第12話 伝説の置き土産
フェザーは店主の姿をじっと眺めた。
黒い肌、綺麗に剃髪された頭、恵まれた体格、厳めしいがどこか愛嬌のある顔には長い髭を蓄え、額や目尻には皺が刻まれている。
彼の言葉には、長く生きた者にしか出せない疲労感があった。黒い髭の中には幾つか白も混じっている。
「貴方は長くこの現実に生きているの?」
「はっはっは! 随分と妙な言い方をするもんだなあ。でもまあ、それなりに長く生きてる。流石に伝説程じゃあないがな」
それは温かい微笑みだった。顎髭撫でながら、店主は言葉を続けた。
「それとな、フェザー、この世界では騙された奴が間抜けなんだ。と言うか、あいつは自分から進んで湖に入ったんだろう?」
「彼にはそれしかなかったから、そうしただけ。逃げることも出来なかった。彼が望んだわけじゃない」
「そりゃあそうだろうが、下手を打ったのがあいつなのは確かだ。まあ、もう過ぎたことだが」
ぶっきらぼうにそう言って見せるが、これが店主の精一杯の慰めであることはフェザーにも理解出来た。
彼女は何とはなく、この心優しい老いた悪党の事が知りたくなった。
「貴方の名前は?」
「俺は……サルカラだ」
「さとうきび? それが本名ではないでしょう。何故そんな名前を名乗るの?」
「俺は昔から甘いものが好きでな。親友がふざけてそう呼んだのが、いつの間にか馴染んじまったんだよ」
おそらく、その親友はこの現実の何処にもいない。
懐かしむように穏やかな笑みを浮かべるサルカラを見て、フェザーはそう直感した。
だから、フェザーにはそれ以上のことを聞くことが出来なかった。そして、あまり時間もない。
「サルカラ、貴方のような人間と出会えて良かった」
「何だいそりゃ、今すぐ消えちまうわけじゃないだろうよ」
「確かに今じゃない。だけど恐らく、私は今夜中に消える。だから、そろそろ行かないと。でも、その前に頼みがあるの」
「何だ? 俺には渡せる物なんてないぞ?」
「お砂糖を頂戴。あるだけ全部、砂糖水にして欲しい。私は飛ばなきゃならないの。もう一度……」
「飛ぶ? 翼もないのに? 第一、そんなものをどうする気だ? お湯に溶かして龍にぶっ掛けるってわけじゃないだろ?」
「そんなことしない。私が食べるの。どうしても必要なの、どうか、お願い……」
「冗談じゃ、ないようだな。よく分からんが……良いだろう、ありったけを持って来てやる」
サルカラは袖を捲って足早に酒場の奥へと引っ込んだ。
暫くして、店主は甕を一つ抱えてやって来た。中には大量の砂糖を溶かした水が入っている。
「持ってきておいて何だが、こんなので本当にいいのか? 何か他のを食べた方が良いんじゃないか?」
「いえ、これがいいの。私が食べていたものに近いはずだから」
店主の渡した大きな柄杓を甕に突っ込み、少しとろっとした砂糖水を掬うと、口元に運んでゆっくりと嚥下する。
飲みにくいはずであるが、フェザーは慣れた様子でごくごくと飲み干していく。そして再び、柄杓を突っ込んで掬う。
その手は一度も止まることはなく、瞬く間に〈一つ目の甕〉の砂糖水を飲み干した。
フェザーはその後も運ばれてきた甕の中身を次々と飲み干していった。
それを遠目から眺めていた悪党たちはその異様な光景に歓声を上げて大いに喜んでいる。中には悲嘆に暮れる者もいるようだった。
「ほれ見ろ! あれなら甕六つまで行くぞ! 金は全部俺のもんだ!! ハハハハッ!」
彼等は賭けていた。
フェザーが一つ目の甕の中身を飲み終える頃には、既に賭けが成立するほどに盛り上がっていた。
彼女が空にした甕の数を見事に的中させた悪党は、二月は悪事を働かなくとも食うに困らない大金を手にすることとなる。その金を無事に持って帰れるかは別として。
こうして大きな歓声と絶叫と怒号に包まれながら、フェザーは運ばれて来た全ての甕の中身を飲み終えた。不思議なことに、その体に一切の変化はない。
あれだけの量を飲めば腹が膨れ上がるどころか腹が破けてもおかしくはない。だと言うのに、フェザーはすらりとした美しい肢体のままである。
賭けに関しては勝者もなく敗者もなかった。ただ、馬鹿騒ぎが起きただけである。それでも、悪党たちは楽しそうに笑っている。
「騒がしくて悪いな。ここにいるのは悪党ばかりだが、根は陽気だし頭以外は悪くないんだ。許してやってくれ」
「謝ることはない。この三日間で一番楽しい食事が出来たと思う。ありがとう、サルカラ。私はこれで飛べる」
「そりゃ良かった。しかし、まさか本当に全部飲んじまうとはな……」
「それはその、申し訳ない。だけど、何であんなに沢山あったの? 貴方も砂糖水が好きなの?」
「いいや、何というか、これは大きな声では言えないんだが……」
サルカラはちょいちょいと手招きすると、小声で何かを呟いた。
「焼き菓子?」
「ああ、趣味なんだ。誰にも言うなよ?」
余談であるが、口に出さないだけで地下酒場の悪党全員が知っている。決して口には出さないが。
「焼き菓子か、いつか食べてみたいな」
「今度来た時、たらふく食わせてやるよ」
「……必ず来る。プリムラを連れて、必ず。それじゃあ、さようなら」
一度大きく息を吐いて、フェザーがぐっと立ち上がる。
「本当にありがとう。でも、私には何のお礼も出来ない。渡せる物もないの。だけど、一つだけ」
「何だよ急に改まって……今更何かをせびる程、俺は落ちぶれちゃいないぞ? これ以上落ちぶれようもないけどな」
「聞いて。貪婪な龍は多くを喰らった。その腹の中には、多くの財宝を蓄えているという伝説がある。夜が明けたら、この街の西にある丘を確かめてみるといい。もし私が勝っていたら、そこには〈それ〉があるかも知れない」
それだけを言い残して、フェザーは酒場を去って行く。
今や酒場にいる全ての悪党たちが彼女を見つめていた。男も女も、大人も子供も、詐欺師も空き巣も、気高く美しい騎士の姿に魅入っていた。
さらさらと鳴る明るい白金の髪、鮮やかな翠の瞳、光を浴びて薄らと焼けた肌、腰に差した慈悲深き短剣を、皆がその目に焼き付けている。
知らず知らずのうちに背を見送られながら、
「ったく、悪党に夢見させるような事を言うなよ」
未だ静寂が支配する酒場に、
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