第30話 日高検察官の後悔
私たち検察官1人の判断で起訴、不起訴は決めない。
国民はこのことを勘違いする人が多い。
でも私も勘違いしていたのかもしれない。
この検察という組織の正義を。
「はぁ…」と私はため息を吐きながらファイルの資料を読む。扱う事件は性犯罪。しかも被疑者は著名人。社会の興味関心が強い。どういう判断をしようが批判は必ず浴びる。
性犯罪ほど扱いたくない事件はない。
密室で行われることが多いから証拠が少ない。
客観的に不同意を証明できない。
被害者がPTSDを発症して事件のことを話したがらない。
つまり起訴をするのが難しい。
そして被害者の子に「不起訴です」と伝えることが、どれほど辛いか。いや…辛いのは被害者の方だ。
言い出したらキリがない。でも…
「でも今回のあの子…冬梅さんはどこか嘘くさい」と私は1人呟いた。
柊木は聴取で常に
「俺は騙された。あの女に嵌められた」と言っていた。
弁護人は黒瀬くん。あの母子強姦殺人事件の遺族か。なんで彼が積極的に性犯罪者の弁護をするのか理解ができない。当時の被害者の子供の年齢は2歳だ。私の娘と同じ。自分の娘が陵辱されて殺されたらと思うとゾッとする。法の正義のもとに加害者を裁くことはできないだろう。
柊木が言っていた睡眠薬のトリック(恐らく黒瀬弁護士が推測したものだろう)の話を聞いた時は驚いた。
冬梅は1週間前から事前に睡眠薬と酒を飲んで効き目を弱くした。そんな事をわざわざする必要があるのか。
その旨を柊木に言ったら、
「意識があったからこそ、冬梅さんは僕が服を洗濯したことを知ってシーツを証拠にするために持って帰ったんだ」と言った。
なるほど。流石、黒瀬弁護士。着眼点が面白い。彼女の体内から検出された睡眠薬は2種類だった。そのうち1つは柊木の自宅から見つかった。
そして、もう1つは冬梅さんが被害に遭う半年前から飲んでいたものだ。冬梅さんは不眠だったらしい。
私1人の判断で決める事は出来ないが…
この事件は起訴できる。
間違いなく有罪だ。
体内から睡眠薬が検出されたこと。シーツに体液が検出されたこと。この2つの客観的証拠は強い。
でも、もし柊木の言っていることが正しかったら…と頭によぎる。
確かに彼女はどこか嘘くさい。
優秀な被害者すぎる。
事情聴取で検察庁に冬梅さんは2回来てもらった。あの時の冬梅さんは怯え方といい話し方といい、性犯罪をテーマに扱った1話完結ドラマに出てくる女優みたいだった。
過去の性犯罪被害者の言葉に従い、シーツや写真をしっかりと抑え、警察に告発。美談だ。マスコミは彼女の行動を讃えた。
でも、それがどこか嘘くさい。
恐らく柊木は初犯じゃないだろう。
だが、他に被害者は見つからない。
一通りの捜査は終了した。このままこの事件は公判を迎え終わる。
だが、このまま終わっていいのか?
この事件は被害者も加害者も怪しい。
この事件に関しては柊木が本当に冤罪だとしたら…?
今まで散々、警察は被害者に「証拠がないから逮捕は出来ない」「貴方にも落ち度がある」って言ってきたのに。
今まで散々、私たち検察は確実にクロでも性犯罪者を不起訴にしてきたのに…?
今まで散々、裁判官は被害者と加害者の間で明らかな上下関係や歪な親子関係のある性犯罪者を無罪にしてきたのに…?
本当の被害者は救われないのに、計画的に冤罪を仕組んだ彼女は救われることになるの…?
司法の負けだ。これは。私たちへの罰なのか。
彼女を不起訴にする理由は何一つない。
彼女は睡眠薬を飲まされてレイプされた。体内から睡眠薬は検出された。そして犯行時のベッドシーツを回収し証拠として被害を告発した。
こんな過酷なことを…柊木を裁かせるために意図的にやったの?
冬梅さん、貴方は何のために、誰のために、何に怒って、誰に怒って、こんな行動をしたの。
あぁ…司法の負けだ。この冤罪は法で裁かれない。今までの私たち法曹への罰のようだ。
私は今までの、不起訴の通達をしてきた被害者の顔を1人1人思い浮かべ、天井を仰いだ。
「ごめんなさい…」
それから柊木リョウゴの起訴が決まった。
公判は2ヶ月後に開かれることになった。
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