第17話「未来の安全」


「ピュイ、ピュイ、ピュイ……」


サトゥーは歩く。

おかしな音を立てる肺で懸命に呼吸しながら、外殻が分解しない様にゆっくりと、だが命の刻限に間に合うよう急いで。


広場を渡り切り、巨大な建物――白い貝殻を模している――へと辿り着く。

この建物がシフード氏族の本拠地であり、また同氏族の政治的中枢になっている。

前世で言うところの県庁舎にあたる場所だった。


正面玄関から中へと入る。

吹き抜けのエントランスホールは開放的な作りであり、その内装は前世の水族館めいている。

その現代的な建築様式は、およそ野蛮なヤウーシュによって建築されたものとは思えない。

実際造っていない。

造ったのはシャルカーズ。やっぱり。


エントランス正面にある受付では、正装に身を包んだヤウーシュの『受付嬢』たちが来訪者を出迎えてくれる。

氏族の顔とも言うべき彼女たちは、選抜された美女揃い。

つまりカニ江みたいのがいっぱい居る。こわい。


「あ、見て。サトゥー君だ」

「やだ珍しい。あれ、傷跡増えてる?」

「やだ……セクシーさに磨きが掛かっちゃってる……」

「デート誘ってくれないかな……?」


何やらヒソヒソ話。

そして熱っぽい視線を向けてくる。


だがモテモテのサトゥー、これを無視。


「ピュ……ピュ……ピュ……」


そんな暇は無い。死が近い。薬をはよ。

サトゥーはエントランスを抜けると、奥へと続く廊下を進む。


廊下の壁にはあちこちに、槍や弓が飾られていた。

そして前世でなら高価な壺が置かれていそうな台座には、何らかの生物の頭蓋骨が鎮座している。


これらは全てがヤウーシュの手による装飾であり、シャルカーズ風の建築物を何とかヤウーシュ風にアレンジしようとした努力の痕跡だった。

尚、装飾を終えたヤウーシュ達が、シャルカーズ達に内装をドヤ顔でお披露目したものの『うん……』という反応だったと伝わっている。


サトゥーは建物の奥部にある人気のないトレイに辿り着き、中へと入る。

最後の力を振り絞って個室に誰もいない事を確認してから――


「ゴボボーーーー!!」


――洗面台に齧りつく様にしながら嘔吐。


「死ぬーーー!!」


奮える手でベルトからナノマシン錠剤の容器を取り外し、中身を口に放り込む。

体内で溶けた錠剤からナノマシンが解き放たれ、即座に肉体の修復が始まった。

成人一日一回一錠。

用法容量を守ってお使いください。

うるせぇ副作用が何だ。俺は今死ぬぞ。


「足りねぇぇーーー!!」


サトゥーは残っていた錠剤を全て口の入れ、嚥下した。

血管を通り道にナノマシンが体内へ広がり、傷を塞ぎ、外殻の断裂が繋ぎ合わされていく。

ズレていたものが戻され、あるいは広がっていたものが閉じられていく。

激痛が走った。


「ポォォーーーーーウッ!!」


思わず絶叫が口から飛び出す。

次いで内臓の鈍痛。

前屈みになり、股に手を挟んで、内またになる。


「オウッ……オウッ、オウッオウッ……オウッ」


オットセイみたい。

腹部の痛みから逃れようと、サトゥーは前屈みのまま後ろへ下がり始める。

ムーンウォークめいたそれに勿論意味はない。


「オゥオゥ……オゥオゥオ……」


並んだ個室の前を通り過ぎ、端に辿り着いてしまう。

その位置で再び激痛の波がやってきた。

思わず声が出る。


「アーーーーーーゥ!!」


今度は刺すような痛みに、姿勢が変わる。


姿勢を後ろに崩しながらも、顎は引き気味。

左手で股間を抑え、右手の指で虚空を指刺す

腰を落とし、両膝はやや曲がっている。


激痛のあまり、脳内で幻聴が騒ぎ出した。


Satou, are you okay?

 (サトゥー、大丈夫か?)


Will you tell us that you’re okay?

 (大丈夫ならそう言ってくれ)


There’s a scream at the inside

 (体内から悲鳴が聞こえる)


Then pain struck you — a crescendo, Satou

 (次第に強まる痛みが君を襲ったんだ、サトゥー)


The pain came into your body

 (痛みが君を襲ったんだよ)


Left the PonponPain on the your memory

 (そして腹に痛みを刻んでいった)


And then you ran into the nanomachine

 (君はナノマシンで治療したけど)


You were struck down

 (痛みからは逃れられなかった)


It was your doom

 (まぁ仕方ないよね)



