第42話 東京の冬は寒い。北海道の冬は痛い、

大学で上京してから関東の人に、“寒い”と“痛い”の違いを何度も説明した。


「北海道の人は寒さに強いんでしょう?」

「え〜北海道出身なのに寒がりなの?」


冬が来て寒い日になると必ず言われた。

 

 私はいつも否定する。何故なら寒さ耐性は東京の人と変わらないからだ。


北海道民は痛さに強い。


 寒さは通り越すと痛さになる。耳や頬、足が死ぬほど痛い。引きちぎられる痛みで感覚が無くなるほどだ。そして、その痛さを耐える力が北海道民にはあると思う。というか、その力をつけなきゃ死ぬのだ。



 そんな死ぬほど痛い真冬の日、私はあの男にイダと名付けた。


 私は高校1年生15歳の時、居酒屋でアルバイトをしていた。すすきのと大通の丁度真ん中に位置する店で仕事終わりのサラリーマンが軽く一杯、遠方から来た人の接待、夜の仕事の同伴、色々なお客さんが来る。


 席はカウンター席と個室席の2種類でどちらも掘りごたつだった。だから店に入るとみんな靴を脱がなければいけない。私はそれがこの店の良さだと思う。靴を脱いでご飯を食べるとどこか安心するのが日本人だ。


 そして客単価6000円とちょっと高めな値段設定だったから居酒屋特有の迷惑で変な客は滅多に現れなかった。


 そんな中カウンター席で1人、いつも私のことを見てくる男がいた。


 この店唯一の迷惑で変な客だった。


 男は短髪で綺麗な顔立ちをしていた。どこかヨーロッパの血が入っているのか横顔が日本人とはかけ離れていた。そして背も高くスポーツ選手のような体付きだった。そんな見た目の人が1人で居酒屋に来るのが不思議で堪らなかった。


 この店で1人で来店するのは、米(小)とねぎま串しか頼まない黒髪おかっぱのおばさんと、この男だけだった。


 男は必ず私が通りかかった時に注文をした。私が配膳した時には「ありがとう」と私の手を触ってきた。手を振り解こうとしたら私の前掛けを握って寂しそうにしてきた。そして、「何年生?」「なんでバイトしてるの?」としつこく話しかけてきた。


 もちろん、そんな客は店長が許さない。


 この男が来た時はカウンター側に一切近付かなくて良いと言われた。だから実質私があの男と店の中で会ったのは3回だけだった。


 それでも男は、半年間ほぼ毎日店に通って私を探していたそうだ。そのせいで私はカウンターでオーダーを取ったり、配膳をすることがほぼ無くなった。カウンターの卓番すら忘れてしまった。


 そしてある冬の日、私は男と再開した。


 いつものようにバイトを22時で上がらせてもらい更衣室で高校の制服に着替えた。更衣室は5階にあったからエレベーターで下に降りた。



 エレベーターを降りて、重いガラス扉を開けた。顔面が痛かった。外は猛吹雪だ。学校とバイトの疲れに追い打ちをかけるかのような寒さに私は絶望した。


 大通駅まで徒歩5分。私は歯を食いしばって歩こうとした。その時、私は何かにぶつかってよろけた。急いでぶつかった物へ視線を落とした。店の看板だったらどうしようかと焦った。


違う。あの男だ。


今日も店に来ていたのか。

男はうずくまって丸まっている。

私はこのまま蹴り飛ばして帰ろうかと思った。


その時、「帰りたい…」と男が小さな声で言った。


 私は何故か「どこに?」と声をかけてしまった。いや…実は気になっていたのだ。この男のことが。何故この店に来ていたのか。


 「どこに」と私がもう一度聞くと、男は「サクラのところ…」と情けない声で言った。こいつ、どうして私の名前を知っている。店の名札は冬梅しか書いていない。何故。キモすぎる。私は話しかけたことを後悔した。


「どうして私の名前を…」

「帰りたい…サクラ…。俺は帰りたいんだ」と男は涙を流しながら言った。こいつ…酔っているな。


 久しぶりに自分の名前を呼ばれた。この男はどうして私に固執するの。


「まぁ良いよ。じゃあ一緒に帰ろうか」と言って私は手を挙げてタクシーを捕まえた。


 そして、男の肩を抱えタクシーに放り込んだ。私はタクシーの助手席に乗った。


 運転手は、制服姿のJKと酔っ払いの男の組み合わせに戸惑いつつもあえて言及はしなかった。


「あの…どちらまで?」


「学園近くのトリトンの前まで」と私は言って、黒皮のソメスサドルの財布を開いた。


 1.2.3.4.5.6…ってこいつ財布に6万も入れてるのか。ありがとね。お兄さん。お礼に一泊だけ泊めてあげるよ。


 お札の物色を終えた私はカードの方を見た。男の名前を知りたかったからだ。だけどカード類は一切入っていなかった。


 私は財布の物色をやめて窓の方を見た。真っ白い雪でニッカウヰスキーのおじさんは目元しか光を放っていなかった。


 冬のすすきのはどうも歓楽街らしさを失ってしまう。雪のせいで。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る