第2話 祭りの顔

「前から言おうと思ってたんだけどさ」


 リトラは突然立ち止まると、右肩に乗っているケフェウスに遠慮がちに切り出した。


「何だよ、その気持ち悪い言い方は。さっさと言えよ、どうせ後には言うんだろ?」


「まあ結局は言うんだけどさ。でも、安易に触れられたくない事実ってのはあるだろ? だから、まず初めに此方には確かな気遣いの心があると示したいわけだよ、ケフェウス君」


「分かったからさっさと言えって」


「うん。あのさ、小さくなってない?」


 気遣いなど欠片もない実に直接的な物言いだが、そもそもケフェウスが求めていないのだから問題はないだろう。


 リトラの言うように、ケフェウスは以前であればリトラの肩に収まる程度の大きさではなかった。それが今では実際の木菟ミミズクと同程度か、それよりもやや小さな姿になっている。


「ハハハッ! よくぞ聞いてくれたなこの野郎! これはオマエの所為だ!」


 リトラの問いに、ケフェウスは堪えきれない怒りを露わにした。


「オマエが俺の知らない間に厄介事の湖にどっぷり浸かっちまったお陰で母様のお叱りを受けたんだ! それでこのザマだ!」


「俺の所為なのかな、それって」


「オマエ以外の誰の所為にすれば良いんだよ!」


 その口振りからして、自分に何らかの責任があるという自覚はあるらしい。


「でもまあ、ほら、生きてるから」


 能天気に笑っているリトラの頭をケフェウスが翼で叩いた。


「いてっ」


「言っておくけどな、大変だったのは母様だけじゃないぞ! 姉様もだ! もしオマエが本当に死んでたら〈明けない夜〉が訪れてたかも知れないんだぞ!」


「そんなこと言われたって俺は人間だぜ? 〈そっち〉と違って死ぬときゃ死ぬさ」


 と言った時、太陽は翳りを見せ始め、大粒の雨が降り出した。


 おかしな事に空の様子は先程と何一つ変わっておらず、雲一つない晴天である。太陽の光そのものがその力を急激に弱らせたようだった。


「ほれ、姉様は見てるんだ。口を慎め」


「別におかしなことは言ってないだろ? ただ本当の事を言っただけだよ」


 リトラの声を掻き消すかのように雨は激しさを増し、暖かな光は失われ、雨はたちまち雹へと変わった。


「なあリトラ、次は何が起きると思う? 果てしなく続く冷害か? 或いはこの星そのものが凍てつくかもな」


「……もう言わないよ。約束する」


 天を仰いでリトラがそう呟くと雨はぴたりと止み、昼は再び輝きを取り戻し、その暖かな光を人々に頭上に遍く降らせた。


 もしあの状態が長引いていれば混乱した人々が凶兆や何だと言い始め、祭りを忘れて騒ぎ出していただろう。


「感情一つが世界規模なのは困るなぁ……」


「いいか、これからはあんまり心臓に悪いものを見せるなよ? この前だって、もう見てられないって言って、光を持ったまま〈館〉から中々出て来なかったんだから」


「だったら無理して見なきゃ良いだけの話だろ? 後でケフェウスが聞かせてあげるんだから」


「そうやって薄情なこと言ってると、この世から光が消えちまうぞ?」


「その脅し文句は強すぎるよ、ケフェウス君」


 再び天を仰ぎ、ケフェウスと出会った時のことを思い出すリトラだったが、それはもう遠い昔のように思えた。


「あの時は、ただの迷子かと思ったんだけどなぁ」


「出逢いは運命、運命は必然。縁は結ばれるべくして結ばれるんだ。複雑にこんがらがっても、後でぷっつり切れちまうにしてもな。さて、雨も止んだし、そろそろ行こうぜ?」


 リトラは翼に背中を押され、再び歩き出した。


「運命ね」


 誰に言うともなく呟いて、リトラは行き交う人波の中へと入って行った。天を充たす燦々たる昼はその目を輝かせ、彼を待ち受ける運命に心を躍らせていた。


 一方の夜は、昨晩の内に〈愛おしい星〉と交錯する運命にある者を予期していた。夜はそれをより確実なものとするべく、その者に少しばかりの後押しをしたのだが、それを知るのは彼女以外にない。


