無欠の王冠

第1話 彼女の生誕祭


「なぁ、リトラ、俺達も祭りに行こうぜ」


「ああ、うん、祭り、祭りね」


「なぁ……」


 この日、何度目のやり取りだろうか。


 ケフェウスの呼びかけも空しく、リトラから返って来るのは気の抜けた復唱と紙を捲る乾いた音だけだった。


「ったく、〈そんなもん〉を読んで何が面白いんだよ。埃被った知識や歴史なんてやつは、いつだって楽しい今を奪うだけなのに……」


 ケフェウスは両翼を広げて首を振ると、ちらりと窓の外を見た。


 そこに見えるのは、退屈な日常から解放されて歓声を上げる人々の姿。踊り騒ぐ彼等の歓喜は閉じられた窓を平然と突き抜けてくる。


 その底抜けな陽気と賑やかさにじっと耳を傾けながら、ケフェウスは深い深い溜め息を吐いた。


「こんなんじゃ、日が暮れる前にコイツと一緒に歴史に埋もれちまう……」


 とある国の王都〈オルテンシア〉。二人はその王都にある大図書館にいた。


 現在、都は盛大な祭りの最中だと言うのに、リトラはその喧騒を抜け出して人気のない大図書館を訪れていた。厳密に言えば忍び込んだのだが、今は気にする者などいない。


「学者も詩人も智慧と言葉を忘れて踊り騒いでるってのに、コイツときたら」


「ウルリーカとラーシュ……」


 未だに不満を垂れるケフェウスを余所に、リトラは長机に分厚い文献を広げ、細かい文字に目を走らせて何かを探している。


 祭りの喧騒は図書館の隅々まで満たしているのだが、リトラは全く耳に入らないらしい。


「えぇっと、これが……」


「……ハァ、やれやれ」


 もう飽き飽きした様子のケフェウスが、本日何度目になるかも分からない深い溜め息を吐いた時、


「ウルリーカの大宝、無欠の王冠。国と英雄に捧げた〈女王の心〉」


「何だそりゃ?」


 リトラが発した一言に、退屈そうに頬杖をついていたケフェウスが興味を示した。


「無欠の王冠ってのは〈フェルディーン王家〉に伝わる、ある女王の王冠なんだ」


 そう言うと、文献をくるりと回してケフェウスに向ける。


「げっ、何だよこりゃあ、最近の蟻は本にまで巣作りすんのか?」


 細かい文字がびっしりと敷き詰められた文献に、ケフェウスは明らかな拒否反応を示している。


「ほら、ここだよ」


「へえ、これが大宝? これが?」


 リトラが指先で叩いた箇所には挿絵があり、そこには本来あるべき装飾と宝石が取り外され、穴だらけになった王冠が描かれていた。


「無欠って言うより欠点塗れって感じだな」


「ちゃんと訳があるのさ。ええと、何処だったかな……っと、ここだ」


 リトラは文字の上を滑らせていた指先を止めると、「かなり端折るけど」と言って、その経緯を読み上げ始めた。


 ある時、諸侯による反乱が起きた。発端は大陸西部の飢饉とも言われるが、それはともかく、王位簒奪を企てる西側諸侯と、それを阻止せんとする東側諸侯とが争った。


 この東西に分かれた戦の勝敗はフェルディーン王家が治める此処、南部に位置する王都〈オルテンシア〉で、王家と東側諸侯の勝利という形で決した。


 この戦で英雄と呼ばれた〈ラーシュ・カールグレーン〉に下賜されたのが、王冠の中央を飾る特大のピンクダイヤモンド〈女王の心〉をそのまま填め込んだ楯である。


 その楯の正式名は〈沈まぬ太陽〉とあるが、多くの人々からは宝石名をそのまま取って〈女王の心〉、または〈女王の乙女の心〉と呼ばれている。


「女王の〈乙女の心〉ってことは……」


「そう、二人は結婚したのさ。素敵な話だろ?  過度な誇張が多分に含まれているとしてもね」


「でもよ、この〈無欠の王冠〉とやらには何も無いんだぜ? 他の宝石はどうしたんだよ」


 リトラは頁を捲って、ある記述を指す。


「褒美をラーシュにだけ与えるって訳にはいかないだろ? だから、他の宝石も全て外して、東側諸侯等が愛用する武器や何かの装飾にしたそうだ」


「へぇ、随分と気前の良い女王サマだな。それで出来上がったのが何もない欠陥だらけの王冠ってわけだ。なら、ウルリーカの大宝ってのは?」


