閑話「またとない機会」

カニ江がサトゥーと出会ったのは、偶然の出来事だった。



その日もカニ江は、多くの取り巻きを連れて道を歩いていた。

ぞろぞろとついて来るのは、屈強なヤウーシュの男たち。

誰も彼もがカニ江を女として求め、そして返り討ちにあった連中だった。

カニ江に勝てるでもなく、諦めるでもなく、ただ纏わりついてくる。


「いい天気だねぇカニィーエちゃん!」

「近所に良い感じのカフェが出来たんだけどさぁ、一緒行かない?!」


カニ江はその取り巻き達に、正直うんざりしていた。

視界に入ろうと、隙あらば目の前に回り込んでくる。

面倒なので視線を合わせまいと、横を向いた時だった。


ひとりのヤウーシュが歩いていた。

小柄で、弱そうな戦士だった。


カニ江は知っていた。

ああいう手合いは体格に見合うだけの実力しか持たず、下級で燻り、それでいてこちらを見つけるとネットリとしたイヤらしい視線を向けてくる。

その癖に言い寄って来る勇気も持たないばかり。


きっとアイツもそうなのだろう。


「「――――」」


刹那、カニ江とその戦士の視線が交錯する。


澄んだ瞳だな。

ふとそんな感想がカニ江の脳裏に浮かんだ。


だがそれがどうした? 

