第16話「その大歓声」
(あぁ……やっぱり……)
暗くなる視界の中で。
カニ江はサトゥーを見上げながら満足していた。
(やっぱりサトゥー君のカラーテは
中途半端に避けたから、己の首は砕かれたのか。
中途半端でも避けたから、この程度で済んだのか。
もはやカニ江に判別は叶わない。
しかし――
(何て素敵なのかしら……何て最高なのかしらサトゥー君!!)
――カニ江は大満足しながら。
(やっぱり私が愛せるのは貴方しかいないわ! さぁ早く続きをしましょう!!)
闘争本能、尚も衰えず。
飛び起きて婚闘を続行しようとする。
(あ……ら? うごけ――)
しかしその体、動かず。
視界が急に暗転し、そして。
「ゴボボーー!!」
聴覚が不可解な音を捉える。
それが己の口から噴き出す泡だと自覚したあたりで、カニ江はその意識を手放した。
◇
サトゥーは立ち尽くしていた。
己の足元には、倒れているカニ江。
「ゴボボボー!」
白目を剥き、泡を吹き、ピンと伸ばした四肢を痙攣させている。
茫然とサトゥーは、それを見下ろしていた。
(勝った……のか?)
意識が朦朧としていた。
背後からカニ江にベアハッグを受けたあたりから、既にサトゥーの記憶は曖昧だった。
「ピュイー」
呼吸音がおかしい。
窄めた口から鳴る音は、浅く細くなったサトゥーの呼吸音だった。
「ピュイピュイ~」
小鳥さんかな。
特に体重を支える腰回りを中心として、サトゥーの外殻はカニ江のベアハッグ、その圧倒的圧力を受けて粉砕される寸前になっていた。
前世で例えると全身を複雑骨折している様なものだった。
(動けない……呼吸するのも辛い……)
小鳥さんの真似事をしながら、必死で呼吸する。
大声でも出そうものなら、そのショックだけで全身の外殻が分解しそうだった。
そんな状態にも関わらず、サトゥーは最後の局面。
カニ江の拘束が緩んだ瞬間、反射的にその拘束を振り払い、動いていた。
朦朧としながらも感じた唯一無二で正真正銘、最大最後だろう勝機。
全身のバネを使い、空中へと跳ね上がる。
そして猫の様に身を翻し、己の真下、カニ江の顔面へと余力の全てを込めた蹴りを叩き込む。
サトゥーは前世で空手と合気道をやっていた。
しかし運動が得意だった訳ではない。
そんなサトゥーがまるで一流の体操選手めいた身体操作を行えたのは、まさに生まれ持った己の体。
生粋の戦士、戦闘種族ヤウーシュとしての血がなせる業と言えた。
そしてグキ、バリンという
己の蹴りが、一撃でカニ江の太い首を粉砕していた。
しかし感じたのは、どこか奇妙なそれ。
まるでカニ江が自ら首を曲げたような、或いは捻ったような。
防御を放棄したとも取れるカニ江の対応。
勿論カニ江が勝負を捨てる訳はないので、それは有り得ない。
何故か。そんな疑問を頭に浮かべていると、サイレンが聞こえた。
前世でも聞いた緊急車両の音。
「おい、救急隊が来たぞ!」
観衆の誰かが叫ぶ。
誰かがカニ江の為に呼んだのか、またはサトゥー用だったのか。
広場の上空に、魚を模した形状の航空機――尾びれをピコピコと動かしている――が現れた。
目の部分が赤色灯になっており、チカチカと明滅している。
それは広場上空で静止すると、胸ビレあたりから緑色の光線が放たれた。
その光線は光の柱となって地上まで到達する。
その光柱の中をエレベーターでそうする様に、数人の人影がゆっくりと降下してくる。
白衣に身を包んだシャルカーズの少女たちだった。
≪ご協力ありがとうございまーす救急でーす。患者さんはどこでしょーかー≫
代表だろう一人のシャルカーズがそう発した。
どこか擦れている、あるいは疲れている様子の少女。
声は電磁波のそれではなく、首に装着しているチョーカーから発声されていた。
異種族交流用の音声デバイスだった。
「ピュイー」
サトゥーが倒れているカニ江を指す。
「ゴボボボボー!」
≪はーいこの女性ですねーご協力ありがとうございまーす。じゃあ転送おねがーい≫
少女が上空で待機している航空機を見上げながら言う。
その目――スイカ器官からバチバチとアーク放電が漏れた。
電磁波の声で直接、航空機側と通信を行ったのだ。
やがて降り注いだ新たな光の柱が、カニ江の巨体を音もなく空中へと吸い上げていく。
そしてそのまま航空機の中へと収容されていった。
≪どなたか1名付き添いお願いしまーす。えーと――≫
少女がサトゥーを見ながら続けた。
≪――彼氏さん≫
「違う! ピュイー」
思わず叫んだ。全身に激痛。
≪じゃあ旦那さん≫
「もっと違う! ピュイィィィ!」
さらに激痛。これ以上間違えられたら死ぬ。
しかしやり取りを見ていた群衆から――
「おっしじゃあ俺が付き添いするゾ~」
「何言ってんですか自分やりますねぇ!」
「全員辞退してください私がやりますから……」
――ヤウーシュの男衆が現れ、付き添い枠1名を巡って争い始めた。
≪はぁぁぁぁ~~…………≫
それを見た少女がクソデカ溜息をつき。
≪はーいもう聖クーテン病院向かうんで付き添いの方あと勝手にお願いしまーすご協力ありがとうございやしたー≫
来た時と同じ様に、牽引光線で上空へと戻っていった。
そして少女たちを収容した航空機が回頭、病院へと向かって飛行し始める。
「おっ、待てい!」
「あ、待ってくださいよ~!」
「ちょっと待ってください……」
枠を争いながら、希望者たちが病院に向かって荒野を走り始める。
その背中を見送ってから、サトゥーはようやく周囲に注意を払った。
本拠地前の広場。
婚闘を見守っていた群衆――立ち去った付き添い希望者は僅かで、殆どがその場に残っている――に囲まれ、ひとり立ち尽くしているサトゥー。
「「「……」」」
なぜか群衆は静まり返っていた。
「……」
婚闘には勝利したが、どうしたものか。
サトゥーが逡巡した直後。
「「「ウオオオオオオ!!!!」」」
思い出したかの様に絶叫。
大歓声がサトゥーを包み込んだ。
「「「キャアアアアアサトゥーくぅぅぅーーーん!!!」」」
女性陣の黄色い歓声。
素敵。最高。私を抱いて。あらゆる賛辞が聞こえてくる。
「「「ウオオオオオサトゥーお前ならやると思ってたぞォォォーー!!」」」
男性陣の野太い歓声。
もはやそこに嫉妬も嘲笑も無かった。あるのはただ称賛だった。
果たして自分は、己より巨大なカニ江を投げ飛ばせるだろうか?
