第023話


 俺はFラン大学に入学したときから「これ、将来やばいんじゃね?」と思い始めて、一応大学ではかなり勉強した。


 そのおかげか、就職して1年目の年に税理士試験の科目別試験で、簿記論の試験をパスすることができた。


 しかし財務諸表論は2年連続で落ちている。


 税理士試験は、簡単に言うと5科目の試験に合格しないといけない。


 1年で全て合格する必要はなく、何年かに分けて合格しても構わない。


 また一度合格した科目は一生有効だ。


 なので人によっては10年以上かけて税理士試験に臨む受験者もいる。 


「実は俺の名古屋の実家が、オヤジが個人でやってる税理士事務所なんですよ。だからオヤジから『できれば資格取っとけ』とか簡単に言われたんですけど……正直もうやめたいですよ」


「そうだったの……でも偉いわね。税理士資格だったら、もちろん資格手当は出るわよ」


「でも資格を取ってからですよね? できれば科目別合格でも手当出してほしいッスよ」


 俺のオヤジが税理士試験に合格したのは、31歳の時らしい。


 やはり会社で働きながら、毎年1-2科目ずつ試験を受けていたようだ。


 そして税理士試験に合格した後、知り合いの税理士事務所に転職。


 10年以上勤めたあと、暖簾分のれんわけのような形で独立したらしい。


 なかなか働きながらの試験勉強は難しい。


 学校へ行くわけでもなく独学で勉強しているのでなおさらだ。


「でも税理士の資格があれば、いい条件で転職もできるんじゃない? 私が言うのもなんだけど」


「……本当に課長が言うのもなんですよね。でも、そうッスね。もし合格したらですけど」


 俺たちがビールを飲み終わったタイミングで、注文したパスタが運ばれてきた。


 セットのサラダも一緒だ。



「ところで……これは上司としてってことじゃなくて、単なる私自身の好奇心からなんだけど」


「はい、なんでしょう」


 これが今日の本題っぽいな。


「単刀直入に訊くわね。山中君、財務課の安川さんと付き合ってるの?」


「ブフォッ」


 俺はパスタが気管に入って咳き込んでしまった。


 慌てて水を飲む。


「ハァー、もう……びっくりするじゃないですか。菜々世……安川と? 付き合ってなんかないですよ」


「そうなの? でもこの間、私見たのよ。二人が仲良さそうに歩いてるところ」


「え? いつですか?」


「いつだったかな……先月の、どこかの日曜日だったと思う」


「あー」


 菜々世と映画を見に行ったときだな。


「私もあのとき買い物に出て、ちょうどあの辺にいたのよ。そしたら向こうから、山中君と安川さんが二人が歩いてくるじゃない」


「そうだったんですね。だったら声をかけてくれればよかったじゃないですか」


「そんなことできないわよ。そしたら……もう一人高校生ぐらいの女の子が現れて、急に安川さんが山中君の腕をとったから」


「うわっ、そこまで見られてたんですね」


「そうそう。で、私も『なにこれ? 修羅場?』って思って見てたんだけどね」


 俺はため息を吐くことしかできなかった。


「菜々世……安川とは、たまたま映画を二人で観に行った帰りだったんです。付き合ってるとかじゃないですよ」


「そうだったの。じゃあそれ以上のことは訊かないわ」


「そもそも大悟……与那嶺が安川にあからさまにアプローチしてますからね。さすがに俺は、ナイですよ」


「あー、たしかに与那嶺くん、全然隠そうとしてないわね」


「そうなんです。でもそれが逆に菜々世には重いみたいで」


「あーなるほどね……うん、わかった。じゃあこの話はここで終わりってことで」


「そうしてもらえると助かります」


 俺は食後のコーヒーで、このちょっと苦い話を飲み込んだ。




「ごちそうになりまーす」


「はいはい、どういたしまして。こっちが無理言って誘ったんだしね」


 会計を終えて店から出てきた岩瀬課長に、俺は元気よくお礼を言った。


 もちろん最初から奢ってもらう気満々だった。


 ビール2杯を飲んだ課長は、頬を薄くピンク色に染めている。


 それほど酒は強くないと聞いていた。


 よく見ると首筋までピンク色で、ちょっとエロい。


 二人で歩いて駅まで歩いて行く。


 途中歩道工事中の所があったので、車道へ足を踏み出したところ……


「キャッ」


 ヒールを履いていた課長が、バランスを崩した。


 倒れそうになったところを、俺が支える。


 課長が俺の腕を掴んだ。


 そのときに、課長の豊満な胸が、俺の左腕にムギュッと当たる。


 うわっ……すごい重量感。


「ご、ごめんなさい」


「大丈夫ですか? もしかして酔ってます?」


「酔ってはいないわよ。これ、ちょとヒールが細いやつだから」


 課長は靴のせいにしていたが……やっぱり酒に弱かったようだ。


「課長。そんなに酒が弱かったら、デートの時大変じゃないですか?」


 俺はちょっと探りを入れる。


「デートする相手なんかいないわよ。もう何年も」


「え? そうなんすか? 意外です」


「もう熟女って言われる年だし」


「またそれですか?」


 俺も課長も笑った。


「今度山中くんに、映画でも連れてってもらおうかしら」


「いいですよ、大歓迎です。オゴリですよね?」


「あー、そうなっちゃうか。だったらやめとくわ」


「なんでですか。課長、高給取りじゃないですか」


「だれが高給取りよ! 残業代もつかないのよ。私のほうこそ給料上げてほしいわよ」


 そうなのか?


 課長レベルでも、そんなにもらってないとは……やっぱり転職を考えたほうがいいかもしれない。


 少しほろ酔いの俺と課長は、そんな感じで楽しく駅までの道を歩いていった。


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