第39話 希望の兆し

朝の4時に私と瀬戸夏美は互いの交換条件を飲んだ。


 私は瀬戸夏美に、イイダさんとの出会いそして美人局を始めた理由を話した。


 瀬戸夏美は私に、イイダさんと黒瀬さんの関係性、つまるところ私がイイダさんと出会う前の過去の話をした。


 そして話し終わって瀬戸夏美と私は一緒に涙を流した。 

 

 お互い声を殺すように静かに泣いた。私達はプライドが高い。声をあげて誰かにすがるように泣くのは嫌だった。


 私達はやっと“イイダ”という人物を少し知る事ができた。


 知ったと言ってもイイダさんの身にあった客観的な事実だけだ。



 子供と奥さんを殺されたイイダさんは…すすきのに来てレイプ犯の人生を壊すという生き甲斐を見つけた。そこから、ひたすら、ひたすら這いつくばって生きてきたんだ。


 その中で私やマシロみたいな傷を抱えた子供達を拾って、生き方、戦い方を教えた。


 朝日が少しずつカーテンの隙間から差し始めた。私の膝下に掛かっているお布団が白く光った。もうすぐ、僅かに空いたカーテンでもこの部屋の全てを照らす光が差すだろう。



「イイダさん、もうすぐ帰ってくるよ」

と私は言った


「そうね。赤ちゃん連れて帰ってくるよ」

と瀬戸夏美は上を向きながら言った。


 私はイイダさんのことが堪らなく愛おしくなった。帰ってきたら抱きしめよう。あの人のことを。きっと、“気持ち悪い”と鼻で笑われてしまうだろう。それでもいい。


 藤田への気持ちとはまた違う。別の感情だ。


 その時、「ただいま。」と玄関の方から声が聞こえた。



 私と瀬戸夏美は顔を見合わせて、イイダさんの元へ飛び出した。


 瀬戸夏美の言った通りヒソカには怪我一つ無かった。イイダさんの腕の中で眠っている。でもイイダさんの体には至る所に傷があった。


「おかえりなさい」


「あぁ帰った。」


「瀬戸。ヒソカをちょっと」とイイダさんは言って、ヒソカを渡した。瀬戸夏美は赤ん坊に慣れていないのか、ぎこちない手付きでヒソカをだっこした。


 コートを脱ぐのかと思ったら、急に私のことを抱きしめた。私が抱きしめようと思っていたのに。私は当初の予定が崩れたことに驚いたのと、イイダさんから抱きしめてくれたことに戸惑い、上手く声が出なかった。


「え…イダ?どうしたの?」


「帰ろうか…?」とイイダさんはポツリと言った。


「え、なに?急にどうしたの?なになに?」


「一緒に札幌に帰ろうか冬梅。」

私を抱きしめるイイダさんの手は震えていた。


「イダ、な、何かあったの?黒瀬さん?」


「…」


「イダ?」


 抱きしめられているからイイダさんの顔が見えない。イイダさんを見れるのは瀬戸夏美とヒソカだけだ。瀬戸はイイダさんの顔を見て、手を押さえて涙目になっていた。


 私は必死にイイダさんのハグを振り解こうとした。しかし力が強く振り解けない。イイダさんの胸の心音と自分の心音が重なって気持ち悪くなった。


 日の光がどんどん強くなり、部屋が光に照らされた頃ようやくイイダさんのハグから解放された。私は急いでイイダさんの顔を見た。でも、そこにはいつもと同じ人形みたいな綺麗な顔しかなかった。瀬戸夏美は何を見たんだろう。


「もう復讐は終わりだ。お前はここから完全に手を引け」


「な、なんで。急に」


「お前も壊されたら、もう私は耐えられないんだ」とイイダさんはいつもの無表情で言った。しかし、いつもと違ったか細い声だった。


「どうしたの?。く、黒瀬さんに何か..」


「今日は寝るよ。ヒソカの世話を頼む。」と言ってイイダさんは寝室のドアを閉めた。


 そこからイイダさんは部屋から出なくなった。あれから一言もイイダさんと話していない。ヒソカの世話は瀬戸夏美が代わりにした。瀬戸が仕事で忙しい時はシッターと私が交代交代で面倒をみた。


 イイダさんは完全に手を引けと言った。しかし、手を引くには全てがもう遅い。柊木の裁判は後3週間で始まる。後半前整理手続きが行われたため、予定よりは少し遅くなった。


 実は被害なんてありませんでしたと言って裁判を取り消しにしてもらうことなんて出来ない。ナベシマはもうダメかもしれないが、柊木なら確実に有罪にできる。藤田の敵討ちだ。法律でお前をしっかり裁いてやる。


 裁判の練習しなきゃ、と大学の食堂でカツカレーを食べながら考えていた。その時、電話が鳴った。黒瀬弁護士からだった。


 黒瀬さん。良かった。ちゃんと無事だった。イイダさん救助したんだな。と安心したのも束の間、体から冷や汗が出てきた。


 ナベシマが、私とイイダさんの関係性を黒瀬に話したのではないか。そして私が美人局をしていたことも。私が過去に美人局をしていた証拠はどこにも…。いやイイダさんを警察に突き出せば詰みだ。柊木の裁判どころの話では無い。


「もしもし。黒瀬ですが、冬梅さんの携帯でお間違い無いでしょうか。」


「はい。そうですが。」


「良かった。冬梅さんお元気ですか?」


「はい。元気ですが…。どういったご用件で?」


 声が震える。気持ちが焦る。黒瀬弁護士がどんな話をするのか、待っている数秒が何時間にも感じた。


「僕たち、手を組みませんか?」


「は?」

 予想だにしない一言に、“は?”とメンチを切るヤンキーのような声で返してしまった。目上の弁護士さんに対してだ。


「まぁ、そうなりますよね。」と黒瀬弁護士はふふっと笑った。


 そして続けて「俺たち、手を組んでナベシマをやっつけましょう!」と言った。


「あ、え?え?」と戸惑う私の反応をからかう様に「今度は頭殴って記憶奪うのは禁止ですよ。冬梅さん」と言って電話が切れた。


 呆然とする私に再び電話がかかってきた。相手はもちろん黒瀬弁護士だ。


「すみません。調子乗っちゃって。あ、あの時間と場所はですね…」といつもの黒瀬弁護士に戻った。


 状況は全く把握できていないが、悪い話ではなさそうだ。


「じゃあ、また後で」

と電話を切った私は久しぶりに自分が笑顔になっていることに気がついた。

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