その首を一撃で粉砕せしめる事は出来るだろうか?
答えは否。
自分では決して出来ないそれを、サトゥーに目の前でやって見せられた。
もはや認めるしかなかった。サトゥーが誰よりも優れた戦士であると。
一度認めてしまえば、ヤウーシュの男とはさっぱりしている。
男性陣のサトゥーを見つめる目が、キラキラとしたそれに様変わりしていた。
「ピュイー、ピュイー、ピュイー」
サトゥーの小鳥さんが大歓声に掻き消される。
サトゥーは今、それどころではなかった。
死ぬ。
このままだと死ぬ。
体が分解するのが先か、多臓器不全で命果てるのが先か。
今すぐにベルトに常備してある『緊急治療用ナノマシン錠剤』を口にブチ込まなくてはならない。
しかしこの薬は肉体が治癒する際、かなりの激痛を伴う。
この重症で飲めば、確実に絶叫する自信があった。
ヤウーシュには強がりの文化がある。
苦境を鼻で笑い、窮地でこそ余裕を装うのが美徳とされていた。
故に今、観衆の前で薬を飲むわけにはいかない。
今すぐに人気のない場所へ避難し、錠剤を摂取する必要があった。
サトゥーは歩き出す。
亀裂の入っている外殻が断裂しない様に、ゆっくりと一歩づつ。
だがサトゥーが歩き出した直後――
「えっ!?」
「な、何ィ!?」
「そんな事って!?」
――群衆の間にどよめきが発生していた。
それは困惑の波だった。
あれ、サトゥーまた何かやらかしちゃいました?
決闘とは咆哮に始まり、咆哮に終わる。
サトゥーに期待されていたのは、この場をしめる為の”勝利の咆哮”だった。
それに観衆が応える事で盛り上がりは最高潮となり、同時に終わりの合図となる。
サトゥーはそれをすっぽかしていた。
「ピュイー、ピュイー、ピュイー」
しかしサトゥーに今、周囲のそんな状況を察する余裕などなかった。
ゆっくりと、だが急いで。落ち着いて呼吸を続け、体が分解しない様に気を使いながら。
1秒でも早く人気のないところに避難し、錠剤を飲まなくてはならない。
頭はその事でいっぱいだった。
広場を包囲していた観衆の輪にサトゥーが近づく。
人の壁がサっと開いて進路を譲ると、サトゥーはシフード氏族の本拠地――貝殻めいた白い建物へとヒョコヒョコ歩いていく。
それを困惑と沈黙で見送る観衆たち。
だがその時、声が響いた。
「ほう、『
それは小さな声に過ぎなかった。
だが沈黙していた彼らの耳には、染みわたるように届いた。
「確かに決闘とは咆哮に始まり咆哮に終わります。
しかし決闘後の咆哮とは、あくまで己の勝利を誇示するもの。
戦士サトゥーは『奮わず』の通りに勝利しました。しかし納得いかなかった部分や、思うところなどもあったのでしょう。
自らの戦いが”勝利”と呼べるものとは程遠い……そんな思いから咆哮を自制する。
久しぶりに見ました……吼えずとは異なる沈黙『驕らず』」
そういう事か!
困惑していた観衆へじわじわと理解が広がっていく。
声が続けた。
「それにしても、あのカニィーエ女史に勝利したというのに『驕らず』とは、全く驚異的な自制心と言うほかはない」
そう言われてみれば。
観衆は想像した。
可能かは別として、自分があのカニ江に勝利して、果たしてそれを誇らずにいられるか。勝利後の咆哮を自制していられるか。
答えは簡単だった。無理だ。不可能だ。
嬉し過ぎて真っ先に吼えて、確実に驕っている。
それなのに戦士サトゥーは!!
観衆の視線が一点に注がれた。
建物を目指し、非常に
「「「オオォォ……」」」
自然と声が沸き上がる。
「「「ウオオオオオオオオ!!!」」」
誰も彼もが、叫ばずに居られなかった。
偉大なる戦士サトゥーを讃えずにはいられなかった。
「「「サ、トゥ、ウーー!」」」
「「「サ、トゥ、ウーー!!」」」
「「「サ、トゥ、ウーー!!!」」」
自然と沸き上がるサトゥーコール。
その大歓声を背に受けながら、戦士サトゥーの姿はヒョコヒョコ、ピョコピョコと遠ざかっていった。
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