最終話 絵本の外の彼女達
「は? おしまい、じゃないわよ。何なのこれ」
夕陽差し込む喫茶店の窓際席、三人いる女性の内、着物姿の長い黒髪の女性が不機嫌そうに呟いた。その手には、可愛らしい装丁の絵本が握られている。
「何って、私達を書いた絵本だよ? あっ、駄目だよ、そんな風に乱暴に扱っちゃ……」
そう言って、菫色の髪をした小柄な女性、プリムラが、テーブルに投げ出された絵本を手に取ると、その表紙を愛おしそうに眺めた。
そこには三人の妖精と、
プリムラが再び絵本を捲り始めたのを見て、黒髪の女性は酷く不服そうな声を上げた。
「あのね、それが絵本だなんて事は分かってるわよ。私が言っているのは内容よ。何よそれ、まるで私が彼の事を待っているみたいに描かれているじゃない。明らかに悪意のある創作だわ」
「そんなに内容が不満なら作者に直接言うんだな。あっ、これ美味しい。確か、フィナンシェ? これなら幾らでも食べられそう。ほら、フリージアも食べたら? 苛々してる時は甘い物が良い」
などと言いながら、頭に羽飾りを付けた女性、フェザーは、我関せずといった様子で焼き菓子を次々と頬張っている。これなら燃料の不安は無さそうだ。
一方のフリージアは此処に味方がいないと分かると、ふんと鼻を鳴らして席を立ち、カウンターで出来立ての焼き菓子を並べている作者に詰め寄った。
「サルカラ、本人の許可なく随分と好き勝手に書いてくれたわね。書き直しを要求するわ」
「いやあ、そう言われてもなぁ……店に来る子供にも人気だし、実はもう結構な数を刷ってあるんだよ。それにほら、事実に基づいた創作なんだし問題はないだろ?」
悪びれる様子もなくそう言ってのけた作者に、フリージアは非常に苛立った様子で舌打ちをした。
苛立っているのは表情と態度だけではないようで、彼女の黒髪は獲物を求めてざわざわと波打っている。
「誰のお陰でこんな立派な店を持てたと思っているの? 貴方の人生を豊かにしてあげたのは何処の誰かしら?」
「いやいや、あの時の財宝は別にお前の腹の中にあった訳じゃないだろう。待て、勘違いするなよ? あの夜の出会いには感謝してるんだ。本当に幸運だったと今でも思ってる。そうじゃなければ、店を持つなんて絶対に叶わなかったからな」
「そこまで分かっているなら、私やあの二人を賛美する内容にしなさいよ。幸運の女神に頭を垂れて願いを叶えてもらう悪党の話とか」
「そんな内容の絵本は誰も読まんだろう……と言うか、何が不満なのか分からん。フリージアもあの二人も、絵本の中とそこまで変わらんだろ」
その言葉に、黒髪が一層激しく波打った。
「ま、待ってくれ。フリージア、暴力に訴えるのは止そうじゃないか。頼むから落ち着いてくれ、もう以前のお前じゃないんだ、そうだろ?」
「……これ以上ないくらいに落ち着いているわ。安心して頂戴、今の私には人間を引き千切る力はないはずよ、多分ね」
フリージアがそう言うと、黒髪は落ち着きを取り戻した。それを見て、サルカラはほっと息を吐く。
もし客がいれば、店内は大変な騒ぎになっていただろう。今日は貸し切りにしていて良かったと、サルカラは心中呟いた。
二人は以前よりも気安い関係になっているようで、フリージアにも言うほど危うい雰囲気はない。おそらく冗談のつもりだったのだろう。おそらくは。
「はぁ……あのね、貴方は事実に基づいているって言ったけれど、あれのどこが事実だって言うのかしら?」
もう何度読み返しているか分からないプリムラを指差して、フリージアはその作者に返答を求めた。
「それは、ほら、リトラを心待ちにしてるところとかだな」