さぁ向けて来い、どうせお前もドロドロした欲望塗れの視線で私を見るんだろう。

そして見るだけで満足して、手を出そうとしない臆病者だ。

私に負けて、己の実力と向き合うのが怖いだけのなんだ。

だったら負けて尚、私に言い寄ってくる周囲の男の方が何倍もマシじゃないか。


そんな思考が浮かんだ刹那――


「――――」


――プイっと、相手が視線を逸らした。


澄んだ瞳のまま、何の感情も感じさせずに。

欲望も、欲求も、執着も。

何も無かった。無関心だった。


「……は?」


思わずカニ江は足を止めていた。

遅れて取り巻き達も足を止める。


「え、なに、どうしたの」

「あ、行く? カフェ行っちゃう感じ??!」


気が付けばカニ江は、その戦士に向かって歩き出していた。

取り巻きが何か言っているが耳には入ってこない。


やがて彼我の距離が詰まり、流石にその戦士もカニ江が己に向かって歩いている事を気取る。


「……? ……!?」


その戦士は困惑していた。

背後に自分以外がいないか確認してみたり、カニ江に進路を譲ってみたり。

だがその度にカニ江の進路がその戦士へと修正されるだけで、徒労に終わった。


そしてカニ江がその戦士と対峙する。


「あの……何か御用で……?」


男は困惑しながら、ただそれだけ言った。


カニ江は己が強く、そして性的魅力に溢れている事を理解している。

その自負もあった。

だからそんな自分が歩み寄ると、どんな相手であろうと男であれば嬉しそうに相好を崩すものなのだ。

ニコニコだとか、ニチャリだとか。


迷惑そうにされたのは初めての事だった。


「カニィーエちゃん、こいつがどうしたの?」

「ん? こいつこないだ、戦士登録所で暴れた……」

「もしかして中級戦士倒したとかいうサトゥーって、こいつの事か!?」


取り巻きの反応で、カニ江は目の前の男が誰なのかを把握した。

下級戦士サトゥー。

戦士登録の初日で、中級戦士を倒してのけた話題の新人。


ならばはあるだろう。

カニ江はサトゥーを指さしながら言った。


「貴方……私がデートしてあげる」

「「「えぇぇーー!?」」」


悲鳴に近い声をあげる取り巻き。

とくにひとりが『俺とのカフェは』とか叫んでいた。


サトゥーの事を気に入った訳ではなかった。

ただ、気に入らなかった。

カニ江にとって男とは、自分の魅力に振り回される存在であり、そうあるべきだった。


だから振り回してやろう。

その無関心そうな瞳に、執着の色を混ぜてやるのだ。

どこか適当な開放喫茶オープンカフェでお茶をして、含まれている筋肉増強剤とホルモン調整剤を摂取したらその場で状況開始オープンコンバット

適当に叩きのめしてから両足を掴み、ぐるんぐるんと振り回してやろう(ジャイアントスイング)。

そうして実力差を分からせれば、私のに取りつかれて翌日から取り巻きのひとりになっている筈。

あとは取り巻き内での序列争いになるが、もはやそうなれば興味もない。


ただカニ江の心に刺さった小さな棘が抜けて、それで終わり。

その筈だった。

なのに――


「謹んでご辞退申し上げますゥゥゥ……」


――断られた。

そればかりか――


御前おんまえおん失礼いたしますゥゥゥ……」


――体を丸め、前を見ながら後ろに進むという気持ち悪い動きをしながら、そのまま逃げるように去っていってしまった。


「……は?」


残されたカニ江は、ただ茫然とするしかなかった。

デートを断られるなど、初めての経験だったから。

理解出来ない光景に、同じく硬直していた取り巻きが我に返る。


「あ……あいつマジかよぉぉぉ!?」

「カニィーエちゃんからのデートの誘い断るとか有り得ねぇって!!」

「予定空いたじゃん! 俺とカフェいぐぇ゛――」


拳を鮮血に染め、カニ江はただ立ち尽くす。

その心に沸き上がるのは敗北感と、僅かに生まれていた執着心だった。





「あいつマジで何なの……あぁ、イライラしちゃう……」


その日、カニ江はサトゥーの事を待ち伏せしていた。

サトゥーの帰路で物陰に隠れ、サトゥーの仕事終わりを狙う。

邪魔になるので、取り巻きは全員置き去りにしてきている。


デートを断られた。

それはカニ江にとって酷い屈辱であり、誇りが傷ついていた。

自分は絶えず選ぶ側であり、選ばれる側ではない。

誇りを取り戻すには、デートを成功させサトゥーを自分に執着させるか、あるいはサトゥーからデートに誘わせた上で、それを断ってやる必要があった。

そうしなければ腹の虫が収まらない。


「……来た!」


サトゥーを見つけたカニ江は、物陰から飛び出す。

それを見たサトゥーは――


「げぇ!?」


――カニ江を見た途端に反転、逆走し始める。

全力疾走だった。


「ゲェって何よぉぉぉぉ!!?」


何だあの反応は。

何なんだあの反応は!

それが男がする、私に対する反応か!?

もう許さねぇからなヲイ!