「おごごご……」


腹痛に併せ、今度は頭痛までし始めた。

遠のく意識を必死で繋ぎ止め、よろよろと前屈みのままサトゥーは洗面台へと戻る。

ふらつきながら壁面鏡を覗き込んだところで、過去最大の波が訪れた。

再度、悲鳴が出る。


「――――ァ゛ァ゛ァァァイ!? はっ!? どこだココ!? いや、ここは――」


そして記憶が現実へと追いついた。





「それでトイレにいたのか……」


カニ江のベアハッグを受けて死にかけながらも、辛うじて勝利。

薬を使用できる場所を求めトイレへと辿り着き、ナノマシン錠剤を服用。

体力が戻ったからなのか、あるいは治療効果が脳にまで及んだからなのか。


サトゥーは失っていた10分間の記憶を取り戻した。

だが最初に頭へ浮かんだのは、勝利の余韻ではなく――


「次どうすんだよ……」


――絶望だった。


確かにサトゥーはカニ江に勝利した。

盾にした石が偶然にも鬱曜石で、偶然にもカニ江がそれを鋭利に破壊し、偶然にもベアハッグを受けた地点が近く、偶然にも気絶したタイミングが投げ技になり、偶然にもカニ江の背に刺さり、偶然にもカニ江の首を蹴りで粉砕出来た。

薄氷の上で綱渡りをするかのような奇跡頼みの奇跡的な奇跡的勝利。


再現性無いじゃん。


「次どうすればええんや……」


サトゥーの半端空手がカニ江に通用しない事が、今回の婚闘で本格的に証明されてしまった。

すると残された勝ち筋は合気道しかないものの、サトゥーの生半可合気道では初見殺し的な運用が精々。

初見でなくなれば効果は劇的に低下してしまう。

技を出せば出すほど学習され、対策され、やがて通用しなくなるだろう。


そもそもどうして、歴戦の戦士であるカニ江相手に合気道が通用するのか?

ヤウーシュ社会には武術、武道は存在しないのか?

これはヤウーシュ社会の『武芸』に対する考え方が関係していた。


ヤウーシュはその恵まれた身体能力ゆえに、正面から敵に当たって粉砕する事での勝利が多い。

やがて『正面突撃』こそが美徳とされ、それ以外は『弱者の戦略』として忌み嫌われるようになっていった。

そのような文化的背景を持つヤウーシュ社会では、せっかく武芸めいたものの萌芽が生まれても、発展普及する事なく歴史の徒花あだばなとして消えていってしまう。


歴代の戦士の中には、サトゥーの様に小柄でありながら、武芸を独自に編み出して特級にまで上り詰めた者も存在する。

しかし彼らは対策を恐れて技術を秘匿したか、あるいは普及を試みて社会に拒絶されたかのどちらかだった。

結果としてヤウーシュ社会全体が、いつまで経っても武芸に対して免疫がないという状況が続いているに過ぎない。


そこへポンと現れた、見知らぬ『カラーテ』。

だからこそ通用していた。


「カニ江の『カラーテ返し』……詰みでは?」


だがもう通用しない。

サトゥーはカニ江の関節を極められるが、カニ江はその関節を捨ててサトゥーを仕留められる。

唯一の勝ち筋ももう無いなった。


「……カニ江はいつ復帰してくる?」


サトゥーはカニ江の復帰時期を考える。


片腕が壊れ、体に穴が空き、首が砕けた。

地球人であれば、下手すると年単位でのリハビリを必要とする大怪我。

しかしデタラメな回復力を持つヤウーシュと、前世の地球文明を遥かに凌ぐシャルカーズの医療技術が合わさった場合。


「……一週間」


恐らく一週間も入院すれば、カニ江は全快して――


『サトゥーくーん! お待たせ! 待った?』


いいえ。


『さぁ早く婚闘の続きをしましょう行゛く゛わ゛よ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛!゛!゛』


――と叫びながら突撃してくる。

そして勿論カラーテはカラーテ返しで封じられ敗北。

その夜。下手すればその場で。サトゥーは運命の死を迎えるであろう。


「一週間。一週間だ。一週間で何とか対策を……いや待て。一週間もかかるか?」


サトゥーは想像する。

相手はあのカニ江である。


想定を修正する。


「……三日。三日だ。三日でカニ江は戻って来ると想定しよう。そして対策は……有る!」


サトゥーは考える。

カニ江対策の、たったTheひとつのOnly冴えたNeat やりThingかたto Do。 


「対策は有るぜ!

 まさか前世の社畜経験が役に立つ時が来るとはな……ブラック企業も捨てたもんじゃないって事か!」


カニ江対策、それは。

前世でブラック企業に酷使されていた時の、マインドセットによる解決策。


サトゥーはその場で背を丸めて前傾姿勢になり、右足を浮かせ、左肘を振り上げ、右手の人差し指で前方を指しながら言った。


「三日後の俺が何とかするから……ヨシ!」


ヨシ!

未来の安全確認、ヨシ!

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