えず、偉大な先人達に倣って酒を飲んで忘れてしまおうと考えたわけだ」


「おいおい無茶するなよ、爺さん。その先人達みたいに酒の失敗で語り継がれたくないだろ? どこぞの大王みたいに」


 グンナルは声を出して笑った。少しは気が紛れたらしく、先程よりは幾分表情が明るくなったように見える。


「ところで、何で俺の名前を?」


「……よく知っている御方にとても良く似ていたものでな。きっと人違いであろうとは思ったのだが、確かめずにはいられなかったのだ」


 その声はとても寂しげで落胆しているようにも思えた。一方のリトラは疑問を解消する機会を逃さなかった。


「是非とも教えて欲しい。俺は一体誰と似てるんだい? 実はね、色んな人に熱い視線を向けられて困っていたところなんだ」


 グンナルはそうであろうなとだけ言うとグラスに注いだ酒を口に含み、ゆっくりと嚥下する。


「……ライラント・イダー=オーバーシュタイン。王女、レセディ・ラ・ロナ・フェルディーン様の婚約者だった御方だ」


「へぇ、コイツがそんな高貴な御方とねえ。そんなに似てんの?」


 と言ってリトラの頬を翼でつんつんと突く。


「歳は違えど瓜二つだ。ライラント様と比べると表情が柔らかく幼い印象を受けるが、きちんと整髪して髪を栗色にすれば大抵の者は信じるだろう」


「それって似てるのかなぁ……」


「オマエにゃ気品がねえんだよ、気品が。それより婚約者〈だった〉ってのは? 王女様は婚約発表するんだよな? 今は別の奴ってこと?」


「それについては長話になるが、構わんかね?」


「勿論さ。なあ、ケフェウス」


「別に良いぜ? 行く先々でまたあんな風に見られたら祭りを楽しめないし。俺も気になるしな」


 グンナルは頷いて、落ち着いた口調で語り出した。教師というのに偽りはないようで、このような場面には慣れているようだった。


「英雄ラーシュの父方の姉はオーバーシュタイン家に嫁いでいてな。ライラント様は彼女の玄孫に当たるのだが、驚くことにその容姿はラーシュ様と瓜二つだった。おそらく、世代を飛び越えてカールグレーン家の血が濃く現れたのだろう。奇しくもレセディ様と同世代、これには誰もが運命を感じたものだ」


 グンナルが穏やかな笑みを見せる。


「その王女ってのは女王にそっくりって話だったよな? しかも誕生日まで同じ。ふうん、人の世にはまだまだ面白い話があるもんだな」


 ケフェウスが翼を組んで感心していると、グンナルが話を引き取って続ける。


「両家共に未来に期待した。オーバーシュタイン家は東側諸侯の中でも名家、鉱山を多く所有し宝石によって蓄えた莫大な財がある。フェルディーン王家にとっても望ましいお家柄だった。お二人は物心付いた頃から互いのことを聞かされて育った。二人が初めて出会ったのはレセディ様が十五歳、ライラント様が十八歳の時、これは両家共に慎重に慎重を重ねた結果だった」


「そんな作戦が上手く行くのか? 思い描く理想が現実って奴に打ち砕かれるなんて話は古今東西どこにでもあるんだぜ?」


 何やら考え込んだ様子で懸念を口にするケフェウスに対し、グンナルはにこやかに笑った。


「結果から言えば成功だ。食事の際には互いの好物を差し出し合い、庭園を散策すれば互いの気に入る花を贈り合った。まるで何年も前からそうであったかのようだったよ」


「見てきたかのように言うんだな、そんで?」


「先に述べたようにお二人は互いを気に入り、後には婚約する運びとなった。結ばれるべくして結ばれる、そのはずだった」


 一転、グンナルが声を落とす。


「ある時、西側で飢饉の兆しがあると聞いたライラント様は、調査を命じられた学者達と共にご自身も向かわれた。過去の西側諸侯による反乱、そのきっかけと言われる飢饉。その苦い教訓から、農作物の病には常から強い関心を抱いていたからだ。その知識は学者も舌を巻く程だった。事実、彼の提案した石灰と硫黄の混合剤によって危機は去った」


