第13話 月夜に訪問者
フェザーは三度馬を走らせ、西の丘に現れた湖へと向かっていた。
「急がないと」
サルカラが話を信じてくれたお陰で、極めて穏便に糖分を補給する事が出来た。
たとえ信じてくれなくとも砂糖は要求するつもりではいたし、それが通らなければ強奪も辞さない構えであった。
そうならなかった事は素直に喜ばしいことではあるのだが、思い掛けず長く語らってしまった。予定では、時計が一周する前には事を済ませるはずだった。
フェザーは遅れを取り戻そうと、馬に出来るだけ急ぐようにと声をかけると、それに応じて速度を上げてくれた。彼女は馬を撫でながら礼を言い、ふと月を見上げた。
「あまり月が動いていないような気がする。そんなはずはないのに……」
実に長い夜だった。
何度か朝日を迎えてもおかしくないと思える程の長い夜だった。それなのに、月はさほど動いていない。変わらない輝きを放ち、今もそこにある。
フェザーははっとして頭を振り、前を見据えて手綱を握る手に力を込めた。
呑気に月を眺めている時ではない。そして、長い夜はまだ終わってなどいない。寧ろ、これからが本当の始まりなのだ。
決意新たに馬を走らせていると、フェザーは確かな異変を感じ取った。先程からずっと後を付けている存在がいる。〈それ〉に音はなく、月明かりによって生まれた影だけを馬上に静かに落としている。
フェザーは遥か上空に神経を集中させると、そこには両手を広げても足りぬ程の
その鋭い爪がきらりと闇夜に光る。地上からでは掌に収まる程にしか見えないが、彼女にはその黄褐色に黒の斑模様の羽根までもがはっきりと見えた。
そしてその木菟もまた、此方をじっと見下ろしたまま、すぐ後を滑るように上空から追ってくる。
(あれは一体何のつもり? この子が怯えてないのなら大丈夫そうだけど、あんまり気分は良くないな)
上空の監視者のことなど気にせずにかっ飛ばす馬を撫でながら、フェザーは上空に視線を戻した。
だが、そこにいた木菟の姿が消えている。
視線を僅かに落とすと、そこに見えたのは、空に糸引く黄色に黒を含んだ楕円形の物体だった。それが此方に向かって急降下して来ている。
馬から飛び降りるべきか否か、その判断を下す前に、それは既に頭上に迫っていた。
「ヨーホー、最近の蜂鳥は馬にも乗れんのか?」
「は?」
フェザーは口を開けて目を点にしている。
木菟は馬に並走、或いは編隊を組んで飛行している。彼、又は彼女の声はまだ子供のようで、喉を傷めているような特徴的な声は男女の区別も付かない。
その木菟は先程〈見た〉時よりも大きく、この馬すらも軽々と持ち去ってしまうのではないかと思わせた。馬には全く気にしている様子がないのを見ると、この木菟に害意はないのだろう。
フェザーは自分の正気を疑って頭を振ったが、その様子を見た木菟はお構いなしに話しかけた。
「オイオイ、そんなに首を振って大丈夫か? 生まれたばかりで首据わってないだろ、キミ」
「は?」
どうやら、彼女はまだ会話も出来ないらしい。
「まあいいさ、好都合だ、そのまま聞いてくれ。俺はずっとリトラを捜してたんだ。居場所はもう分かってる。ある程度の事情も知ってる。君はこれから、悪意の花の名を持つ龍と戦うんだろ? 俺はその隙に湖に突っ込んでリトラを引っ張り上げる。了解か?」
「待って、少し待って欲しい」
「今現在進行形で待ってるところだ」
「ありがとう。まず、貴方は味方?」
「俺が敵に見えるのか? この爪で女の顔を引き裂いて喰らうような野蛮な鳥獣に見えるのか? 空間を把握する蜂鳥の眼は飾りか? フェザーの頭には羽毛でも詰まってんのか?」
この木菟は煩かった。
フェザーは木菟が言い終わるのを待って、それから更に間を置いてから次の質問することにした。口を挟まなかったのは英断と言えるだろう。
「つまりは味方? リトラを捜してたって言ってたけど友達なの? そう言えば、酒場で友達と喧嘩したとか何とか言ってたような気もするけど……もしかして、それが貴方?」
「友達ぃ? 俺は奴の保護者さ。あいつ、母様に好かれてるんだよ。で、俺が保護者として守ってやってるわけさ」
「母様って、リトラの?」
木菟は器用にも飛行したままの格好で、翼の先を指先に見立て、嘴の前で横に振って見せた。
どうやら、そうじゃない、という意思表示らしい。
「それじゃあ、貴方の?」
木菟は同じ仕草を繰り返し、言った。
「いいや、〈全ての〉さ」
「よく分からないけど、味方でいいんだね? 話を最初に戻すけど、私が戦っている間に貴方はリトラを救出する。そういう作戦?」
「その通り」
「なら一つ、頼みがあるの」
「言ってみな、蜂鳥の騎士」
「私の親友も湖の中にいる。彼女を、プリムラを見つけて助けて欲しい。貴方が湖に飛び込む隙は、私が必ず作るから」
「残念ながら約束は出来ない。何よりもまず、奴を生かして連れ出さないことにはな。そうしないと、母様に何をされるか分からないんだ」
木菟は前を向いたまま真剣な声で返答した。
先程までのふざけた雰囲気は消えており、この喋る木菟が冗談を言っている訳ではないのが分かる。どうやら〈母様〉とやらをかなり怖れているようだ。
そして以外なことに、フェザーが感情的になることもなかった。湖でプリムラの名を叫んだ時とはまるで違い、今の彼女は努めて冷静に振る舞おうとしている。
僅かな沈黙の後、お互いに前を向いたまま会話を再開する。
「分かった。そっちにも事情があるようだから、無理にとは言わない。それでも全力を尽くして欲しい。会ったばかりでこんな事を頼むのはなんだけど、それが出来るのは貴方しかいないから」
「もっと聞かせてくれないか? お前の声は何だかとても心地が良い」
「貴方の名前は?」
「ケフェウス」
「ケフェウス、お願い、私たちを助けて。貴方の翼ならプリムラを救える。やがて消えるとしても、あの子だけは絶対に死なせたくない。だから、お願い」
それは必中の一撃だった。
ある限定された状況下において、女の涙が格別の威力を発揮することは神話も証明している。
そもそも、今の彼女が発する声に抗える者など現実にいるはずもなく、木菟は一瞬にして大空へと舞い上がった。
「やるだけはやる。それは約束する。しかし、あの甘ったれがまだ動ける体なら良いんだが、そうもいかないだろうなあ……」
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