「それよ、向こうが私を求めるならまだしも、何で私が心待ちにしなければならないの? あの絵本の中では一年に一回って話になっているけれど、実際にはあれから一度も顔を見せないまま何年が経ったと思っているのよ。あの馬鹿、いつまでも子供みたいに遊び回って……プリムラもフェザーも、今日という日をどれだけ待っていたか分かっているのかしら。大体、生きているかどうかも分からないまま持たせ続けるなんて何様のつもりよ」
恨み言は止まる気配がない。
「あ、あのな、フリージア、リトラが遅いからってそう苛々するな。あいつは約束を破るような奴じゃない、それはお前にも分かるだろう。まあ、あれ以来だし、待ちきれない気持ちは分かるが」
「待ってない」
「それは今更だし、流石に無理があるぞ。リトラから便りが届いたって報せたら、こうして店に飛んで来たんだから」
「……飛んできたのはフェザーよ」
それ以外に言い返す言葉は無いようで、フリージアはそれっきり黙ってしまった。そんな彼女の背後では、フェザーとプリムラが談笑している。見れば、テーブルに置かれていたはずの大量の焼き菓子はすっかり消えていた。
サルカラは追加の焼き菓子を大皿に乗せると、扉を見つめたまま動かないフリージアに持って行くようにと手渡した。
「ほら、フェザーが腹をすかせて待ってるぞ。お前も少し食べろ。いつまでも青白い顔してるとリトラに心配されるぞ?」
「うるさいわね、分かったわよ」
吐き捨てるように言うが、その声に力はない。フリージアは兎の描かれた大皿を持って、渋々と言った様子で二人の下へと戻って行った。
サルカラは、その寂しげな背中を少し意外そうな表情で眺めていた。
(あんな風に騒ぐのはプリムラの方かと思っていたんだがなあ。いや、考えてみれば、そうおかしな事でもないか。何せ自分の名付け親だ、特別なんて言葉じゃ足りないくらい大きな存在なんだろう。でも、そうか、フリージアもプリムラも人間的に成長したってわけだ……フェザーは相変わらずだが)
席に戻ったフリージアは焼き菓子を食べながら二人と談笑している。サルカラにはもう見慣れた光景だったが、〈蜂鳥の騎士の伝説〉と、あの夜の出来事を知っている身としては、彼女の変化には感慨深いものがあった。
(伝説も時が経てば変わるか。一体どんな風に語り継がれるやら……)
本を抱き抱えて満面の笑みを浮かべるプリムラ、それを愛おしそうに見つめる二人、和やかな雰囲気のまま時間だけが過ぎて行く。
もう夕暮れ、直に日は沈み、やがて夜が訪れるだろう。
(……リトラ、あいつは何をしてやがるんだ。このままだと楽しいお茶会が地獄になっちまうぞ)
三人の会話も尽き、店内を重苦しい空気が満たそうとしていた。明らかに気落ちしている様子のフリージアを、フェザーとプリムラが何とか励ましているが、彼女は「ごめんなさい、大丈夫よ」と弱々しく笑ってみせるだけだった。
その時だった。扉を叩く音がして、全員が一斉に扉を見た。皆は一瞬気のせいかとも思ったが、確かに取っ手は回っている。彼女達には、やけにゆっくりと扉が開くように感じた。
そうして現れたのは、肩に木菟を乗せた天使の男の子だった。
「遅いぞ」
と、安堵した様子で店主が笑った。
そして、一人は駆け寄り、一人は飛び付き、一人は席を立ったまま呆然ととして立ち尽くしている。天使の男の子は、飛びついて来た菫色の花を持ち上げて椅子に乗せると、自身の名付けた花の名を呼んで手を振った。
彼女はその青い瞳を潤ませながら、伝説級の微笑みを湛えて彼に駆け寄った。そして、せめて今夜だけは何処にも飛んで行かぬように、天使の男の子を思い切り抱き締めるのだった。
もうすっかり日は落ちて、待ち望んだ夜は遂に訪れた。今夜は、あの日の夜とは違った意味で、賑やかで長い夜になることだろう。
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