第022話


「そういえば課長って、この路線の沿線でしたね」


 俺は車内で隣りにいる課長にそう訊いた。


「そうなの。うちの会社に転職した時に引っ越せばよかったんだけど……なんだか面倒くさくてね」


「そうなんですね。いつもこの時間の電車なんですか?」


「ううん、もう一本あとのやつよ。今日はたまたま駅に早く着いたから、そのまま着た電車に乗ったんだけど……こんな目に遭うとはね」


 岩瀬課長は、小さくため息をつく。


「やっぱり女性って、痴漢にあったりするんですね」


「そうねぇ……昔は私も結構あったけど、今回は久しぶりにやられたわ。ハァー……どうせ熟女だし」


 朝からかなりダメージが大きかったようだ。


 課長があからさまにやさぐれている。ちょっと可愛い……。


「課長が熟女とか、とんでもないですよ。十分『おねえさん』の範疇です」


「そ、そうよね? まだ大丈夫だよね?」


「余裕ですよ。よかったら俺とデートしてください」


「な、何言ってるのよ……ふふっ、でもそう言ってもらえてちょっと嬉しいわ。お給料上げとくわね」


「マジすか?」


「ウソよ」


 課長はそう言って嬉しそうに笑った。


 機嫌が直ってくれてよかった……俺もほっと息を吐いた。



 ◆◆◆



 今日も仕事がヒマな一日だった。


 時刻は夕方の4時。


 俺は余った時間で、メールボックスの整理や書類の整理をしていた。


 するとポケットのスマホが振動した。


 俺はスマホを確認すると……


「あれ? 課長からだ」


 スマホの通知画面に「岩瀬課長」と表示されている。


 課長とはLimeは交換していないから、これは携帯番号へのショートメッセージだ。


 俺は課長の席に目をやると……空席だ。


 次に壁にかかっている「予定ボード」に目を移す。


 営業担当者と課長以上の社員の予定が、そこには記入されている。


 岩瀬課長は……3時から外出で「直帰」となっていた。


 つまり……外出先からのメッセージで、今日は会社には戻ってこない。


 俺はスマホをタップして、ショートメッセージを確認する。



 岩瀬課長:今朝のお詫びもかねて、今夜軽く夕食でもどう? ちょっと訊きたいこともあるし……。



 おおっ、岩瀬課長から晩飯のお誘いだ。


 これはゴチにならないとな。


 でも……これは課長とのサシ飯だよな? それに訊きたいことって何だ?


 それに今日は海奏ちゃんのシフトの日なので、夜10時にはスーパーナツダイへ行かないといけない。


 でもそんなに遅くはならないよな?


 俺はちょっと逡巡したが、結局「是非行きたいです!」とメッセージを返していた。




 課長が指定してきた場所は、俺と課長の通勤沿線沿いのイタリアンレストランだった。


 俺は初めて行く場所だったが……店の中に入ると既に課長が座っていて、俺を見つけると「山中君、こっち」と手を振ってくれた。



「すいません、お待たせして」


「大丈夫よ。私も今来たところだから」


 俺も課長もまずビールを注文した。


 それから二人そろってメニューを開く。


「突然誘って、ごめんなさいね。私もたまたま外出直帰だったから、どうかなと思って」


「いえいえ、大歓迎ですよ。どうせ暇ですし」


 とは言っても、あんまり遅いのは困るが。


「そう、よかったわ。ここのパスタは美味しいわよ」


 そう言って課長はおすすめのパスタを教えてくれた。


 俺はあさりときのこと明太子のパスタのセット、課長は揚げ茄子とベーコンのトマトソースパスタのセットを注文した。



「仕事の方はどう? 問題ない?」


「問題ないって思いたいですけど……ちょこちょこミスをして、槙原主任に怒られてます」


「あはは、そうみたいね。でも今まで大きなミスはしてないでしょ? 槙原くんも褒めてたわよ。多少のミスはあるけど、仕事は早いって」


「マジっすか? 主任がそんなこと言ってくれるなんて、想像できないですよ」


「本当よ。だって月末近く以外は、山中君残業してないじゃない? ここ何年か売上は横ばいだけど、金額の小さい案件が増えてるからその分経理の処理件数は随分増えてるわよ。それでも時間内に終わっているっていうのは、処理スピードが早い証拠よ」


「そんなもんスかね……確かに取引金額は、小さいのが多くなってますね」


「そうなの。それがうちの会社の問題なんだけどね。営業も頑張ってるみたいだけど、なかなか厳しいみたい。大口の取引がいくつか取れれば、一番いいんだけど」


「正直もうちょっと給料上げて欲しいっすよ。多少の残業でもいいですから」


「まあ残業は厳しいわね。社長からも間接部門のコストは抑えてほしいって言われてるし」


「ですよね……」


 まあこの時代、なかなか厳しいのはわかる。


「時間に余裕があるんだったら、資格の取得でも目指してみたら? 資格手当もつくわよ」


「はい、それもやってるんですけどね。なかなか道は遠いです」


「そうなの? 何の資格?」


「一応税理士の資格を目指してます」


「え? そうなの? すごいじゃない」


「凄くないですよ。めちゃめちゃハードル高くて……必要な5科目中、簿記しかクリアできてないです。来月財務諸表論の試験なんですけど……これでもう3回目ですよ」


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