第34話 雨の日は

雨の日の夜は夏目漱石の夢十夜を読みたくなる。


「あー雨ですよ。イイダさん。マシロちゃん傘持っているかな?」


「あの馬鹿のことだから持ってないだろうな」


 私はぼんやり窓についた水滴を眺めていた。水滴同士がぶつかって流れ星のように下に落ちていく。そして、流れた時に残る小さな粒がまたくっついて流れ星のように落ちていく。


 これは雨の日の夜に限定で見られる流れ星だ。


 私はいつもその光景を眺めて悲しくなる。なんでだろう。漱石がこの気持ちを文章で書いてくれてたら良かったのに。


「冬梅。冷めるぞ。」


「あ、紅茶。飲む。」


 私は席に腰掛けた。イイダさんは既に1杯飲み終わったみたいで、カップにおかわりを注いでいた。


「藤田は元気ですかね?」


「まぁ、そうじゃないか。頑張ってアメリカでSEXしてるよ。」


SEXね。アメリカでの風俗出稼ぎは相当儲かっているんだろう。日本と違ってチップもあるし、少しずつ借金を返済できてるといいけど。


 「それでも藤田はどうして海外に行ってまで借金を返さなきゃ…」


「あいつの借金は2億。前にも言っただろう。柊木にレイプされて、貞操観念がぶっ壊れて、ホストにはまって闇金に手を出したって」


違う。私の知っている藤田は。そんな、そんなことで。


「男にレイプされたくらいで、ホストなんて低俗な遊びを!闇金なんて頭の悪い商売に!」


 自分でも驚くくらい感情的になっている。イイダさんは私のことを睨みつけた。睨みつけられるようなことを言った自覚はもちろんあった。


「レイプされたくらいで…か。お前は藤田を聖人化している。藤田の苦しみに寄り添って考えることは出来ないのか。」


 ぐうの音も出ない。自分がいかに子供か思い知らされる。藤田は柊木にレイプされた時何を感じたんだろう。


 レイプというものは自分の尊厳を破壊される行為か。他者を支配する、見下す行為の最高峰だ。藤田はこの世界にどれほど絶望したんだろう。


レイプされたぐらいで…。自分にもその言葉が帰ってきたのが分かった。胸が痛い。目にうっすら涙が浮かんだ。



 そんな様子を見てイイダさんが私の頭を撫でた。


「良いかい冬梅。人は弱い生き物なんだ。だからこそ、心や体に余裕のある方が支えるんだよ。君は強い。だから藤田や高瀬さんのために戦うんだ」


「うん。」


 私は紅茶を一気に飲み干し、ベランダに向かった。そしてカーテンを開けた。窓についた雨の水滴の流れ星を眺めた。


 流れ星を眺め始めて10分ほど経った。

 その時だった。


 イイダさんが紅茶のポットとカップを片付け始めたその時、ドアをノックする音が聞こえた。


 何故チャイムを鳴らさない。私もイイダさんも同時に身構えた。


 「玄関からだ」

 イイダさんは小さな声で言った。


「マシロちゃん?それなら鍵は持っているはず。鍵がないならチャイムを鳴らせばいい。」


コンっ…コンっ……コンっコンっ



え、この音はー。

と思った瞬間、先に玄関に向かって飛び出したのはイイダさんの方だった。



「マシロちゃん…?」

私は思わず口に出した。いや正確には違う。マシロちゃんだった人。初代マシロちゃんだ。


 私も急いで玄関に向かった。


 そこには、雨に全身ずぶ濡れの初代マシロがいた。そして初代マシロは、現マシロちゃんをお姫様抱っこしていた。


「マシロちゃん!!お腹から血が!!」

私は声を荒げた。


「冬梅、大声を出すな。」とイイダさんは言った。


 マシロちゃんは意識が無くグッタリしている。でも良かった。呼吸はしている。ナベシマに刺されたのか…?


「お久しぶりね。桜ちゃん。」と初代マシロは優しく微笑んだ。


「イイダさん。軽い処置はしました。臓器は傷ついていないと思います。ただ医者の元には…」


「あぁ…。昔のお前と同じで戸籍が無い。チカの元に連れて行く。」


「分かりました。彼の元にいた黒服は殺りました。…がナベシマは逃亡しました。」


「分かった。ご苦労だったな。少し休んでいけ。」


「あと…」


「詳しい話は後で聞く」

 と言って今度はイイダさんがマシロちゃんをお姫様抱っこし、車に乗せて闇医者の元へ向かった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーー

 雨の日は嫌いだ。


 路上で起きた事件の証拠が雨のせいで簡単に消えてしまうからだ。


「通報があったのはここか。」

と上司の秋口は言った。秋口はもうすぐ上がりだった中での出動のため機嫌が悪い。


 そういう私も、柊木事件を連日追っているため寝不足で身体が辛く、ストレスが溜まっている。冬梅さん以来、被害者は誰1人見つからなかった。


 事件が起きたのは新宿。本来は私たちの管轄外なのだが今回は特殊だ。何故なら…。


「はい。黒瀬弁護士が通報したのはこちらです。」


 通報したのが黒瀬弁護士だからだ。黒瀬は柊木の弁護人。


“柊木事件の被害者高瀬を追っていたら、少女が刺された。”


 そう断片的に言って電話が切れた。高瀬…。春に柊木の所属するXテレビにインターンに行ってた子だ。警察も彼女から話を聞こうと思ったが連絡が取れなかった。やはり、彼女も被害を受けていたのか。



 現場からは男2人の遺体が見つかった。どちらも身元は不明。しかし肝心の少女の姿は見つからなかった。


 通報した黒瀬弁護士の姿も。

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