 彼女は心地良い微睡みの中、愛らしい昼の気配を感じ取ると、再びその瞼を閉じた。


 あの子ならば、きっと良い物語を見せてくれる。〈偉大な夜〉はそう確信し、自身から生まれる闇に包まれた館で暫しの眠りにつくことにした。


 一方、何も知らぬ地上の二人と言えば、 


「気のせいじゃないよな」


「あん?」


 店はどこも混んでいる為、気ままに露店などを眺めながら何処か外で飲み食い出来る場所はないかと探していると、リトラが右肩に乗るケフェウスに呟いた。


 すぐ横を見ると、何とも居心地の悪そうな顔をしたリトラの顔がある。一体何があったのかと次の言葉を待つが、その答えは聞かずとも分かった。


「見られてるな」


「やっぱりそうだよな? 最初はケフェウスが珍しいのかと思ったんだけどさ」


「いや、見られてるのはオマエだ。喋るだけのヤツ動物なら、そこまで珍しくもないしな。でも、何でだ? コイツの顔なんて、そこまで珍しくもないのに」


 すれ違った人々の中には、遠巻きにちらちらと見ながら何事かを囁き合う者が少なからずいた。


 悪感情を抱いているようには見えないが、得体の知れない好奇の目に晒されるのはあまり気分が良いものではない。


 オルテンシアに入った当初は祭りの人波に紛れて移動し、何処へも寄らずに図書館へと向かった為、今のような事はなかった。


「何だろう、俺が余所者だからかな?」


「そんなの他にも大勢いるだろ。もしかしてあれか? 隠しきれない犯罪の香りがすんのか?」


「だとしたら、鼻が良すぎない?」


「うーん。でもまあ、何かされた訳でもないしな。取り合えず、そこら辺を見て回ろうぜ? こんなに大きな祭りなんて滅多にないんだから」


 見られはしても人々の関心が祭りから離れることはない。此処よりも人通りの多い場所に行けば、あまり気にもならないだろう。


 二人はそう考え、都一番の目抜き通りへと向かった。


 そこには数多くの露店、力比べなどの様々な催し物、大道芸、演劇、楽団、仮装集団等、目を引くものは山ほどあった。二人は目を輝かせて、それら一つ一つを見物していたのだが、


「ケフェウス君、僕は怖くなってきたよ……」


「少年犯罪臭がキツいんじゃないの、オマエ」


 露店で立ち止まれば隣の老婆が顔を覗き込んで来る。大道芸を見ていたはずの観客達は芸をそっちのけで此方を見ていた。演劇を観賞すれば目の合った演者が台詞を飛ばす等々、挙げれば切りが無い。


 一度目は誰かと見間違えたのかと思ったが、このような異変が二度三度と続き、リトラはその度に愛想笑いと会釈をしてその場をそそくさと離れるのだった。


 幸い追ってくるような事はなかったものの、彼等の視線は中々振り切ることは出来なかった。


 これでは見物どころではないと、二人は何かに追われるように路地裏に逃げ込み、そこから比較的人通りの少ない通りに抜けると、木箱を椅子にして酒を飲む老人の一団に紛れ、ようやく一息吐いたのだった。


「オマエ、本当に何もしてないよな?」


「してないって。ずっと一緒にいたろ? まあ、これからしようとは思ってるけどさ。でも、そんなのバレる訳ない。ケフェウスにしか話してないんだから」


 とは言いつつも、気付かないうちに何かしでかしてしまったのではないかと、あらぬ不安を抱いてしまう。


 いっそ誰かが話し掛けてくれれば楽なのだが、そうする者は何故か一人もなかった。見て見ぬ振りと言うか、見逃されていると言うか、そういう印象を受けた。


 悪事を働く前にも拘わらず、捕まらぬように庇われているような、そんな気味悪さ。


「前科持ちなのが分かるとか?」


「前科なんてないよ、まだ一度も捕まってないんだから。今のところはだけど」


「なら、顔に出てんじゃないのか? あ、仮面でも着けたらどうだ? 売ってる出店なら幾らでもあるだろうし」


「おっ、そいつは名案だね。もしそれでも変わらないなら道化師にでも扮装するか……」


「考えすぎだ。ほら、飲め飲め。頭のネジを外して祭りを楽しめ。そうなりゃ全てが解決するさ」


 視線に追われて疲れ果てたリトラに、器用にも両翼にグラスを持って来たケフェウスが、その片方を差し出した。


「それは解決じゃなくて逃避だよ」


「んだよ、他に道があんのか?」


「酔ったら道を真っ直ぐ歩けないだろ?」


「無法者が正道を行く気か? とっくに道を踏み外してるクセに。いいから飲めって、お前が陰気な顔してるとこっちまで面白くないんだよ」 


 そう言って、ケフェウスはリトラの鼻先にグラスを突き付けた。


「はいはい、悪かったよ、飲めば良いんだろ?」


 リトラはグラスを受け取ると、半ばヤケになって一気に飲み干した。


「んんッ!?」


 瞬間、喉が焼け付き、胃の中で炎が燃え盛った。


 リトラはテーブルに突っ伏して、固く握った拳を震わせている。


「強いって……」


「強い酒じゃないと頭のネジ飛ばねえだろ。と言うか、そんなに強いのかコレ? ここの爺さん達は平気そうだけどな」


「ネジ全部飛ばした後だからだよ、それは」


 その言葉に老人達が一斉にリトラを見た。


 怒鳴られるかと思ったが、彼等は気を悪くするどころか顔を真っ赤にしているリトラを見てげらげらと笑った。


 子供が大人の真似をして酒を飲んだと思ったのだろう。その様子が老人達には微笑ましいようで、俺も昔はなどと仲間内で語り始めている。


「元気な爺さん達だなぁ」


 ご機嫌に酩酊した老人達に囲まれて溜め息を吐くと、リトラは再びテーブルに突っ伏した。未だ胃は燃えているらしい。


「ん?」


 何かの気配を感じて顔を上げると、対面には一人の老人が座っていた。


 彼は浮かれ騒ぐ人々や顔を赤くする陽気な老人達とは異なり、どこか物憂げな様子だった。


 透けるような白髪は丁寧に撫で付けられており身なりは良い。リトラにはこの気品漂う老人が何故このような場所に現れたのか不思議だった。老人はテーブルの上でゆったりと手を組み、何かを確かめるようにリトラを見た。


 こうして二人の視線が交わると、老人の方から口を開いた。


「儂の名はグンナル・バーリクヴィスト。其方、名は何という」







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