第10話「受けたら死ぬ」

カニ江と対峙するサトゥー。

サトゥーには3つの未来があった。


まず婚闘を回避する未来。

だがサトゥーがこれを選択する事は出来ない。

公衆の面前で婚闘を申し込まれた今の状況は、前世的に言えば『学年一の美少女』あるいは『社内一の美人』から、『ラブレターを渡されている』状況に等しい。

そして婚闘を断るとは、渡されたラブレターを読みもせずに破り捨てる行為に相当する。

まず間違いなくサトゥーの社会的評価は地に落ちるだろう。

周囲からの評価を必要としているサトゥーに、この選択を取る余地は無かった。


次に婚闘を受けて、敗北する未来。

この場合、サトゥーはカニ江と結婚しなければならない。

そしてそれが意味するものとは――



あれはいつの日だったか。

とある夜。

サトゥーの元に同僚がやってきた。

サトゥーにとっての数少ない友人である彼が、顔をニヤつかせて持ってきたのは映像記録。

その中身は『屈強なヤウーシュ男性と、屈強なヤウーシュ女性が激しく衝突する映像』、つまり前世で言うところのアダルトビデオだった。


「これはすんげぇぞ?」


そう言いながら再生された映像を、サトゥーは興味本位で見てしまった。

そして激しく後悔した。

映像の中に登場したゴリゴリのヤウーシュ男とバキバキのヤウーシュ女は、生まれたままの姿となって何故か激しくお互いを攻撃し始めた。

殴り、蹴り、叩き、絞め、引っ掻き、噛みつく。


「おっほーたまんねぇ~!」


映像に興奮する友人と、ドン引きしているサトゥー。


ヤウーシュの性衝動とは、攻撃本能と密接に結び付いている。

つまり本気一歩手前の、この激しい加害行動がヤウーシュにとってのだった。

そして映像に映る両者の性的興奮が最高潮に達したところで、遂にが始まる。

その余りの激しさ、そしておぞましさに、サトゥーは思わずトイレへと駆け込み、嘔吐していた。

憔悴して戻ったサトゥーを、妙にすっきりとした顔で出迎えた友人が言った。


「ははは、お前にはまだ刺激が強かったかな?」


ちなみにその後、三日間ほどサトゥーは悪夢にうなされた事を追記しておく。


嗚呼、それ程までに恐ろしいヤウーシュの生殖行為セックスとは、一体どの様なものなのか?

残念ながら読者諸賢を守る為、ここに記す事は叶わない。

もし深淵を覗かんとする愚かな、しかし勇気ある者が居たならば、ミンメーン出版『恐怖! ヤウーシュの性と生と死!』を求めると良いだろう。


閑話休題。

つまり婚闘でカニ江に敗北した場合。

――サトゥーは、カニ江と子作りを始めなければならない!


(無理ですぅぅぅぅ!!)


無理だった。


事無理ですぅぅぅぅ!!)


あんな悍ましい行為、サトゥーには不可能だった。

だが結婚初夜、スタミナ食で精力フルチャージとなって迫りくるだろう新婦を拒める権利など、ヤウーシュ社会には存在しない。

そしてサトゥーには、物理的に拒めるパワーもない。


つまりその夜、確実にサトゥーは死ぬ! 心が。

よってサトゥーが取りうる選択肢は、最後の3つ目しか有り得ない。


婚闘を受け、勝利する未来。


そしてそれが、果てしなく困難だった。

サトゥーの見ている前でカニ江が腰を落とし、やや前傾になる。

そして両腕を引き気味に大きく開き、咆哮をあげた。


「Gruuuuaaaaaahhhhhhhhh!!!」


地の底から響くような大音響。

大気がビリビリと震えた。

婚闘の開始宣言だった。


「「「オオオオオオオ!!!」」」


観衆も絶叫する。

熱狂は最高潮に達していた。


始まった。

始まってしまった。


「………………」


サトゥーは頭が真っ白になっていた。

カニ江の咆哮、その迫力に圧倒されていた。

辛うじて出来たのは、空手の構えを取る事だけだった。


だがサトゥーが空手の構えを取った瞬間――


「何!?」

「嘘だろ!?」

「本気かよォ!?」


――群衆の間にどよめきが発生していた。

それは困惑の波だった。


(……しまった!)


カニ江に対峙したまま、聴覚で周囲の反応を拾ったサトゥーが己の失敗に気づく。


(うっかりしてた! を忘れてた……!!)


