第36話 敗者たち

あの男の顔。思い出すだけで吐き気がする。


 鮎川右京。

 今はイイダに改名した?ふざけるな。


 貴様が自衛隊なんぞに入らなければ。3佐になったから?。ふざけるな。仕事ばかりで全く家に帰ってこない。


 貴様がもっと姉さんと桜を大切にしていたら。


 貴様があの時、家にいたら。


 …姉さんと桜は殺されなかっただろう。


 代わりにお前が死ねば良かったんだ。

 

 葬儀も裁判も全部俺に押し付けて姿を消した貴様を俺は一生許さない。


 姉さんと桜をレイプし殺した男は実刑8年だった。2人を陵辱して殺して8年。あまりにも短すぎる。


 家庭環境や高校のイジメが原因で精神疾患を患っていたこと、そして18歳という未成年だったことが加味された。ふざけるな。ふざけるな。


 傍聴席の最前列でこの判決を聞いた時、唇を思いっきり噛み締めて口の中が血まみれになった。姉さんと桜の遺影を強く握りしめて声を殺した。


 後ろを振り向いた時、傍聴席の端っこに1人立っていた鮎川はなんとも間抜け面をしていた。


 辛いことからはとことん逃げる腰抜け野郎。



「姉さん…。サクラ…。」


 ……。


 え、ここはどこだ。


「あれ?起きたー?おはよう!黒瀬弁護士❤︎」


 男の声…。


 顎がジンジン痛む。どこだここ。辺りを見回すと部屋の一室のようだ。誰かの自宅か。にしても生活感を全く感じさせない。白の枕。白の布団カバー。白のカーテン。白を基調とした床、壁。


 ベッドから身体を起こす。


 俺はどうしてここに。


 あ、そうか。店終わりのアイツについて行ったんだ。そしたらおかっぱの少女が刺されて。俺もバレて。それで…。それで…。


 俺は目の前にいる男の顔をしっかり見る。目の焦点を合わすのに時間がかかった。


「…ナベシマだ。」


「え!覚えてくれたの!ありがとう!!」

と俺が寝ているベッドの端に座る男は満面の笑みでそう答えた。


 「ここはどこだ?」


 「僕の所有するビルの一室だよ」


 なるほど。通りで俺は拘束されていないのか。


 「目的はなんだ?柊木を無罪にすれば良いんだろう。そんなのこんな手荒な真似をしなくても…。」


「違うよ」と男は楽しそうに言った。


 「君のことを今殺すつもりはない。裁判だってハッキリ言ってどうでもいい。」


「なっ」


「君を囮にイイダさん…。あ、鮎川さんを呼ぶんだ。」


「あ、鮎川が…。ここに来るのか。」


 今の軟禁された状況よりも、義理の兄との再会の方がよっぽど嫌だった。あの少女と一緒に殺された方がマシだ。俺の人生の中でアイツはもう居ない人になっているんだ。


「まぁ、どっちにしろ君は殺すよ。僕のこと警察に通報しちゃったしね。」


「何故、貴様は…?」

言葉が出てこない。


「覚えてない?。君のことは心底どうでもいい。言っただろう?イイダさんが…鮎川が不幸になるのが僕の人生の喜びなんだって」


「意味がわからない。」


「ふふふ。僕たち3人は8年前に会っているよ」


「俺の記憶にお前なんて。」


「おっとぉ。これ以上はもう喋らないよ。」とナベシマは言って、机の上に置いてあるタブレットを取り出し操作を始めた。


「…どうやって鮎川がここに来るんだ?」と俺が聞くと、ナベシマは鼻歌を歌いながらベッドの下に置かれた俺の靴を取り出した。


「は?靴?」


「よーく見てごらん。発信機が付いている。」


 「なっー」驚いた。靴の踵部分にてんとう虫くらいの大きさをした発信機が付いていた。


 「初代マシロが付けたんだな。やっぱり恐ろしいよ彼女。」


「誰だ。そいつは…?」


「そこまでの長話をする余裕はないみたいだね」

とナベシマが言ってすぐにナベシマの携帯から着信音が鳴った。


「もしもーし。はは…うん。そうだ。僕の客だ。…。勝とうとするなよ。…。ははは!そうか。無理しなくして良い。相手は元エリート自衛官だ…。あぁじゃあね。」


 ナベシマは「ふぅ…」とため息をつきながら電話を切った。そして立ち上がりカーテンを勢いよく開けた。


 朝とも夜とも言えない鈍色の空が広がっていた。その下に新宿の街が錆びた光を放っていた。どうやらここはビルの高層階のようだ。


 ナベシマは窓に映る景色を一通り堪能したあと、こちらに振り向いた。


「黒瀬さん。来るよ。もうすぐ鮎川右京…改めイイダが。」


 自分でも驚くくらい身体が震えた。殺したいほど憎い相手がここに来る。8年ぶりに。嫌だ会いたくない。


 姉さんと桜を守れなかった間抜けな男達がここに再会する。


 

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