第43話 冬梅の瞼 持ち帰った男

寝室まで運ぶのは面倒くさかったのでリビングに男を放り投げた。タクシーの運転手さんも中まで運ぶのを手伝ってくれた。


 冷蔵庫を開けてペットボトルの水を取り出した。いつ買ったか覚えていないけど水は腐らないだろう。自分も喉が乾いていたから半分程一気に飲んだ。残りを男に飲ませようと、男を起き上がらせようとした。


 その時、男は起きあがり私の腕を掴み押し倒した。ペットボトルが倒れ私の右手と右の髪がどんどん濡れていった。男は私に跨っているが重たくはなかった。私の身体に体重をかけないようにしている。


「起きてたの?」


「うん。」


「寝たふり?」


「うん。」


「なんで?」


「君こそなんで私を家に連れてきたの?ダメじゃないか。」

 大人の男が一人称に“私”を使っているのに驚いた。


「君、高校生なのに家族いないの?」


「居ないよ。」


「どうして?」


「お母さんは死んだ。お父さんは出てった。」


「そう…」と男は言って黙り込んだ。


 私は左手で制服のリボンを外し、男の頬に触れた。


「したいんでしょ?良いよ。」


 男は少し黙り込んでから「高校生なのに慣れているんだね…」と言った。


 それでも男は全く私の身体に興味を持たず、じっと私の目を見ていた。男が寝たフリまでして家に上がり込んだ目的がますます分からなかった。


「君みたいな年齢でこういうことはまだ早いんだよ」


「母さんが死んでから、毎日お父さんとしてたから別に大したこたないよ。」


 流石にこの男も眉をひそめた。初めて口に出して言った。あ、やっぱりこの行為って間違っているよね。


「どうして君はお父さんと…?」


「私、母さんと似ているから」


「そう…」


「でも、もうお父さんは帰ってきてない」


 いつものように父さんとした後、急に父さんは我に帰ったのか「ごめんな百合」と泣きながら言った。そしてこの家から出て行った。百合は母さんの名前だ。父さんは母さんが死んでから、私のことを母さんの名前で呼ぶようになった。


「しないなら、何で私の上に跨ってるの?」


「君が怖くて…」


「貴方の方が強いでしょ。ずっと。」

 彼は見た目以上に筋肉質な身体をしていた。全身カチカチで驚いた。


「さぁ…身体目的じゃないなら貴方の目的は何?」


「目を見せて欲しくて」


「はぁ?」


 どんな口説き文句だよ。こいつ。


「はぁ…じゃあ目見たら帰ってください」と言って私は男の目を見た。男は空っぽな目だった。幽霊みたいな焦点があっていない…。


 こうして男の目を見つめていると、男の目は段々潤んでいき、とうとう涙がこぼれ落ちた。


「ちょっとなに…」


「同じだ。ははは。」と言って男は笑った。


「何が…?」


「瞬きする度に目が変わってるんだよ君。一重になったり、二重になったり、奥二重になったと思えば三重にもなる。」


「あぁ…そうだね。」

 私は瞼の皮膚が薄いせいで、瞬きする度に目が変わる。だから写真に映る自分はそれぞれ全く顔が違う。右目が一重で、左目が3重になることもあった。


「同じだ…。あは。やっぱり同じだ。」

 

「そうですか。」


「もう少しだけ君の目を見ていて良い?」

と男は涙を流しながら聞いた。


 私と同じ目の人はどんな人だったの?なんて聞くのは無粋だ。大切な人だったのだろう。そして、その人はもうこの世にはいない。


「貴方が泣き止むまで」と私は男に言った。その間私は男の目を見て何度も瞬きをした。何度、目を閉じて開いても目に映るのは男の泣き顔だった。



 そして気づいたら私は眠ってしまった。カーテンの隙間から日が入っている。とても寝心地が良かった。それもそのはず男の腕が私の頭の下にあった。男は目をパンパンに腫らし私の横で眠っていた。本当にこいつは手を出さなかった。


 私が起きたことに男はすぐに気づいた。


「昨日はすまなかった」と男は言った。


「別に良いよ。床で寝て身体は痛くない?」と私は制服のスカートにできたシワを見つめながら聞いた。


「大丈夫だよ。」


「そう」


「あ…君の名前、聞いても良い?」


「名札付けてたでしょ。本当は知っているくせに」


「な、名札?そんなの付けてたっけ?」と男は驚いた表情で聞き返した。こいつ、本当に私の目だけ見ていたのか。


「冬梅…桜」


「え?」


「冬梅桜」


「さくら…」と男は私の下の名前を噛み締めるように言った。そして、また涙を流した。泣いてばっかりだコイツ。


「貴方の名前は?」と私は男に聞いた。


「あ、私に名前はなくて…。」


「はぁ?」


「君が付けてくれないかな」


「どういうこと?」


「何でも良いよ。ほら早く!」と男は何故か急かした。男は満面の笑みだった。私は男のコロコロ変わる態度に呆気に取られた。


「じゃあイダ!」


「イダ…?」

と男は嬉しそうに聞き返してきた。


「そう。じゃあ私学校行くから。」と言ってリュックを背負い玄関に向かった。


「待って!理由は何?」


「理由は〜〜〜だよ。」と手短に説明した。


 男は満足したのか笑顔で「気に入った」と言った。


その日学校から帰ったら男はいなくなっていた。

テーブルの上に手紙が置かれていたので、すぐ手に取った。


“また来ます。宿代10万。”と書いてあった。そして隣に4万円が置いてあった。


 私が6万円を昨日の夜パクったことは勿論バレていた。


 そして、男は2ヶ月後再び私の前に現れた。


 女の姿になって。

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