第41話 弱さの話②

 「そうですか…」と私はやっとの思いで言葉を発した。


「はは。あれ案外飲み込みが早いな。もう聞いてた?」と黒瀬さんは呑気に言った。いや、呑気を装って言っている。


 ナベシマ。ナベシマ。許さない。貴様を絶対に

殺してやる。イダを侮辱しやがって。黒瀬さんを傷つけやがって。オモチャにしやがって。

殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。


「冬梅さん血が出ていますよ」と言って黒瀬さんはハンカチを差し出した。


 上の歯で唇を強く噛み締めたせいで血が出ていた。気づかなかった。


「あ、す、すみません。」


 「ナベシマは恐ろしい人ですよ。男の俺と鮎川が一番傷つく方法をいとも容易くさせてきた。義理の兄とセックスさせるって…」と依然、黒瀬さんの表情はヘラヘラしていた。


 そんな黒瀬さんを見て居た堪れなくなった。いやダメだ。私が気を落としてどうする。怒れ。怒れ。殺意に変えろ。と私は自分を奮い立たせた。


「黒瀬さん、私がイイダさん…鮎川さんと黒瀬さんの仇を打ちますから。ナベシマを必ず…」


「今の冬梅さんじゃ負けますよ。なんなら殺されちゃうかも」と黒瀬さんは呑気にインドティー啜りながら言った。


 こうも否定されると少し腹が立つ。


「どうしてですか?」と私はムキになった。


「ナベシマの思う壺なんですよ。いや壺…というより、ナベシマが仕組んだレールに乗せられている」


「どこがですか?」


「ここが」と黒瀬さんは吹き出して笑った。私はどこか恥ずかしくなった。完全に黒瀬さんのペースだ。


「どうやったら、そのレールから外れることが出来ますか?」


「うーん。分かんないな。きっとこれは精神的なものだから」


「精神的…?」


「そう。」

と言って黒瀬さんはこれ以上、話さなかった。早く話の続きが聞きたい。


…いや、きっとこれは焦って問いただしちゃダメなのだろう。


「その時の動画も撮られましたよ。柊木の冤罪を証明できなかったら、ばら撒くって…」と黒瀬さんは若干話を変えてきた。


「え、それって。」


「君がハニートラップを仕掛けたって僕は証明しなきゃいけないみたい」


「そんな…」

 どうすれば良いの。高瀬さんと藤田をレイプした柊木を無罪になんてしたくない。でも…無罪にしなきゃイイダさんと黒瀬さんの動画が…。

 

 突然迫られた選択に私は言葉を失った。それでも終始、黒瀬さんは穏やかな表情をしている。


「柊木の弁護人を降りますよ」と黒瀬は言った。


「え、いやでも、そしたら動画が…!」


「ほら、大事なのはナベシマが敷いたレールから外れることだよ。」


「え、でも。でも。」

何て声をかけるべきか分からなかった。


 私はインドティーを一口飲み店内のBGMに耳を澄ませた。あ、これは久石譲のsummerだ。好きな曲だ。中学生の時、朝の読書時間に流れていたな。


 「黒瀬さんはどうして、私にこのこと話したんですか?」


「うーん。話したいと思ったから。違うなぁ…。俺のことを知って欲しいと思ったからかな。」


「知る… ?」


「そう。知って欲しかったんだ。俺の弱さというか、痛みを。」と言って黒瀬さんは涙を流した。インドティーのカップがカタカタと音を立てた。指が震えている。そして20過ぎた大人が何粒も何粒も涙を落とした。


 私は焦って黒瀬さんにもらったハンカチを咄嗟に差し出そうとした。しかし、そのハンカチには私の血がしっかりと付着していた。仕方なく自分の袖で黒瀬さんの涙を拭った。


 「ごめん…ありがとう」と黒瀬さんは小声で何度もそう言った。


 この人は私を信頼して自分の弱さを見せてくれた。辛いことを必死に取り繕って話してくれた。そんな素直な生き方がどこか羨ましいと思った。


 私は誰かに自分の弱さを見せたことはあっただろうか。いや、そもそも私は自分の弱さが何か自覚できていない。


 私はこの人に自分の全てを曝け出したくなった。


 黒瀬さんがひとしきり涙を流し落ち着いた後、お会計をして店を出た。


 そして私は黒瀬さんをカラオケに誘った。黒瀬さんも泣いた後で申し訳ないと思ったのか二つ返事で了承してくれた。


 店を出てすぐにチェーンのカラオケ屋があったからそこに入った。


 ビル一棟がまるまるカラオケ施設だった。平日の昼間だったからすぐに案内された。


 そして部屋に入るなり、私はカラオケ室のBGMのダイヤルを0にし部屋の電気を消した。


 黒瀬さんは終始、オドオドしていた。


 私はそっと黒瀬さんの手を握った。


「次は私が弱さを話す番。どうしてイイダさんと会ったのか。美人局を始めたのか。柊木にハニトラを仕掛けたのか。全部話すよ」


 カラオケに来て初めて黒瀬さんと目が合った。黒瀬さんは優しく頷いた。


 さぁ上手く話せるだろうか。


 家族のこと、イイダさんのこと、藤田のこと。


私は緊張した。


 いや、そもそも自分の弱さを上手に話すってなんだよ。と1人突っ込んでなんだか可笑しくなった。


 

 私の人生は「名前をつけてください」と言った1人の男との出会いから始まる。


 私はその男にイダと名付けた。

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