第33話 尾行の尾行の尾行

目標の男までの距離5メートル。


ここまで近付くと夜の賑わう新宿の街でも男とその隣にいる女の会話がハッキリと聞こえてくる。


「ユウナ、今日は22時から7時までだよね。じゃあ、お店で1時間はゆっくりできるね」


「うん。でも今日はお金ないからロゼで…」


「良いんだよ。1円でも僕に使ってくれたらとても嬉しい。闇金の返済があるから仕方ないさ」


一応、男の会話は覚えて後でイイダ様に報告しなければ。


マシロの目的はナベシマと呼ばれる男の捕獲、もしくは殺害。


これはイイダ様からの命令。


“命の危機を感じればすぐに撤退せよ”と言われたが、このホストから危険性を全く感じない。よくいる足細いもやし男だ。


 ナベシマと女は新宿のホストクラブに入った。そして会話の通り1時間後女の方が先に店を出た。


 このお姉さん…22時から7時で働くのか。ということは風俗だよね。自分もイイダ様に拾われなかったらこうなっていたのかなと少し考えた。いや、私の方がもっと悲惨だ。


 どうして恵まれた環境にいる人が風俗に落ちるんだろう。マシロにはよく分からない。あ、いけない仕事に集中しなきゃ。


 小雨の雨が降ってきた。


 ナベシマは深夜1時に店から出てきた。1人だ。都合がいい。後をつけよう。


 ナベシマは煌びやかな新宿の街からはどんどん離れ、人通りが少ない黒人が多い通りに入った。いつも思う。こいつらはどういう風に育って、この新宿の街に入り浸るようになったんだろう。


今日はいつもより考え事をしてしまう。


ていうか、なんでこんな道に…少し不安になってきた。


 いや、これは好都合だ。細路地に入った所で頭を殴って奇襲をかけよう。ここなら防犯カメラも無いだろう。


 そして予想通りナベシマは細路地に入った。4メートル、3メートルとナベシマに近づいた時、ナベシマは急に立ち止まりこっちに振り返った。


 バレた。でもこの距離なら、とナベシマに近づこうとした時、視界が突然霞み、地面に倒れんだ。


 体が動かない。暑い、寒い、なんだこれ?


 腹部に違和感がある。手を腹に当てると血が出ていることに気づいた。


 刺された。私はゆっくり振り返るとガタイのいい黒服の男が2人いた。


 クソ。尾行のことばかり考えていて気づかなかった。


「おやおや、今日の奇襲はとっても可愛い女の子だ。大丈夫だよ。臓器は傷つけていないから死なないよ」


「クソ…」


「可愛いおかっぱのお嬢さんだ。君が真白ちゃんだね」


「何故…お前がマシロのこと…」


「戸籍が真白なマシロちゃんでしょ。イイダが育てたガラクタ…」

と言って男はハンカチで鼻を抑えた。


 一瞬マシロに対して鼻を覆ったのかと思った。違う。路地に対してだ。確かにこの路地からはゲロと尿とゴミの匂いがする。雨のせいで匂いがこもり、いつもより強い匂いを放っている。



