第40話 弱さの話①

この喫茶店に来るのは何回目だろう。


 藤田から海外出稼ぎに行くと言われたのも、ラブホテルに誘われたのもこの店だった。


 黒瀬さんから示談の話をされたのもこの店だった。


 年寄りとパパ活の客が多いお店。広い店内。ドラマの撮影とかに使われていそうなシンプルな内装。落ち着いた店員。こだわりの無さそうなシンプルな食器。


 厨房は見えないけどドリンクを作るカウンターはフロアの真ん中にある。そう飲み物は作っているところが見れるのだ。私の好きなインドティーはここから出てくる。茶こしを通してポットからインドティーが注がれる。


 私はこのお店が好き。


 待ち合わせの時間より40分早く着いた。

 わざと。


 きっとあの人は30分早く来る。驚かせてやろう。私はのんびりインドティーを味わった。


 そしてちょうど10分後に「あれ?約束の時間って12時ですよね!?」と焦って時計を見ながら黒瀬弁護士は登場した。


 私は可笑しくて笑ってしまった。予想通りの反応。可愛い。良かった。いつも通りの黒瀬さんだ。


「はい。今は11時半ですね」と私は言った。


「なんで…」と黒瀬さんはいじけた様な顔をした。


 私はそんな黒瀬さんの様子を見てニヤニヤしながら「何頼みますか?」とドリンクのページを開き、差し出した。


「冬梅さんと同じ、インドティーのホットを頼みます」と言ってメニュー見ずに黒瀬さんは店員にインドティーを頼んだ。


 なんだ黒瀬さん、インドティーの良さが分かったんだな。またニヤついてしまった。いけない。


「さて、もう本題に入りますか?」と、水を一口飲んで一息ついている黒瀬さんに聞いた。


 はっきり言って早く電話の続きが聞きたい。


“俺たち、手を組んでナベシマをやっつけましょう”の続きを。


 柊木の弁護士である黒瀬さんが、裁判が始まる土壇場でこっちの味方をしようとしている。どうして?ナベシマに監禁されて、イイダさんに会って何か心境に変化があったのかな。


 でも、イイダさんの反応を見るに、決して良かったとは言えなさそうだ。


 黒瀬さんには沢山の疑問がある。私はつい、そんな黒瀬さんを睨みつけてしまった。でも黒瀬さんはとても穏やかな顔をしていた。そして私のことを子供のような眼差しで見ていた。あまり良い気がしない。


「どうしたんですか?」


「いえ。あー、どこから話そうか迷うな。」と黒瀬さんは頭をぽりぽりとかいた。そして、ふーと一息ついて



「俺の義理の兄、鮎川右京が迷惑をかけて、すまなかった。」と言って頭を下げた。



 あ、なんだ。この人もう本当に全部知ってるんだ。私のことも。イイダさんのことも。


 そっか。ナベシマに監禁された時、イイダさんとちゃんと再会できたんだ。


 良かったという気持ちの反面、自分の知らないイイダさんが突然現れたことへの寂しさもあった。


 そして黒瀬は続けて「今回の監禁は鮎川に、1回目の監禁は貴方に助けてもらいましたね。どうも有難う。」とニヤリと笑ってまた頭を下げた。


「あぁ思い出しちゃったんですね。」


「はい。思い出しちゃいました。貴方の強さは鮎川仕込みだったんですね。」


「はい。自衛隊式です。」と私は言った。


「にしても、強すぎですよ」


「イイダさんから、殺す気でやるくらいが丁度良いって言われて」


「なるほど。あの人なら言いそうだ。」


 そして私たちの間には沈黙が起きた。それもそうだ。お互いあの人のことを考えるに決まっている。


 しばらく経ってから店内のBGMが聞こえた。そうか、この店にはずっとクラシックが流れていたのか。

 

 私はこの店では、いつも必死に何かを考え、何かを一生懸命話していた。


 やっと自分の中に穏やかな時間が流れた。


 そして私たちは2杯目のインドティーを注文した。


 「イイダさんは、黒瀬さんを救出して以来、ずっと部屋に引き篭もってるんですよ」と私は黒瀬さんに相談した。


 黒瀬さんは「あぁ」と小さな声で返事をし俯いた。


「あの時、何があったんですか?」と私は聞いた。今回私の中の本題はここだった。黒瀬さんが言った“ナベシマを倒しましょう”にも、きっとここが繋がってくる。


 黒瀬さんは暫く俯いてようやく顔を上げた。


「ナベシマに脅されて、あゆ…イイダさんとセックスさせられてしまいました。」と黒瀬さんは無理矢理、口角を上げながら言った。


 その表情は自身のレイプ被害を世間に告発し戦った、女性ジャーナリストを彷彿させるものだった。

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