第11話 帰還
時は溯り、リトラが湖に吸い込まれた後、フェザーは馬を飛ばして街へ戻り、地下へと下りて通路を進んでいた。
(あの酒場に砂糖があればいいけど。それも、出来るだけ多く)
彼女は蜂鳥の騎士、相手は
いずれの伝説においても嘴で眼を突き刺すことで勝利を収め、撃退に成功している。それは当然、ロベリアも知っているはずだ。今回はそう易々とは行かない。長期戦は覚悟しなければならないだろう。
だからこそ、長く飛ぶ為に出来るだけ多くの糖分を摂取することが必要不可欠だった。
「ここに来るのも三度目……」
思案の内に地下通路を抜け、酒場の扉を開くと脇目を振らずに店主の立つカウンターに向かう。
昨夜の陰鬱な印象とは異なり、今の彼女は気高く、威風堂々とした姿だった。
「よお、あの小僧はどうしたんだ?」
と、にたにたと笑って群がり寄せる悪党をフェザーは無言で押し退ける。それは彼等にとって予想外の行動だった。食って掛かろうとするも、フェザーの放つ威圧感にたじろぎ、それ以上の追求を避けた。
それでも未だしつこく悪態を吐く悪党を一睨みすると、彼等もすごすごと元いた席に戻って行く。酒場の誰もが、そんな彼女の変貌振りに驚いていた。
ようやく席に座ると、店主の大男が顔を顰めて大股で近付いて来る。その表情には疑念と苛立ちが色濃く表れていた。
「答えろ、あの小僧はどうした?」
有無を言わさない威圧的な態度だったが、それがリトラを案じての事だというのはフェザーにも分かった。
「彼、リトラに、これを貴方に渡してくれと頼まれたの。貴方の情報には価値があったって、そう言ってた」
「情報のお礼に、盗んだ財布を渡されてもなあ……それで? あいつに何があったか教えてくれるか?」
店主は渡された財布を懐に入れる。中身にはあまり期待はしていないらしい。
それから、フェザーを今一度じっくりと眺めた。以前と違って覇気があり、何より毅然としている。彼女にはそこらの悪党が装うことの出来ない独特の雰囲気があった。
もしかすると、彼女は悪事を働く為にリトラを騙した訳ではなく、他に何らかの事情があったのではないか。
リトラが面倒事に巻き込まれたのは間違いないだろうが、一体何に巻き込まれたというのか。店主はそう考え、話だけでも聞いてみようと判断した。
一方のフェザーは何かを決意した様子でテーブルに置いた手を固く握ると、説明を待っている店主に全てを語り出した。
疑われようと笑われようと、自分のやるべき事は何一つ変わらない。これは彼女にとって説明と同時に決意の表明でもあった。
フェザーが説明している間、店主は一切口を挟まず、黙って腕を組んだまま聞いていた。時折驚愕した表情に変わったものの、その顔は終始一貫して真剣そのものであった。
「なる程、あんたも伝承や伝説から現れたってわけだ。噂にあった泉の精霊と同じように。しっかし、蜂鳥の騎士ねえ……」
「貴方は今の話を信じるの?」
「慣れた嘘吐きほど堂々と嘘を吐くもんだが、あんたの言葉には妙に真実味がある。それに、何だ、今のあんたには〈信じさせる力〉がある」
その力とはつまり、美しさだった。
自身の役割を自覚した今のフェザーは、彼女の基となった伝説の性格を余すこと無く発揮していた。
それは気高さ、美しさ、力強さ、奉仕の精神、愛護の心、後世に伝えた人々によって誇張されたそれらの魅力は、まさに現実を遠く離れた場所に到達している。
殊に、美しさはあらゆるものを屈服させる威力を持つ。偉大な権力者、王でさえも、その理不尽とも言える絶大な威力を前に抗うことは出来ない。
今の彼女には、疑念など容易く打ち砕く程の美が備わっている。本来であれば伝説の具現化などという馬鹿げた話は、空想や妄言だと笑われて片付けられただろう。
事実、店主はそういう質だった。彼自身も、話を信じた自分に驚いている。だが、今そこにある伝説の美しさを前にしては、彼の現実など役に立つはずもない。
「で、フェザー、あんたはその化け物と一騎打ちするわけかい? 守るべき花が傍にいなければ死ぬと分かっているのに?」
「それでも、私は最初からそうすべきだった。私は誤った判断をしてしまった。でも、まだ間に合う。リトラも無事なはず」
「生贄は一人では足りない。そう言っていたな」
「そう、生贄の数が揃わなければ儀式が成り立たないから。でも、私たちの物語は他の何かと混ざり合ってる。予想外の何かが起きてもおかしくないと思う」
店主はやれやれと大きな溜め息を吐いた。
「話が大きすぎる。あの小僧も、そんな面倒事に飛び込むとは夢にも思っていなかっただろうよ」
「私の所為だよ。湖に着くまでに話す機会は何度もあったんだ。でも、どうしても話せなかった。私は迷ってしまったんだ。何より怖れてしまった。私は彼を騙し、湖に突き落としたも同然だ。彼には何度詫びても足りないよ」
「……いいか、フェザー、何かを怖れることは悪いことじゃない。人間はそれがあるから生きていける。問題は何を怖れるかだ」
その人間の言葉は、まだ生まれたばかりの
怖れに屈服して他人を犠牲にした。友の為と言い聞かせ、戦うことさえも放棄した。彼女にあるのはその後悔だけだった。
怖れとは忌むべきものに他ならない。それが何故、人を生かすのか。
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