 ライラントの功績を語る彼は実に誇らしそうだった。だが、それもそこまでだった。グンナルは表情を曇らせ、声を震わせた。


「本来ならばそこで終わるはずだったのだ。その功績と共に帰還するはずだった。しかし彼は、その日の晩を最後に姿を消した。王家に恨みを抱く旧西側諸侯残党による誘拐、暗殺。または失踪かなどと様々な憶測が飛び交った。その後すぐに大規模な捜索が行われたが、遂ぞ見つかる事はなかった」


「そんな……」


「この一件を後にしてレセディ様は……その深い悲しみ、嘆き苦しむ様は半身を引き裂かれたかのようだった。その苦しみは今でも続いている。もう二年になる。おそらく、癒えはしないだろう」


「で、でも、聞いた話じゃ婚約発表って」


「それにも訳がある」


 ケフェウスの言葉を遮り、グンナルが続けた。


「ライラント様はレセディ様に宛てた手紙を残していたのだ。今でも一言一句憶えている」


『レセディ、難しい話は抜きにしよう。厄介なカビ病や石灰と硫黄の配分なんて話はね。喜んで欲しい! 予定よりもずっと早く問題が解決したんだ! 君の十六歳の誕生日に間に合いそうだよ。これが共に過ごす初めての誕生日になる。会える日が楽しみだよ。さて、まだ夜は冷えるから体には気を付けて。ではまた』


「じゃあ、王女様は今も……」


「うむ、ライラント様を待っている。この祭りは民にとっては生誕祭という事になっているが、レセディ様にとっては違うのだ」


「どういうこと?」


「彼女の中ではライラント様の帰還と共に婚約発表を行うという事になっている。事実、その準備は行われている。準備と言っても見せかけだが、これはレセディ様を錯乱させぬ為の措置だ。おそらくは、この話がどこからか漏れて先程の婚約発表の噂となったのだろう。無論、そんなことは起こり得ない。お相手がいないのだからな」


 グンナルは悲嘆の溜め息を吐いた。


「……誕生日が過ぎれば、レセディ様の世界は一度壊れて時が戻る。そして癒えぬ悲しみに暮れて一年が経とうかという頃、再びライラント様からの手紙が届く。君の誕生日には間に合う、とな」


 ケフェウスはその翼で自身を抱き、体をぶるりと震わせた。


「彼女の他にも跡継ぎはいるはずだ。なのに何故、彼女に対してそこまでのことを?」


「確かに弟君がおられる。まだ幼いが後継に置くのもおかしな話ではない。しかし、フェルディーン王家は今も絶対的長子継承制であることを強く主張する者達がいる」


「何でだよ、言いなりに出来る子供の方が都合良いだろ」


「ケフェウス、忘れてないか? 彼女は偉大な女王陛下と瓜二つなんだぜ?」


 ケフェウスはなる程と言って翼をぽんと叩く。


「中身がどうであれ王女の顔は大いに役に立つわけだ。民衆も好意的だし弟よりも旨味がある。どうせ自分で何も出来ないわけだし」


 ケフェウスの明け透けな物言いにグンナルは苦笑している。


「大体はそのようなものだ。きっと昔のレセディ様に戻られる日が来る、陛下、信じて待つのです、などと連中は言っているが勿論建前だ。とは言え、陛下もレセディ様には格別の期待をしておられた。そう簡単に諦めたくはないのだろう。ただ、陛下は王妃に先立たれてから心身共に弱っている。もし今のレセディ様が女王となれば、その連中の思うままとなるだろう。仮に後継が弟君になったところで結果が変わるとも思えん」


 グンナルはこの生誕祭に浮かれ騒ぐ人々の中にあって唯一人、この国に訪れるであろう暗澹たる未来を憂いていた。


 酒を飲んで忘れたいのは教え子との喧嘩別れなどではなく、寧ろ今語った暗い未来の方なのだろう。グンナルの老いた皺だらけの手を見ながら、リトラはそう感じていた。


「王権とは神によって授けられしもの。しかし時代は移り変わり、そのような事を信じる者はない。本来であれば王を支えるべき者達が権威欲しさに諍いを起こす有様だ。かつての結束は何処ヘやら、傷心のレセディ様に付け込み王家に介入しようと企む輩まで現れ始めた」