「勿論、それにも意味がある。彼女は彼等一人一人に王冠から外した宝石で装飾を施した武器を下賜した。その時の彼等は女王の姿にかなり戸惑っていたそうだ」


「そりゃそうだろ、穴だらけの王冠を頭に載せてんだから」


 ケフェウスは翼を組んで頷く。


「彼女は授与式を終えると立ち上がり、頭に載せた穴だらけの王冠を手に取ると、未だに戸惑っている彼等に向かってこう言うんだ」


 リトラは分厚い文献を閉じると、眼にしたばかりの短い文言を口にした。


『皆、礼を言う。私の王冠は、これで完成した』


「ってね。彼等はその場に跪き、若き女王〈ウルリーカ〉に永遠の忠誠を誓ったんだってさ。で、ウルリーカの大宝ってのは彼等の忠誠心だと言われてる」


「もしかして忠誠を得るために……」


「いやいや、流石にそれはないと思うよ? 王冠の宝石を外して渡すだなんて、感謝が先になければ出て来ない発想だろうし」


「まあ、そうだよな。それに、それが創作の可能性も大いにある」


「確かにその通り。彼女が女王を演出するという点で優れていたのは事実らしいからね。それは、没して五十年が経った今でも民衆から熱狂的に愛されている理由の一つでもある」


 リトラは差し込む陽光に眼を細め、窓から見える陽気な人々の姿を見て微笑んだ。


 誰もが精一杯のお洒落をして、家族は手を繋ぎ、友人たちは肩を組み、彼は彼女を抱き寄せる。老いた人々はそれを眺めて語り合う。それぞれがそれぞれに楽しんでいる。


 その誰もが笑顔であり、歓声は至る所から上がっている。都全体を満たす賑やかさと陽気が、誰もが今日という日を喜んでいると伝えてくれた。


「きっと、この日を待ってたんだろうな。さてと……」


 リトラは閉じた文献を脇に抱えて立ち上がり、元の書棚に向かって歩き出した。ケフェウスはその背後を音もなく付いていく。


 館内にあるのはリトラの足音だけだと言うのに、耳元には祭りの鳴らす音が絶えずやって来る。


「飲んで、踊って、騒いで、眠る。起きて、飲んで、騒いで、踊る。嗚呼、あの喧騒が恋しいぜ」


「まあまあ、ケフェウス君、お楽しみはそれだけじゃないんだ」


「何だよ、女か? この都にプリムラよりも可憐な花が咲いてるとは思えねえな。あ、元気にしてるかな? フリージアの奴が意地悪してないと良いけど、それにフェザーより俺の翼の方が」


 ケフェウスにくちばしを閉じる様子はない。


「やれやれ……」


 一度こうなってしまうと、無理矢理にでも嘴を閉じるか、鳴り止むまで待つしかない。


 リトラは呆れた様子で足を速め、幾つもの書棚を通り過ぎ、ようやく目的の書棚を見付けると、元の場所に文献を差し込んだ。


 そこでようやく背後が静かになったのが分かると、リトラは話を切り出した。 


「ケフェウス、このお祭り騒ぎの理由が何なのか知ってるかい?」


「もうすぐ王女のお誕生日なんだろ?」


「その通り。でもね、女王の誕生日でもあるんだよ。さっき話していた彼女のね」


「へえ、同じ誕生日なのか。でもよ、大人気の女王サマと誕生日が被ってんのは、少し気の毒な気もするな……」


「容姿も瓜二つみたいだぜ? この国の人からは、ウルリーカの再来だって言われてるだろうね。で、この生誕祭の期間中に王女様は婚約発表するらしい」


「二人分の誕生日に、王女サマの婚約発表か、目出度い事続きだな。でも、それがどうかしたのか?」


「これにはまだ続きがあるんだ。婚約発表に合わせて、いつもは厳重に保管されている〈無欠の王冠〉と〈乙女の心〉、これも一緒にお披露目するって話だ」


 ケフェウスの眉がぴくりと動く。


「リトラ、お前……」 


「そう。俺はそれが欲しいのさ」


 リトラが悪戯っぽく笑うと、ケフェウスが悪い笑みを浮かべてそれに応えた。


「へっへっへ、こいつは楽しくなりそうだぜ」


「だろ? でもまあ、まだその時じゃない。もう〈調べ物〉は済んだし、今日は飲んで食べよう!」


「おっ、いいねえ!」


 二人は胸を躍らせて図書館を後にすると、止むことのない喧騒の中へと飛び込んだ。


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