第16話「その大歓声」


(あぁ……やっぱり……)


暗くなる視界の中で。

カニ江はサトゥーを見上げながら満足していた。


(やっぱりサトゥー君のカラーテは強力だった……)


中途半端に避けたから、己の首は砕かれたのか。

中途半端でも避けたから、この程度で済んだのか。

もはやカニ江に判別は叶わない。


しかし――


(何て素敵なのかしら……何て最高なのかしらサトゥー君!!)


――カニ江は大満足しながら。


(やっぱり私が愛せるのは貴方しかいないわ! さぁ早く続きをしましょう!!)


闘争本能、尚も衰えず。

飛び起きて婚闘を続行しようとする。


(あ……ら? うごけ――)


しかしその体、動かず。

視界が急に暗転し、そして。


「ゴボボーー!!」


聴覚が不可解な音を捉える。

それが己の口から噴き出す泡だと自覚したあたりで、カニ江はその意識を手放した。





サトゥーは立ち尽くしていた。

己の足元には、倒れているカニ江。


「ゴボボボー!」


白目を剥き、泡を吹き、ピンと伸ばした四肢を痙攣させている。

茫然とサトゥーは、それを見下ろしていた。


(勝った……のか?)


意識が朦朧としていた。

背後からカニ江にベアハッグを受けたあたりから、既にサトゥーの記憶は曖昧だった。


「ピュイー」


呼吸音がおかしい。

窄めた口から鳴る音は、浅く細くなったサトゥーの呼吸音だった。


「ピュイピュイ~」


小鳥さんかな。

特に体重を支える腰回りを中心として、サトゥーの外殻はカニ江のベアハッグ、その圧倒的圧力を受けて粉砕される寸前になっていた。

前世で例えると全身を複雑骨折している様なものだった。


(動けない……呼吸するのも辛い……)