カニ江の心を怒りが支配する。


「待ちなさぁぁぁぁい!!」


気が付けば追いかけっこが始まっていた。

逃げるサトゥー。

追うカニ江。


サトゥーが建物の陰へと回り込む。

それをカニ江は直線的に追った。

体重と速度を外殻の硬さに乗せて突進。

壁を粉砕し、距離を詰めてサトゥーに飛び掛かる。


「捕まえたわよォォ!!」

「『小手返し』ィィィ!!」

「あ゛ぁぁぁぁん!?」


びりり、という電気が走るような手首の痛みと共に、気が付けばカニ江は仰向けで倒されていた。

慌てて飛び起きたカニ江が見たのは、悲鳴を上げながら走り去っていくサトゥーの後ろ姿だった。





夜。


「よし、そろそろだな」


暗闇に紛れ、ふたりのヤウーシュが物陰に潜んでいた。

彼らが監視しているのは1本の道。

彼らは逃げ場のないその道にサトゥー――仕事を終えて帰路に付いている――が現れた段階で、反対側に潜んでいる仲間と共にサトゥーを囲み、暴行を加える計画を立てていた。

ひとりが質問を口にする。


「……本当にやるのか?」

「何だお前、ビビってんのか? カラーテなんて嘘に決まってんだろ。4人で掛かれば楽勝だよ」

「そうじゃない。サトゥーを襲ったのがバレたら、カニィーエさん怒らないか?」

「今さら何言ってんだ。あの吼えずを痛めつけて、自分から辞退させるんだよ! カニィーエちゃんに僕は相応しくないですぅ、ってな」


彼らはカニ江の取り巻きだった。

だが最近、彼らは不満をため込んでいた。

近頃のカニ江はどういう訳かあの新人戦士に執着し、自分たちに会おうとすらしてくれない。

だからきっとあの新人戦士の口から直接、カニ江の元を去る旨を説明させれば、きっと全ては元に戻る筈。

そう考えていた。何より――


「サトゥーの野郎……ブッ潰してやる!」


――嫉妬だった。

自分達よりもカニ江の寵愛を受けているのが許せず、しかもそれを無下にしているのがもっと許せない。


殺しはしない。

殺しはしないが……。


「まぁ手足の3、4本くらいいでやるか。……お、来たな」


襲撃地点にサトゥーが姿を現す。

何かに怯えるように、周囲にキョロキョロを視線を走らせていた。


「来たぞ、準備はいいな?」

≪………………≫


反対側の仲間へと通信を入れる。

しかし応答が無かった。


「おい何してる……! 応答しろ……!」

≪………………≫

「くそっ繋がらねぇ……まぁいい、行くぞ」


そう言って、横にいた仲間へと視線を向ける。


誰も居なかった。

ついたった今まで会話していた仲間の姿が消えていた。


「……え?」


直後、彼は首に何かの感触を感じた。


手だった。


雄々しい手が生えて、彼の首を掴んでいた。

その手はすぐ隣にある、夜の闇の中から生えていた。


「何してるのかしらぁ……?」


声がした。

カニ江の声だった。


「サトゥー君を襲うつもりだったのかしらぁ……?」


答えられなかった。

闇の中から叩きつけられる濃密な殺気に酔い、彼は吼えずになっていた。

そしてただ一言、絞り出した。


「……ユルシテ」


その言葉を残し、彼も闇の中へと音もなく引きずり込まれていった。

そして何も知らないサトゥーだけが、誰に襲われる事もなく道を通り過ぎていく。


翌日、近所の病院に重体のヤウーシュ男性4名が運び込まれる事となったが、それを知る者は少ない。





「許さない許さない許さない……」


その巨体を丸め、カニ江が物陰に潜んでいる。

カニ江とサトゥーの追いかけっこは続いていた。


お互いに手口は過激化し、遂にカニ江は氏族データバンクのハッキングまで実行。

目的は勤怠データを調べ、サトゥーの動向を把握する事だった。

対しサトゥーは、偽の勤怠表を提出する事でこれを回避。

だがカニ江の執着がそれを凌駕する。

街角の防犯カメラを乗っ取る事で、視覚的にサトゥーの潜伏場所を見つけ出していた。


「……居た!」


その日、朝から待ち伏せをしていたカニ江は、そのスキャナーで遂にサトゥーの姿を捕らえていた。


「んふふふふふ西セラ製3303式使ったって無駄なのに……かわいいサトゥー君……」


サトゥーはカニ江の襲撃に備え、街中でも光学迷彩を使用する様になっていた。

ただ資金力の問題で、カニ江の使用しているスキャン装置の方が高性能だった。

残念ながらカニ江の実家はお金持ちだった。


近くまで引き寄せてから、カニ江が飛び掛かる。


「さぁサトゥー君私とデートよォォォォ!」

「あ゛あ゛あ゛『一教』ォォォ!!」

「ん゛ひぃぃぃぃ!?」


何度目だろうか。

もう大分、慣れてしまった。

電気の流れるような痛みと共に、気が付けば地面に倒されている。


そして当のサトゥーは既に逃げ去って、近くにいない。


「…………」


ごろんと仰向けになる。

視界いっぱいに広がる赤茶けた空を眺めたまま、カニ江は考えた。


もはや手段と目的が入れ替わっている。

サトゥーを自分に執着させる為に始めたのに、いつの間にか自分がサトゥーに執着していた。


寝ても覚めてもサトゥーの事を考えている。

いつだって自分の中にサトゥーがいる。

そして電気の走るような、どこか甘いこの痛み。


「もしかして……」


それらを引き起こす心理的現象の呼び名を、カニ江は知識として知っていた。


「これが……恋……?」


カニ江は恋と言うものをした事がない。

絶えず男に囲まれてはいたが、その中の誰かを好きになった事など無かった。


下級戦士サトゥー。

否、既に下級ではない。

戦士として頭角を現したサトゥーは、既に異例の早さで中級へと昇格している。

困難な任務を積極的に引き受け、氏族長からの評判も高いと聞く。

もはや戦士としての素養に疑う余地はないだろう。


その実態はサトゥーがカニ江を避けたい余り、人気のない長期出張を優先的に引き受けた結果なのだが、そんな実情を知る由もない。


「そう……私……」


カニ江がゆっくりと立ち上がる。

体に付着していた砂塵がパラパラと零れ落ちた。


「サトゥー君の事が……好きになっちゃったのね……」


その体からは何かが放出されている様だった。

近くに誰かが居たのなら、きっと幻視しただろう。


「んふ……」


周囲の光景を歪めながら、ゆらゆらと空に立ち上っていくカニ江の恋心、その炎を。





その日以来、カニ江はサトゥーへの付き纏いを止めた。

サトゥーは一安心だと胸を撫でおろしたが、むしろ事態は悪化していた。


カニ江が正直に、サトゥーにその心中を吐露してきたのだ。

サトゥーは弁舌で必死に、これをやんわり拒否した。

だが恋する乙女はめげない。

ひたすら愚直に突撃を繰り返し、二人の関係性が周囲に認知された頃、ついにカニ江は次の段階に進んだ。

それが婚闘だった。


婚闘とて無条件に申し込める訳ではない。

周囲の理解と後押しが必要だった。

だが婚闘を宣言しようとすると、サトゥーは巧みに理由をつけてその場から逃げてしまう。

だから場所を作る必要があった。

周囲に大勢の証人が居て、確実に婚闘を宣言し、実践できる場所。


情報が入ったのは、そんな時だった。

サトゥーが惑星チッチチチッチッチチッチで氏族長肝入りの任務を成功させ、報告の為に帰還すると言う。

カニ江が微笑む。

またとない機会だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る