第049話


 ラッキーなことに、知奈美ちゃんはすぐに出てくれた。


「暁斗さん、どうしたんですか? やっぱりウチの下着が見たかったんですよね。もーしょうがないなぁー、じゃあ今度はちょっとセクシーなやつを」


「お前のパンツより重大事項だ。知奈美ちゃん、緊急事態。助けてほしい」


「……海奏になにかあったんですか? 暁斗さん」


「ああ。海奏ちゃん、急性盲腸でこれから緊急手術なんだよ」


「ええーーーー!!」


 知奈美ちゃんの絶叫が俺の鼓膜に届いた。


 俺はスマホを耳から遠ざける。


 俺は事情を説明し、海奏ちゃんの着替えを選ぶ手伝いをして欲しいと頼んだ。


 知奈美ちゃんは二つ返事でOKしてくれた。


「ウチ、海奏の部屋にお泊りしたこともあるから、どこに何が入ってるか大体わかると思う。だから任せて!」


 そして知奈美ちゃんも、これから病院へ来てくれるそうだ。


 ありがたい。


 知奈美ちゃん、めっちゃいいヤツだな。


 俺はちょっと見直してしまった。


 俺が待合スペースに戻ると、篠原部長が椅子に座っていた。


 俺は横に腰掛ける。


「知奈美ちゃんに連絡がつきました。着替えの件、任せてほしいそうです。それから彼女も、これから病院に来てくれるそうですよ」


「そうか、それは助かる。ありがとう、山中君」


「いえいえ。知奈美ちゃんには、なにか美味しいものをご馳走してあげないといけないですね」


「ははっ、そうだね」


 俺の軽口が、部長の緊張を和らげることができればいいのだが……俺はそんな思いだった。


 しばらくすると、海奏ちゃんがストレッチャーに乗せられて運ばれてきた。


 すでにブルーの手術衣に着替えていた。


 もうこれからすぐに手術が始まるらしい。


 全身麻酔の腹腔鏡手術。


 執刀するのは経験豊富なベテランの先生とのことだ。


「お父さん……暁斗さん……」


 海奏ちゃんは、俺と部長に弱々しく声をかける。


「海奏、すぐに終わるから。頑張れよ」

「海奏ちゃん。全身麻酔だから痛くないし、目が覚めたら全部終わってるから。頑張ってね」


 部長も俺もそう声をかけた。


 海奏ちゃんはひとつ頷いて「頑張ってきます」と硬い笑顔を俺たちに向けてくれた。


 海奏ちゃんを乗せたストレッチャーは、そのまま手術室へ運ばれていった。


 そして手術室のドアが閉まった。


「部長、どれくらい時間がかかるんですかね?」


「大体1時間半ぐらいらしいよ。何も問題なく終わってくれればいいんだけど」


 篠原部長は閉められた手術室のドアを、心配そうに見つめていた。



 ◆◆◆



「はい、これ」


「あ、ありがとうございます」


 篠原部長は自販機でコーヒーを買ってきてくれて、1本俺に渡してくれた。


 俺と部長は「手術中」の赤いランプが灯った手術室のドアの前に、横並びで座る。


「なにもないといいんだけどね」


「大丈夫ですよ。今の医学では、盲腸の手術はそれほど難しくないはずですから」


 そうは言っても、父親としては心配だよな。


「部長が海奏ちゃんのお父さんってこと、実は今日まで知りませんでした」


「……そうなんだね」


「俺、海奏ちゃんのお母さんの飛行機事故のことは聞いていたんですよ。それでネットで調べて……定岡っていう名前だとばっかり思ってました」


「ああ、なるほど。そういうことか」


 部長は缶コーヒーを一口飲んだ。


「実は私と亡くなった妻は、ちょっと特殊なケースでね。ていうか、妻の方が特殊だったんだけど……結婚して名前を変えるのは、絶対嫌っていう人だったんだよ」


「……夫婦別姓ってことですか?」


「そうそう。それで夫婦別姓ていうのが条件で結婚したんだ。つまり事実婚だね」


 なるほど、まあそういうカップルがいても不思議じゃない。


「それで海奏が生まれたんだけど、通常そういう場合子供は母親の姓になるんだ。それで私が認知するっていう形でね。だから海奏は山中くんの想像通り、以前は『定岡海奏』だったんだよ」


「そうだったんですね」


「ああ。ところが妻は事故で亡くなってしまった。それで私と海奏だけになって……父と娘が違う姓っていうのも、これからいろいろ支障がでるだろうと思ってね。海奏が中学に入るタイミングで篠原姓に変えたんだ。家庭裁判所の承認とかが必要で、大変だったんだけどね」


 なるほど、そういう事情だったんだ。


 完全に俺のミスリードだったな。


「海奏から聞いてるかもしれないんだけど、私は今新しいパートナーと住んでいるんだ。今いつ入籍するか、話し合っているところなんだけどね」


「はい、それは海奏ちゃんから聞いてました」


「海奏は私に気を使ったんだろうね。『ちょっと早いけど、一人暮らししたい』って言いだして……私は本当はもう少し先にしたかったんだけど、パートナーの相手が失職してしまってこういう形になってしまった。海奏には申し訳ないと思っているよ」


「どうなんでしょうか。俺には海奏ちゃんは、それなりに毎日楽しくやっているように見えますよ」


「そうなのかい? だったらいいんだけどね。まあそんなことで山中君、これからも海奏のことよろしく頼むよ」


「え? は、はいっ、こちらこそです」


 俺は部長に向き直って、座ったままペコリと頭を下げた。


 なんかちょっと変な感じだな。


 すると廊下の向こう側の方から近づいてくる人影が目に入った。


 サラサラの黒髪ツインテールを揺らして、足早に歩いてくる美少女。


 知奈美ちゃんだ。

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