第15話「そして敗北」
(負けちゃうぅぅぅぅ!!)
カニ江は負けそうになっていた。
(私の外殻負けちゃうのぉぉぉ!!)
カニ江の外殻は負けちゃいそうだった。
地上でそそり立ち、カニ江の背を貫かんとしている鬱曜石。
カニ江の理想はその切っ先を、背中の外殻で弾き返す事だった。
しかし鬱曜石はかつての種族間戦争において、シャルカーズの二脚歩行戦車『MG-09B ドフ』の装甲すら貫いている。
それが相手では、流石にカニ江とは言え分が悪かった。
(お゛ッ!)
鬱曜石の切っ先がカニ江の外殻を通り抜ける。
殻下組織が破られた。
(入っちゃっ……たァーー!!)
細胞を断ち切りながら、鬱曜石が体内へと侵入してくる。
切っ先が
(だ、ダメなのォ! その膜はらめぇ!)
臓側胸膜に損傷。
肺と胸腔内の空間的隔絶が喪失。
(も、漏れちゃうぅぅ!)
気密を維持出来ず、肺の中の空気が胸腔内に漏出。
外傷性気胸発生!
外傷性気胸発生について、お話します。
みんなは外傷性気胸って、知っているかな?
外傷性気胸っていうのはね、怪我のせいで肺に穴が空いて、タイヤがパンクするように肺が潰れてしまう事を言うんだ。
刃物で刺されたり、高エネルギー外傷(交通事故など)で起こったりするよ。
咳が出たり胸が痛んだり呼吸困難になったりするから、みんなは外傷性気胸にならないようにしようね!
もし外傷性気胸になってしまったら病院に行って、お医者さんに相談しようね!
(お゛っ!?)
鬱曜石の先端が、カニ江の心臓に到達する。
(そこは大事なとこなのぉ!!)
大事なとこに
穿通性心臓外傷について、お話します。
みんなは穿通性心臓外傷って、知っているかな?
穿通性心臓外傷っていうのはね、刃物や銃弾などが心臓に到達して、心臓が損傷してしまう事を言うんだ。
血圧が低下してショック状態になったり意識を失ったりするから、みんなは刃物や銃弾に気をつけようね!
もし心臓に到達してしまったら、病院に行ってお医者さんに見てもらおうね!
(で、出りゅう~~!!)
穿通性心臓外傷により心膜内に血が出りゅう。
(このままじゃ……私! タンポナっちゃうぅ~~~!!)
出血により心膜内へ血液が貯留。心タンポナーデ発症!
心タンポナーデについて、お話します。
心タンポナーデっていうのはね、心臓を包んでいる心膜に血が溜まって、心臓が圧迫される事で血液循環のポンプ機能が阻害される事を言うんだ。
血圧低下、呼吸困難、四肢冷感、意識消失したりするから、みんなは心タンポナーデにならないようにしようね!
もしなってしまったら病院に行って、穿刺ドレナージや心膜開窓術をしてもらおうね!
(いや~ん胸がトゥンクしちゃう~!!)
カニ江の拍動に
心タンポナーデにより血液の循環不全発生、意識レベルが低下!
(お゛ほぉ~っ)
カニ江の意識が拡散していった。
見上げる空が暗くなり始める。
背中から聞こえる鬱曜石の砕ける音――負荷に耐えきれなくなった――を、どこか遠くに聞きながら。
目を見開いたまま、カニ江の四肢から力が抜けていった。
不意に声が聞こえる。
「ちぇりゃぁぁぁ!!」
嗚呼、誰の声か。
意識が拡散していく。
ばしんと右手が振り払われた。
意識が拡散していく。
何かが胸元から離れていった。
意識が拡散していく。
胸中に去来するこの喪失感は何故か。
どうしてこんなにも辛く、切ないのだろう。
こんなに
言葉ひとつ話せない(意識低下)、遠ざかる
こんなに
夕焼けはもう違う色(レイリー散乱)、せめてこの赤い空の下で、静かな眠りを。
「プレデター空手!! イヤァァァァーーー!!」
声が聞こえた。
意識の拡散が――止まる。
嗚呼、誰の声か。
カラーテの声だ。カラーテ使いの声だ。
世に戦士は多かれど、後にも先にもカラーテ使いはただひとり。
誇り高きヤウーシュの戦士サトゥー。
カニ江のだいすきなひと。
ドクン。
心臓が再び力強く拍動する。
肺に穴? それが何だ。
心臓に穴? だからどうした。
心に空いた穴と比べれば、全て足しても掠り傷。
恋する乙女に待ったなし。寝ている暇など有りはしない!
