第021話


「最近暑くなってきたなぁ。それに……海奏ちゃんがいない通勤電車なんて、ただの苦行だ」


 俺は朝の電車の中で、心のなかでそう愚痴る。


 今日海奏ちゃんは校外学習で現地集合らしく、逆方向の電車に乗っているはずだ。


 その話は昨日の夜、スーパーナツダイから一緒に帰る時に海奏ちゃんから聞いていた。


 なんでも郊外の歴史資料館へ行くらしい。


 校外学習っていう言葉自体、懐かしいな。


 俺が高校の時、校外学習ってどこにいったっけ?


 たしか地域のゴミ焼却場だったような……まあそんなことはどうでもいい。


 

 俺は海奏ちゃんといつも一緒に乗る電車より、もう一本遅い電車に乗っていた。


 もともと俺が海奏ちゃんに出会う前に、乗っていた時間の電車だ。


 海奏ちゃんのいない車内は退屈だ。


 時折恥ずかしそうに俺を見上げる、あの美少女がいない。


 あーもう帰りてぇ。


 

 俺はいつも海奏ちゃんが陣取るドア横のスペースに目をやる。


 今日そこには、スーツを着た別の女性が俺に背を向けて立っていた。


 ふんわりとしたショートボブの後ろ姿。


 俺はその女性をなにげなく見ていた。


 美人かな?


 うーん、是非正面から拝見したい。


 そんなことを考えていたのだが……


「ん?」


 俺がなにげなく彼女のヒップに目を落としたとき、隣の男の手の甲が女性のスカートに軽く触れていた。


 俺はその男の顔に目をやる。


 そいつはグレーのパーカーを着ていて、俺からは後ろ姿しか見えなかったのだが……


 間違いない!


 こいつ、この間の痴漢野郎だ!


 俺はその男の手をもう一度見ると、今度は手のひらで女性のお尻を触りだした。


 俺の全身の沸騰した血液が、一気に頭に上昇してきた。


 ふざけんなよ、この痴漢常習犯が!


 今日こそ、とっ捕まえて警察に突き出してやる!


 俺はもう反射的に前にいた乗客を一人押しのけ、女性のお尻を触っている痴漢野郎の手をグッと掴んだ。


 よっしゃ、現行犯だ!


 てめえ、もう逃げられないぞ!


 俺がそう叫ぼうとしたその瞬間……俺のその掴んだ手に激しい痛みが走る。



「いてててっ!」



 そして次の瞬間、俺の手首が物凄い力でひねり上げられた。


 俺は激痛のあまり、またしてもその痴漢野郎の手を離してしまう。


 そしてその女性はそのまま俺の手首をひねり上げ、自分の肩の高さまで持ち上げると……



「こいつ、痴漢よっ!!」


「へっ?」


 

 デジャブ感120%。


 

 ところが……その女性は俺の顔を睨みつけたあと、その表情が瞬時に驚愕へと変わる。



「や、山中君……?」


「……岩瀬課長?」


 

 その瞬間、駅に着いた電車のドアがプシューッと音を立てて開いた。



「なにっ! 痴漢だと?」


「あ、またコイツか?」


「駅員を呼べ! あ、またコイツだ!」


「駅長室に連れて行くぞ! あ、やっぱりコイツだ!」


「警察を呼べ! さすがに2度めは見逃せねえぞ」


「女子高生だけじゃなくて熟女も行けるのか? 守備範囲広いな!」


「はいはい、ライブ配信っと。今日は再生数、伸びるかな」



 俺はまたあっという間に電車の外に引きずり出されて、5-6名の男の乗客に取り囲まれてしまった。


「お、おいおいっ! ちょっと待ってくれ! 痴漢は俺じゃねぇ!」


「お前、この間もそう言ったよな? さすがに2度めは見苦しいぞ!」


「だから俺じゃねぇって! 俺はこの間痴漢をはたらいたヤツを見つけて現行犯で捕まえようとしてだな」


 また俺は完全に包囲されてしまった。


 騒ぎを聞きつけた駅員さんがすぐにやって来て、「どうしました? あ、またあなたですか……」と呆れた声で問いかけてきた。

 

 すると周りにいた5-6人の乗客が、前回同様一斉に俺を痴漢野郎に仕立て上げ始めた。


「痴漢だ!」「やってねえ!」という押し問答を続けていると……



「あの! すいません! その人、痴漢じゃないですよ!」



 その歯切れのいい大きな声に、俺たち全員が振り返る。


 そこには岩瀬課長が凛とした姿で立っていた。


「いやでも……こいつ、この間も痴漢の疑いが」


「その人は私の同じ会社の部下なんです。とても痴漢なんてする人じゃないですし、多分本当に痴漢を捕まえようとしてくれたんだと思います。それより誰!? 今、熟女って言ったヤツ! 目ん玉くり抜いてやるから、今すぐこっちへ出てらっしゃい!!」


 岩瀬課長はこめかみに青スジを立てて、烈火の如く怒っている。


 俺はこんなに怒った課長を見るのは初めてだった。


 周りの連中は顔を見合わせ、「お前か?」「いや、俺は言ってねぇ」とかゴニョゴニョ言い合っている。


「はいはい、この件ももう終わりです。他の乗客の皆様の迷惑にもなります。速やかに移動して下さい」


 駅員さんが呆れた声でそういうと、周りの連中はすぐに立ち去った。


「課長、ありがとうございました」


 俺は課長に礼を言った。


「まったく……とんだ災難だったわね」


「本当ですよ」


「それと……ごめんなさいね。間違って掴んじゃって」


「いえ、いいんです。2度目ですし」


「2度目?」


「いえ、なんでもないです。」


「そう。あ、会社に遅れるわ。急ぎましょう」


「はいっ」


 俺と課長はホームに停車中の電車に、扉がしまるギリギリのタイミングで飛び乗った。

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