第047話


 俺はパニックになっていた。


 だめだ、落ち着け俺。


 必要なものは……


「海奏ちゃん、保険証ってある?」


「はい……クローゼットの右の引き出しの中に」


 俺は海奏ちゃんが指差すクローゼットの引き出しの中から、保険証を出した。


 あとは……部屋の鍵がいるな。


 あとはなんだ? あ、スマホもいるか?


 それから……大事なことを訊かないと。


「海奏ちゃん、ご両親に連絡をした方がいいと思うんだけど……ひょっとして俺の会社の篠原部長は、海奏ちゃんのお父さん? それとも親戚かなにか?」

 

 海奏ちゃんの目が少しだけ見開いた。


「お父さんです……今まで黙ってて……ごめんなさい」


 海奏ちゃんは泣きそうな声でそう呟いた。


 やっぱり……そうだったんだな。


「それはいいんだ。スマホも見られなかったんだね?」


「ごめんなさい、多分マナーモードを解除するのを忘れてたんだと思います」


 海奏ちゃんが顔をしかめながら、そう口にした。


「そうなんだね。ところで、海奏ちゃんって今17才? 18才?」


「17です」


「わかった。とにかく部長にも来てもらわないと」


 救急車のサイレンが聞こえてきた。思ったより早く来てくれて助かった。


「海奏ちゃん、スマホ借りていい? 俺が部長に連絡するから」


「……すいません……テーブルの上に……」


 部屋のローテーブルを見ると、財布と鍵らしきものとスマホが置いてあった。


 俺はスマホを海奏ちゃんの顔に向けて顔認証でロックを解除する。


「えーっと……『お父さん』とかで登録してる?」 


「はい……『お父さん』です」


 俺は電話帳から「お父さん」を選んで、コールボタンを押した。


 4-5回のコールのあと……



「もしもし? 海奏か?」


「篠原部長、すいません、経理課の山中です」


「……えっ? 山中君? どうして……」


「海奏ちゃんのスマホを借りて連絡してます。詳しい話は後でさせて下さい。緊急事態です。海奏ちゃんが腹痛を訴えていて、虫垂炎の可能性があります。これから救急搬送します」


「な、なんだって! そうなのか?」


「はい。これから俺も救急車に同乗するんですが……海奏ちゃんは未成年なので、もし手術ってなったら、親の承諾書が必要だと思うんです。搬送先が決まったら救急車の中からまた電話しますので、大至急病院へ来てもらえませんか?」


「う、うん、わかった! 海奏の様子はどう? 大丈夫なのか?」


「とても痛がっています。熱はなさそうですが、顔色が悪いです」


「そうか……わかった。とりあえずすぐに車で病院へ行けるように、準備しておく。また連絡をくれるかい?」


「はい、必ず電話しますから」


「すまない。山中君、よろしく頼むよ」



 ちょうど部長とそこまで話したところで、ピンポーンと呼び鈴がなった。


 救急隊員の人たちだろう。


 思ったより早く来てくれて助かった。


「海奏ちゃん、救急隊の人たちが来たから行くよ。最低限必要なものは、俺が持っていくから。部屋の鍵は……これだよね?」


 俺はテーブルの上の鍵を掴んで海奏ちゃんに見せると、彼女はコクリと頷いた。


 相当具合が悪そうだな。


 玄関に向かってドアを開けると、やはり救急隊員の人たちがストレッチャーを持って立っていた。


 俺は事情を説明し、中に入ってもらう。


 海奏ちゃんはストレッチャーにゆっくり乗せられ、そのまま部屋の外へ運ばれた。


 俺も海奏ちゃんの最低限必要なものを手に持って、一緒について行く。


 救急車に乗り込むと、救急隊員の人が無線で連絡を取った。


 幸いにも搬送先はすぐに決まった。


 高橋総合病院というところで、おそらくここから15分ぐらいだろう。


 救急車のサイレンが鳴り響く中、俺は篠原部長に電話をした。


 ほぼノーコールで部長が出た。


 俺が搬送先を伝えると、すぐに車で向かってくれるそうだ。


 俺は海奏ちゃんの横に座って、顔を覗き込む。


 救急車が少し揺れるせいもあるのか、表情が苦しそうだ。



「頑張って、海奏ちゃん。もうじき着くからね」



 俺は……思わず海奏ちゃんの手を握った。


 本当はそうするべきじゃなかったのかもしれない。


 でも俺は、少しでも彼女の痛みを和らげてあげたかった。


 ひとりじゃない。


 俺がついてる。


 頑張れと……そう伝えてあげたかった。



「……暁斗さん……」



 彼女は俺の手を握り返してきた。


 お腹が痛いせいもあるんだろう。


 それでも……何かを確かめるように、海奏ちゃんは俺の手をしっかりと握り返してきた。


 それから救急車は驚くほど早く、病院に到着した。


 10分もかからなかったんじゃないか?


 海奏ちゃんは救急車から病院のストレッチャーに移され、そのまま中へ運ばれた。


 俺は対応してくれた看護師さんに、状況を説明する。


 海奏ちゃんはこれからすぐに検査をしてもらうようだ。


 俺は緊急外来の受付で、手続きを済ませた。


 俺は待合スペースの椅子に座って待っていた。


 俺は自分の右手を見つめていた。


 海奏ちゃんの柔らかい手の感触が、まだ残っていた。


 何かにすがるような……海奏ちゃんの思いが俺に伝わってくるような、そんな感触を俺は一人で思い出していた。

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