「イ、イダ様を馬鹿にするな。」


「ふふ。提案なんだけど、君、僕の元で働かない?君の戦闘センスは他を抜いて圧倒的だ。しかも女だから、周りも油断しやすい。」


「ふざけるな。マシロはイダ様の元でこの身を…」


「僕なら君にすぐ戸籍を与えるのに」


「え」

一瞬心が揺らいでしまった。マシロの人生で最も欲しいもの。戸籍。学校。友達。病院。普通。


「意地悪だよね。イイダさんも。あの人ほどの力があればすぐに戸籍を与えることが出来るのに。」


「それは…」


「あぁ痛いのに無理して喋らなくて良いよ。可哀想に」


「君だって思ってるでしょ。初代マシロちゃんは直ぐに戸籍が与えられたのに。自分はいつまでも汚れ仕事…」


「うるさい!!」


「他のシロちゃん達も君がリーダーで心配なんじゃない。ほら初代と違って君は頭が…」


「うるさい!!ゲホッ!ゲホッ!」


お腹が熱い。それなのに他は寒い。悪寒がすごい。ここまでしっかり刺されるのは初めてだ。


耳もよく聞こえなくなってきた。


「まぁ良いや。僕ね、イイダさんが不幸になっていくのを見るのが高校生の時から趣味なんだ。あれ?もしかして、ここで君が死んだらイイダさんもっと不幸になるかな」


「な、なぜ、お前はイダ様を…」


「それは…」とナベシマが言いかけた時、ナベシマの視線が私から路地の手前に変わった。


「くくく。盗み聞きは良くないですよ。黒瀬弁護士。」


 黒瀬?誰だそいつ?あ、いやイイダ様が前に言ってたような。


 必死に振り返ると、若い子綺麗なサラリーマンがゴミ箱の陰に隠れて立っていた。そして黒服に捕まり私の前に倒れ込む形で地面に叩きつけられた。


「ゲホッ!ゲホッ!」と黒瀬は腹を押さえてのたうち回っている。


「尾行の尾行だ。どうやら僕は人気者のようだ。でもマズイな。見られちゃった。」


「ははっゲホッ!話の続きがしたくて、ホスト終わりの貴方についていったらこれだ。ゲホッ!ゲホッ!」


「いやー参ったね。」


黒瀬は嘔吐を抑え込みながら必死で息を整えている。


「はぁはぁ…残念だが、もう警察に電話してある。お前の詳しい話は法廷で聞こうか」


「ははは。いやいや、なんとまぁ。」


 ナベシマは、先程のおちゃらけた様子とは一変しドスの効いた声で黒服に命令した。


「しょうがない。2人とも殺して一気に退くぞ」


 やばい死ぬ。殺される。ここで死ぬのか。いやどうせ死ぬならここでナベシマを殺す。イダ様の任務は絶対に完遂する。


 別に、マシロの死体が警察に見つかった所で、名前不詳、身分不詳、国籍不詳の女が殺されたで終わる。真白で終わるんだ。


 生まれた時から真っ白、死んでも真っ白。なら真っ赤な血に染めてこの世界とバイバイするんだ!!!



 立ち上れた。もう意識もほとんどない。想像より出血量が多い。太ももに隠したナイフをなんとか取り出す。


 人生、楽しかった。

 イイダ様に見つけてもらえて。

 梅様と友達になれて。

 

 マシロという名前を与えてもらって。


 学校にも病院にも行ったことがない。仕事に行くって言ったママは3ヶ月帰ってこない。暑く蒸して臭い部屋に1人。バナナが黒くグジュグジュになって腐っていくみたいに。マシロも腐って死ぬ直前だった。


 そんな時に、イイダ様が手を差し伸べてくれた。私にシロという名前を与え育ててくれた。


小雨だった雨はどんどん強くなっていく。

あの時と同じ、熱く蒸してグジュグジュな体。マシロらしい。最後。


 ありがとう。イイダ様。真っ白なマシロに素敵な赤いクレヨンをくれて。上手にお絵描きできました。


「うわぁぁぁぁああああああ!!!!」

 最後に残る力を振り絞って、ナベシマに向かってナイフを持って走った。




あれ…痛くない。どこ?ここ?あったかい。

誰かの腕の中?ママ?帰ってきたの?


ママ待ってたよ?私の名前教えて?


「ママ?」

「大丈夫よ。今はゆっくりお休みなさい。」

「うん…大好きだよ。ママ。」


ーーーーーーーーーーーーーーーー



「くっくくく。今日は尾行の尾行の尾行か!!!君たち僕のこと好きすぎるだろ!」


「気持ち悪い男ね。アタシの好みじゃない。」


「ははは。初めまして。初代マシロちゃん…?」


「過去の名前を呼ばないで。さぁ雨が止む前に決着をつけるわよ。ナベシマ。」

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