第019話


「あ、ごめん。追加の買い物を思い出した。ちょっと戻るね」


「あ、はい」


 幸い他の客もいない。


 俺は雑貨のコーナーへ向かい、一番安い透明のビニール傘を手に取る。


 俺はレジに戻って、会計を済ましたのだが……俺は自分が来る時にさした傘も手に持っている。


 海奏ちゃんの手が一瞬止まった。


 もう……こういう時、察しがいい子は困る。


「あ、予備の傘を買っておこうと思ってさ」


「……あ、そうなんですね」


 俺は会計を済まして「じゃあ、待ってるね」と海奏ちゃんに声をかけて外に出た。




 俺は従業員通用口の前で、さっき買ったビニール傘をさしながら待っていた。


 程なくして海奏ちゃんが出てきて……


「うわー、結構降ってますね」


 開口一番そう言った。


 確かに結構な勢いで降ってきている。


 天気予報、どうした?


「はい、じゃあ傘。海奏ちゃん、これ使って」


 俺は自分がここまで来るのに使っていた、男物の傘を海奏ちゃんに差し出した。


「え? 暁斗さん……」


「大きい傘のほうが、濡れなくて済むでしょ?」


 俺がそう言うと、海奏ちゃんは少し躊躇しながら俺の傘を手に取った。


「もう……暁斗さん、やっぱり私のために傘を買ったんじゃないですか」


「いや、いずれにしても予備の傘がなかったからね。一本買っておいただけだよ」


「もう……ありがとうございます、暁斗さん。遠慮なく使わせてもらいますね」


「どーぞどーぞ」


 俺たちは二人並んで傘をさして、ゆっくりと歩き始めた。




「暁斗さん、これよかったら」


 海奏ちゃんは手に持っていたビニール袋を、俺の方へ手渡す。


「ん? なにかな?」


「豚の角煮です。多めに作ったので、おすそ分けです」


「えーそうなの? ありがとう。じゃあ遠慮なく頂くね」


 俺は袋を受け取って、お礼を言った。


「どうやって作ったの?」


「え? 普通に鍋に入れて煮ただけです。あと八角を少し入れたので、中華風味になってるかもしれません」


「それは本格的だね。俺、八角とか使ったことないよ。楽しみだなぁ」


「お口に合えばいいんですけど」


 俺たちは雨の中、二人でそんな話をしながら歩いていた。


「あ、それから……」


「?」


「や、やっぱ、いいです」


「なに? どうしたの?」


 何か言いにくいことなのか?


「あの……学校で友達に訊いたんです」


「? 何を」


「あの……素人なんとかって」


「あーー!」


 素人童貞って……女子校で友達に訊いたのか?


 知らないって恐ろしいな。


「それで……意味、わかりました」


「そ、そっか」


 ……話はそこで途切れて、俺たちはしばらく無言のまま歩いた。


 なんかメッチャ恥ずいんだけど。


「でも暁斗さん、モテますよね?」


「は? 全然だよ。今までモテたことなんて、一度もないよ」


「でも、すっごく優しいですし。それに……この間、可愛い人とデートしてたじゃないですか」


 そう言って海奏ちゃんは、いたずらっぽい笑顔を向けてくる。


 これ、からかってるな。


「だからあれはデートじゃないって。それに菜々世は……海奏ちゃんに可愛いって言われたら、アイツ「それ、嫌味?」って言ってくると思うよ」


「そんなこと……」


 海奏ちゃんは少し笑って、下を向いてしまった。


 ちょっと照れてるようだ。


「それよりさ、朝の電車、今のところ大丈夫?」


 俺は強引に話題を変える。


「え? はい、ありがとうございます。暁斗さんのおかげです」


「それは俺の役得だよ」


「朝電車に乗るのが、憂鬱じゃなくなりました。こんなの久しぶりなんですよ」


「そう。それはよかった」


 とりあえず海奏ちゃんは、朝も夜も順調そうだった。


 俺も「アイドル」に会えるわけだし、まさにWinWinだ。



 ◆◆◆



 週末の金曜日。


 会社を終えた俺と大悟と菜々世の3人は、駅前のカフェバー、プロンテに向かう。


 今週は月末週だったので、さすがに忙しかった。


 水曜と木曜は、少し残業もした。


 なので今日はちょっとした打ち上げだ。


 金曜日のせいなのか、プロンテは既に混雑していた。


 俺たちはスタンディングテーブルで立ち飲みすることにする。


 俺たちはビールで乾杯した。


 大悟がグラスビールをすごい勢いで、喉の奥に流し込んでいく。


「カーーッ、うめーな。今週は忙しかった」


「そうだな。残業もしたし」


「まあ月末週はこんなもんですよね。もうちょっと残業があっても、いいんですけど」


「そうだよな。オレ、給料前は本当にカツカツだよ」


 そう言う大悟に、俺も同意だ。


 なんとか手取りを増やす方法はないだろうか。


 なにかいい副業を、本気で探してみるか?


 乾杯してから3分も経っていないのに、大悟のグラスが空になった。


 大悟はその体格通りの酒豪だ。


「俺、今日もう一杯いくわ。二人はどうする?」


 ミックスナッツを口に入れた大悟が、俺たちにビールのおかわりを訊いてきた。


 俺も菜々世もいらないと言うと、大悟は一人でビールを注文しにいった。




「暁斗先輩。ちょっとちょっと」


 大悟がいなくなると、隣の菜々世が小さな声で言ってきた。


 なにか内緒話でもしたいのか?


 俺は耳を寄せると……


「その後、あの女子高生とはどうなんですか?」


 菜々世が俺の耳元で囁いた。


 俺は少しゾクッとして、顔を遠ざける。


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