小鳥さんの真似事をしながら、必死で呼吸する。

大声でも出そうものなら、そのショックだけで全身の外殻が分解しそうだった。


そんな状態にも関わらず、サトゥーは最後の局面。

カニ江の拘束が緩んだ瞬間、反射的にその拘束を振り払い、動いていた。


朦朧としながらも感じた唯一無二で正真正銘、最大最後だろう勝機。

全身のバネを使い、空中へと跳ね上がる。

そして猫の様に身を翻し、己の真下、カニ江の顔面へと余力の全てを込めた蹴りを叩き込む。


サトゥーは前世で空手と合気道をやっていた。

しかし運動が得意だった訳ではない。

そんなサトゥーがまるで一流の体操選手めいた身体操作を行えたのは、まさに生まれ持った己の体。

生粋の戦士、戦闘種族ヤウーシュとしての血がなせる業と言えた。


そしてグキ、バリンという

己の蹴りが、一撃でカニ江の太い首を粉砕していた。

しかし感じたのは、どこか奇妙なそれ。

まるでカニ江が自ら首を曲げたような、或いは捻ったような。


防御を放棄したとも取れるカニ江の対応。

勿論カニ江が勝負を捨てる訳はないので、それは有り得ない。

何故か。そんな疑問を頭に浮かべていると、サイレンが聞こえた。


前世でも聞いた緊急車両の音。


「おい、救急隊が来たぞ!」


観衆の誰かが叫ぶ。

誰かがカニ江の為に呼んだのか、またはサトゥー用だったのか。


広場の上空に、魚を模した形状の航空機――尾びれをピコピコと動かしている――が現れた。

目の部分が赤色灯になっており、チカチカと明滅している。

それは広場上空で静止すると、胸ビレあたりから緑色の光線が放たれた。

その光線は光の柱となって地上まで到達する。

牽引光線トラクタービームだった。


その光柱の中をエレベーターでそうする様に、数人の人影がゆっくりと降下してくる。

白衣に身を包んだシャルカーズの少女たちだった。


≪ご協力ありがとうございまーす救急でーす。患者さんはどこでしょーかー≫


代表だろう一人のシャルカーズがそう発した。

どこか擦れている、あるいは疲れている様子の少女。

声は電磁波のそれではなく、首に装着しているチョーカーから発声されていた。

異種族交流用の音声デバイスだった。


「ピュイー」


サトゥーが倒れているカニ江を指す。


「ゴボボボボー!」

≪はーいこの女性ですねーご協力ありがとうございまーす。じゃあ転送おねがーい≫


少女が上空で待機している航空機を見上げながら言う。

その目――スイカ器官からバチバチとアーク放電が漏れた。

電磁波の声で直接、航空機側と通信を行ったのだ。


やがて降り注いだ新たな光の柱が、カニ江の巨体を音もなく空中へと吸い上げていく。

そしてそのまま航空機の中へと収容されていった。


≪どなたか1名付き添いお願いしまーす。えーと――≫


少女がサトゥーを見ながら続けた。


≪――彼氏さん≫

「違う! ピュイー」


思わず叫んだ。全身に激痛。


≪じゃあ旦那さん≫

「もっと違う! ピュイィィィ!」


さらに激痛。これ以上間違えられたら死ぬ。

しかしやり取りを見ていた群衆から――


「おっしじゃあ俺が付き添いするゾ~」

「何言ってんですか自分やりますねぇ!」

「全員辞退してください私がやりますから……」


――ヤウーシュの男衆が現れ、付き添い枠1名を巡って争い始めた。


≪はぁぁぁぁ~~…………≫


それを見た少女がクソデカ溜息をつき。


≪はーいもう聖クーテン病院向かうんで付き添いの方あと勝手にお願いしまーすご協力ありがとうございやしたー≫


来た時と同じ様に、牽引光線で上空へと戻っていった。

そして少女たちを収容した航空機が回頭、病院へと向かって飛行し始める。


「おっ、待てい!」

「あ、待ってくださいよ~!」

「ちょっと待ってください……」


枠を争いながら、希望者たちが病院に向かって荒野を走り始める。

その背中を見送ってから、サトゥーはようやく周囲に注意を払った。



本拠地前の広場。

婚闘を見守っていた群衆――立ち去った付き添い希望者は僅かで、殆どがその場に残っている――に囲まれ、ひとり立ち尽くしているサトゥー。


「「「……」」」


なぜか群衆は静まり返っていた。


「……」


婚闘には勝利したが、どうしたものか。

サトゥーが逡巡した直後。


「「「ウオオオオオオ!!!!」」」


思い出したかの様に絶叫。

大歓声がサトゥーを包み込んだ。


「「「キャアアアアアサトゥーくぅぅぅーーーん!!!」」」


女性陣の黄色い歓声。

素敵。最高。私を抱いて。あらゆる賛辞が聞こえてくる。


「「「ウオオオオオサトゥーお前ならやると思ってたぞォォォーー!!」」」


男性陣の野太い歓声。

もはやそこに嫉妬も嘲笑も無かった。あるのはただ称賛だった。


果たして自分は、己より巨大なカニ江を投げ飛ばせるだろうか?

その首を一撃で粉砕せしめる事は出来るだろうか?

答えは否。

自分では決して出来ないそれを、サトゥーに目の前でやって見せられた。

もはや認めるしかなかった。サトゥーが誰よりも優れた戦士であると。


一度認めてしまえば、ヤウーシュの男とはさっぱりしている。

男性陣のサトゥーを見つめる目が、キラキラとしたそれに様変わりしていた。


「ピュイー、ピュイー、ピュイー」


サトゥーの小鳥さんが大歓声に掻き消される。

サトゥーは今、それどころではなかった。


死ぬ。

このままだと死ぬ。

体が分解するのが先か、多臓器不全で命果てるのが先か。

今すぐにベルトに常備してある『緊急治療用ナノマシン錠剤』を口にブチ込まなくてはならない。


しかしこの薬は肉体が治癒する際、かなりの激痛を伴う。

この重症で飲めば、確実に絶叫する自信があった。


ヤウーシュには強がりの文化がある。

苦境を鼻で笑い、窮地でこそ余裕を装うのが美徳とされていた。

故に今、観衆の前で薬を飲むわけにはいかない。

今すぐに人気のない場所へ避難し、錠剤を摂取する必要があった。


サトゥーは歩き出す。

亀裂の入っている外殻が断裂しない様に、ゆっくりと一歩づつ。

だがサトゥーが歩き出した直後――


「えっ!?」

「な、何ィ!?」

「そんな事って!?」


――群衆の間にどよめきが発生していた。

それは困惑の波だった。

あれ、サトゥーまた何かやらかしちゃいました?


決闘とは咆哮に始まり、咆哮に終わる。

サトゥーに期待されていたのは、この場をしめる為の”勝利の咆哮”だった。

それに観衆が応える事で盛り上がりは最高潮となり、同時に終わりの合図となる。

サトゥーはそれをすっぽかしていた。


「ピュイー、ピュイー、ピュイー」


しかしサトゥーに今、周囲のそんな状況を察する余裕などなかった。

ゆっくりと、だが急いで。落ち着いて呼吸を続け、体が分解しない様に気を使いながら。

1秒でも早く人気のないところに避難し、錠剤を飲まなくてはならない。

頭はその事でいっぱいだった。


広場を包囲していた観衆の輪にサトゥーが近づく。

人の壁がサっと開いて進路を譲ると、サトゥーはシフード氏族の本拠地――貝殻めいた白い建物へとヒョコヒョコ歩いていく。


それを困惑と沈黙で見送る観衆たち。

だがその時、声が響いた。


「ほう、『おごらず』ですか……大したものですね」


それは小さな声に過ぎなかった。

だが沈黙していた彼らの耳には、染みわたるように届いた。


「確かに決闘とは咆哮に始まり咆哮に終わります。

 しかし決闘後の咆哮とは、あくまで己の勝利を誇示するもの。

 戦士サトゥーは『奮わず』の通りに勝利しました。しかし納得いかなかった部分や、思うところなどもあったのでしょう。

 自らの戦いが”勝利”と呼べるものとは程遠い……そんな思いから咆哮を自制する。

 久しぶりに見ました……吼えずとは異なる沈黙『驕らず』」


そういう事か!

困惑していた観衆へじわじわと理解が広がっていく。

声が続けた。


「それにしても、あのカニィーエ女史に勝利したというのに『驕らず』とは、全く驚異的な自制心と言うほかはない」


そう言われてみれば。

観衆は想像した。

可能かは別として、自分があのカニ江に勝利して、果たしてそれを誇らずにいられるか。勝利後の咆哮を自制していられるか。

答えは簡単だった。無理だ。不可能だ。

嬉し過ぎて真っ先に吼えて、確実に驕っている。


それなのに戦士サトゥーは!!


観衆の視線が一点に注がれた。

建物を目指し、非常に足取りで向かう戦士サトゥー、その背中に。


「「「オオォォ……」」」


自然と声が沸き上がる。


「「「ウオオオオオオオオ!!!」」」


誰も彼もが、叫ばずに居られなかった。

偉大なる戦士サトゥーを讃えずにはいられなかった。


「「「サ、トゥ、ウーー!」」」

「「「サ、トゥ、ウーー!!」」」

「「「サ、トゥ、ウーー!!!」」」


自然と沸き上がるサトゥーコール。

その大歓声を背に受けながら、戦士サトゥーの姿はヒョコヒョコ、ピョコピョコと遠ざかっていった。

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