 語気を荒く、グンナルは酒を飲み干す。


「王家は弱っている。今の王家に必要なのは揺るがない心を持ち、そのような連中に毅然と立ち向かう強い意志を持った御方なのだ」


「かつてのウルリーカのように?」


 リトラの問いに、グンナルが深く頷いた。


「レセディ様にはその資質が充分にあった。それは誰もが認め、民もより良き女王の時代が来るのだと信じて疑わない。その期待もあって生誕祭はこの通りの盛況だ」


 そうは言いながら、後ろめたさでもあるかのように民衆から目を逸らし、寂しげに目を伏せる。


「……あの、今更なんだけど王家の事やら何やら俺達に話しても良かったの?」


「何を構うものか。其方達以外に儂の話を聞いている者がどこにいる? いや、話したところで果たして何が変わる?」


 辺りを見ると先程と変わらず陽気に酒を飲む老人達、目抜き通りから脇へ逸れてこの通りへ来た者達、その中の誰一人として憂いを見せる者などいない。


 今は生誕祭、不安や憂いなどという陰気者が身を寄せる居場所など人々の心にあるはずもなかった。仮にグンナルが民衆に向かって声高に仔細を語ったところで、祭りの雰囲気を害する厄介な老人として扱われるに違いない。


 リトラが視線を戻すと、グンナルが口を開いた。


「長話に付き合わせてしまったな」


「そんなことないさ。とても勉強になったし興味深い話だったよ」


 リトラはいつになく真面目な顔でそう言うと、グンナルのグラスを手に取った。 


「国を憂う気持ちは計り知れないだろうけど、もう飲むのは止した方がいいよ。思慮深い賢人ほど過ちを過度に悔いるものだからね。愚かな二日酔いだなんて、それこそ大罪の如く感じるはずさ」


 グンナルは何も言わず、リトラの顔をじっと見つめている。


「そんな顔しなくても大丈夫さ、きっと悪いことばかりじゃない。こういう時って色んな事が起きるものだから。その良し悪しに関わらず、だけどね」


「……確かにそうかもしれんな。しかし、これ以上の〈何か〉は出来れば勘弁してもらいたい」


 そう言ってグンナルが苦笑した時、彼の頬を雨粒が伝った。


「む、雨か。何やら温かな雨だな……先程は雹が降ったと言うし、不吉の前触れでなければよいのだが」


「考えすぎだぜ、グンナルの爺さん。王女様の悲恋を聞いて、お日様がちょっと泣いてるだけさ」


 ケフェウスは単に事実を口にしただけなのだが、グンナルは気遣いと受け取ったらしい。


「さて、俺達はそろそろ行くよ。見ておきたい物もあるし。お爺さんも教え子の所に戻った方が良い。向こうだって頭が冷えた頃だろうし、きっと寂しがってるはずさ」


 と言って伸びをして立ち上がると、


「お爺さん、お話をありがとう。またね」


 リトラは人懐っこい笑顔でそう告げて、取り敢えず仮面を買わないと、などと話しながら、ケフェウスを肩に乗せてその場を後にした。


 グンナルは何も言えないまま彼等の背中を見送った。それから何事かを考え込んでいる様子だったが小雨が止むと程なくして席を立ち、教え子の下へ戻ろうと歩き出した。


「名も姿も昨晩の夢に聞かされた通り……このような事が現実に起こり得るとは。しかし、これで本当に何かが変わるのか? それとも、何かに惑わされただけなのか?」


 絞り出すようにして呟き、縋るように天を見上げるが返答はない。グンナルはいかんいかんと首を振って気を入れ直す。


「何にせよ、もう一度話してみなければならんな。それでレセディ様が考え直して下さればよいのだが、そうも行くまい……」


 そう呟くグンナルの背中は酷く弱々しかった。都を満たす陽気さも、彼に対しては何の作用も示していない様子だった。


 一方の昼は彼を何とか励まそうとその背を照らし続けたが、どうやら泣き疲れたようで、その陽光はゆっくりと傾き始めていた。




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