第048話


 しばらくすると、一人の男性が足早にこちらへ向かってきた。


「山中君」


「篠原部長」


 篠原部長が小走りに駆け寄ってきた。


 息が弾んでいる。


「いろいろとすまなかったね。海奏は?」


「今検査を受けてます。救急車の中でも、かなり痛がってました」


 それから俺は部長に、海奏ちゃんと何故知り合いなのかを手短に説明した。


 電車の中で痴漢に間違われたこと。


 スーパーのレジで再会したこと。


 痴漢やストーカーから彼女を守るという体で、俺が勝手に一緒にいること。


 まあ守るというのもおこがましいが。


「そうだったんだね。いやー、全然知らなかったよ。海奏も全く話してくれなくてね。ただね、一度だけ訊かれたことがあったんだ」


「? 何をですか?」


「『会社の経理の若い男の人で、下の名前が暁斗さんっていう人、いる?』って訊かれたんだよ。山中くんのことだねって話はしたんだけど、どうして? って訊いても『そう。なんでもないよ』って、その時はそれで話が終わってしまったんだけどね」


「そうだったんですね」


「でもそっかぁ……海奏は昔から痴漢によく合うし、ちょっと前にコンビニでバイトをしてたときもいろいろあったから、心配してたんだ。山中君、ありがとね」


「いえいえ、お礼を言わないといけないのは、多分俺の方なんです」


「君たちは、その……付き合ってるのかい?」


「とんでもないです。全然そういう関係じゃないですよ。ただ俺が、なんて言うか……海奏ちゃんがあれだけ可愛いから、アイドルみたいな感じで応援っていうか推し活っていうか……ちょっと変なんですけど、そんな感じなんです」


 ちょっと説明がムズいのだが……俺は思っていることを正直にそう話した。


「? オシカツっていうのが、ちょっとわからないんだけど……まあ友達みたいな感じなのかい?」


「えっと……まあ、そんな感じです。決して変な関係じゃありませんから」


 俺は焦り気味にそう説明する。


 相手は俺のビッグボス、経理部長様だし。


「うん、何を持って変な関係っていうかは別として……わかった。とにかくこの件でも本当に助かったよ。山中君がいなかったら、もっと悪い事態になってたかもしれないしね」


「どうでしょうか。でも……あれだけ痛がっていたので、早めに判断してよかったのかもしれません」


 篠原部長とそんな話をしていると、男性の看護師らしき人がやって来て「ご家族のかたですか?」と声をかけてきた。


「山中くんも一緒に聞いてくれるかい?」


「あ、はい」


 俺も一緒に話を聞く。


「検査の結果ですが、やはり虫垂炎で間違いなさそうです。おそらくそれなりの大きさだと思われますので、緊急手術で摘出することをお勧めします。幸いなことに執刀医もいますし、手術自体はそれほど難しいものではありません」


「そうですか。ではお願いできますか?」


「わかりました。お嬢さん、よっぽど我慢されてたみたいですね。もう少し遅かったら虫垂が破れていたかもしれなかったです。救急車を呼んでもらって正解でした」


「そうだったんですね……よかったです」


 部長はホッとした表情で、俺と顔を見合わせる。


 やっぱり救急車を呼んで正解だった。


 もう少しおそかったら、大変なことになっていたかもしれない。


 それから部長は受付で説明を聞きながら、海奏ちゃんの手術と入院の手続きをしていた。


 俺は本当は海奏ちゃんがなぜ「定岡海奏」じゃないのかを聞きたかったのだが……それはとりあえず後回しだ。


 俺はひとつ、部長に提案してみることにする。


「部長、ちょっと提案があるんですけど」


「ん? なんだい?」


「俺はこの間、海奏ちゃんの高校の学園祭に呼ばれて行ってきたんです」


「え? そうなの? 私は……結局1回も行けなかったなぁ……」


 部長は残念そうな声を漏らす。


「そうなんですね。それで……その時に海奏ちゃんと仲のいい友達とも、知り合いになりまして」


「……その友達の子って、知奈美ちゃんのことかい?」


「ご存知なんですか?」


「ああ。海奏の昔からの親友だからね。海奏と一緒に3人で食事に行ったことも何度かあるんだ。二人で会社の前に来てもらったりしてね」


「そうだったんですね」


 だから知奈美ちゃんは、俺の会社を知っていたわけだ。


「それで……海奏ちゃんが入院ってなると、着替えとかを持ってきてもらう必要があると思うんです。それを俺から知奈美ちゃんに頼んでみようと思うんですけど……どうでしょうか?」


 篠原部長には新しいパートナーがいると聞いている。


 入籍をしているかどうかは分からないが……その人は海奏ちゃんの実の母親ではない。


 海奏ちゃんも、その人に着替えとか持ってきてもらうのは気が引けるんじゃないだろうか。


 俺はそう思った。


 それに部長だって忙しいし、海奏ちゃんだってお父さんに下着とかを持ってきてもらうのは嫌かもしれない。


 そう考えると……俺は知奈美ちゃんが受けてくれれば、一番適任のような気がしたのだ。


「うーん……こういうとき、母親がいないと困るよね。私が海奏の着替えとかを持ってくるよりは、女性の方がいいかもしれないし……それじゃあ山中君、知奈美ちゃんにちょっと頼んでみてもらえるかな?」


「わかりました。まあ彼女が引き受けてくれるかどうかはわかりませんけど、連絡してみます」


 俺は待合スペースから外に出て、Limeの音声通話で知奈美ちゃんに連絡を取った。

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