ヤウーシュの決闘とは咆哮に始まり、咆哮に終わる。

その咆哮とは挨拶の様なものであり、咆哮されたら返吼をするのが礼儀。

それを欠くのは重大なマナー違反となるばかりか、恐怖で咆哮も出来ない臆病者『吼えず』だと見做されてしまう。

尚、事実。


『吼えず』とはヤウーシュ世界において、それだけで社会的信用の失墜する情けない行為。

サトゥーの社会的評価は、婚闘が始まる前に既に危機的状況を迎えていた。





まさか、そんな。

それが居合わせた群衆の感想だった。

カニ江の咆哮を無視して、サトゥーがカラーテの構えを取っている。


返吼をしない。

まさか怯えているのか? サトゥーは『吼えず』なのか?


だが群衆の脳裏に浮かぶ別の思考が、彼らを困惑させる。

そんな臆病者に婚闘を挑む筈がないという、ある種のカニィーエに対する信頼感。

カニィーエの見初めた戦士が『吼えず』な訳がない。


ならば、どうして?


「ほう、『ふるわず』ですか……大したものですね」


その時、観衆の中にいたひとりのヤウーシュが呟いた。

それは小さな声に過ぎなかったが、困惑への解答を欲していた周囲の元へ不思議と届いていた。


「決闘に際して返吼をしないのは、恐怖で縮こまる『吼えず』と、もうひとつ。

 戦う相手を敵とすら見なしていない……そんな圧倒的強者による『奮わず』があります。

 久しぶりに見ました……つまり戦士サトゥーにとって、カニィーエの如きは力を奮うに値しない。そう言いたい訳ですね」


そういう事か!

困惑を吹き飛ばす納得の解答に、観衆は互いの顔を見合わせ、頷き合った。

そして――


「「「キャアアアアサトゥー君、素敵ィィーーー!!!」」」

「「「サトゥーてめぇ余裕ぶっこいてんじゃねぇぞ死ねェーー!!」」」


絶叫。声援。怒号。

歓声が飛び交う中で、その中心に居るサトゥーが内心呟く。


(違うんだよなぁ……。奮わず、じゃなくて震えてんだよなぁ……)


そして、その正面にいるカニ江が獰猛な笑みを浮かべた。


「やだ……『奮わず』だなんて……そんなに私を期待させないで……。あぁん、もう我慢出来ない……行゛く゛わ゛よ゛ぉ゛ぉ゛!゛!゛」



戦闘開始。


カニ江が前に出た。

そして手を突き出す。


パーだった。


「……!?」


拳でも爪でもない。

手のひらを押し付けるような不可解な動き。

空手の受けをしようとしたサトゥーだったが、嫌な予感がして背後へと飛ぶ。


キィン、と金属音が響いた。

虚空を握り込んだカニ江の拳から、ブスブスと白煙が上がっている。


「今の……何の音?」

「んふ、受ければ分かるかも」

「ン拒否するゥ」


カニ江が再び動く。

次々とパーを繰り出しては、握る。

その度に甲高い金属音が響いた。


サトゥーは不可解な攻撃を必死で避けたが、そもそも体格が、そしてリーチが違う。

やがて回避が追いつかなくなり始めた。


「くそ!」


サトゥーは咄嗟に、近くにあった岩――サトゥーの胸の高さほど――の陰へと移動し、盾代わりにする。

それを直線的に追ったカニ江は岩を挟んで対峙すると――


「あらあらあらサトゥー君どこ行ったのかしらぁぁ!!?」


――岩に向かってパーを連打した。


「アラアラアラアラアラアラ!! アラァーー!」


カァンカァンカァンと甲高い音が連続する。


それが止んだ時、岩は高さが半分になっていた。

鋭利な断面を晒す現代アートが完成していた。


「即席にしては良い出来ね。銘は”我が愛しの”ってとこかしら?」


視線が通るようになり、サトゥーの姿を直視したカニ江が笑う。


「あら、サトゥー君みーっけ」

「……」


サトゥーはドン引きしていた。


カニ江の足元には、湯気をあげる多数の宝石が転がっている。

全て、たった今ものだった。


カニ江が岩にパーを当て、握る。

鋭い爪で岩が削り取られ、異常なまでの握力で圧縮され、原子配列が変化して結晶化。

そして出来上がった宝石が足元に転がり、地面の上でキラキラと光っている。


(死ぬやんけ……これ受けたら死ぬやんけ!)

「さ、サトゥー君……鬼ごっこはもうやめて――」


カニ江が現代アートを迂回してくる。

それに合わせてサトゥーも後退りした。


「――そろそろ真面目に、カラーテを見せてちょうだい?」

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