「んかあっ!!」
カニ江再起動。
体の機能不全多数、されど婚闘に支障なし。
足の裏。
短時間で意識を取り戻したカニ江が最初に見たのは、サトゥーの足の裏。
カラーテの踏み付けが来る!
狙いは顔面、頭部への攻撃。
カニ江の思考が加速する。
世界が停滞し、迫りくる足の裏がその速度を落とす。
まだ不足。
さらに思考を加速させ、限界を超えて尚も。
極限まで引き延ばされた時間の中で、ついに足の裏がその動きを止めた。
静止にも似た世界の中で、数多の強敵を下してきたカニ江の、戦士としての理性が決定を下す。
『防御』。
首を固め、踏み付けを真正面から受け止める。
然る後にサトゥーの足首を掴んで宝石化。
婚闘がここまで
足を奪えばそれも潰える。
あとに残るは勝利のみ。
確実な道筋を立て、カニ江の思考がその速度を落としていく。
静止していた足の裏が再び動き始めた、その時。
――あら、ダメよ――
声がした。
カニ江の内から響く、もうひとつの声。
――防御なんてダメ。避けなくちゃ。首から上が無くなっちゃうわ――
理性の判断に相反し、もうひとつの声は回避を主張した。
それに理性が反論する。回避の必要は皆無だと。
観察の限り、カラーテは2系統に大別される。
打撃系カラーテと、関節攻撃系カラーテ。
警戒すべきは関節攻撃系であり、その威力は体験済み。
対し打撃系カラーテは”受けた事が無かった”為に脅威を測りかねていた。
だが婚闘の最中に数発、打撃系カラーテが使用された。
僥倖であり、故に真相が判明する。
あくまで体重相応の、牽制に過ぎない凡庸な殴打に過ぎないと。
打撃系カラーテに脅威なし。
ならば回避は不要。
防御すべし。そして最速で反撃すべし。
理性が改めて、そう述べた。
やや時が過ぎている。
カラーテが迫っていた。
呆れたような声で、もうひとつの声が続ける。
――また騙されてるのね。
あれはサトゥー君が
指摘に対し、理性が逡巡。
そして反論した。
打撃系カラーテに高い威力があったならば、最初から攻撃に使用していた筈だと。
その推測は根拠に乏しいと。
もうひとつの声が、尚も続ける。
――ここまで婚闘の全てがサトゥー君の作戦通りに進んでいるのよ?
弱かった打撃系カラーテだけが作戦じゃないって、どうして言えるの?――
ついに理性が沈黙する。
威力のない打撃系カラーテが罠だったのか、そうでないのか。
どちらが正しいのか、どちらが間違っているのか。
そして刻限が訪れた。
もはやカラーテが眼前に迫っている。
回避はもう間に合わない。
もはや防御しかない。
首を固定し、衝撃に備える。
理性がそう最終判断を下そうとした、その時。
もうひとつの声が、澄んだ声で言った。
――次のカラーテはきっと凄い威力なの、だから避けなくちゃ――
それは唯の願いだった。
何の根拠もない、ただの願望。
――だってサトゥー君のカラーテよ? 絶対凄いに決まっているわ!――
声が述べる。
きっとそうあって欲しいという、ただの宿願。
内から響いていた、もうひとつの声。
その正体。
それはカニ江の『恋心』だった。
恋する乙女として、サトゥーには強くあって欲しい。
自分が惚れた戦士とは、きっとそうに違いない。
理知的でもない。
合理的でもない。
不条理な判断。それにも関わらず――
――回避!
回避せよ!
直ちに回避! カラーテを回避せよ!!
理性は『恋心』の判断に従ってしまっていた。
もはや手遅れにも関わらず。
その瞬間。
鬱曜石に背中を貫かれ、大地に縫い留められ、仰向けに倒れ。
顔面にサトゥーの飛び蹴りを受けようとしていたカニ江は。
戦士である事よりも、『乙女』でいる事を選んだ。
乙女が首を曲げる。
サトゥーのカラーテを避けようとして。
首を固定して真正面から受ければ、余裕で耐えられたのに。
直後に反撃していれば、婚闘はカニ江の勝利に終わっていたのに。
だがカニ江は――
サトゥーの飛び蹴りが、カニ江の顎に着弾。
避けられず、耐えられず。
曲げる事で不安定になっていたカニ江の首は、正面からの負荷に耐えきれず捻転。
首回りの外殻が一斉に破断。
限界を超えて首が回り、重要な筋肉、血管、および神経が一斉に断裂した。
カニ江行動不能。
戦闘継続は不可能。
――そして敗北した。ただ恋する乙女であったが故に。
婚闘、決着。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます