第016話

 そして翌日。


 俺は不安を抱えながら駅への道を歩いて行く。


 海奏ちゃんは駅のホームの、いつもの場所にいるだろうか。


 もしかしたら場所を変えられてしまうかもしれない。


 俺はどうかいますように、と祈りながら、駅のホームへ入っていくと……


「いたっ」


 電車を待つ列の最後尾。


 可憐な美少女は今日もキラキラと煌めいた空間の中に、凛としたたたずまいで立っていた。


「海奏ちゃん」


「暁斗さん、お、おはようございます」


 彼女はちょとびっくりした表情を浮かべながら、すこしおどおどしながら俺に挨拶をしてくれた。


「昨日はへんなところで会っちゃったね」


「そうですね……暁斗さん、昨日デートだったんですね」


「いや、あれはデートじゃないから」


 俺は必死に彼女は会社の同僚で、たまたま一緒に映画を見に行っただけと弁明した。


「彼女さん……ではないんですか?」


「ああ、違うよ」


「でも……あの方はデートだって……」


「あ、あれはね、ちょっと海奏ちゃんをからかってやろうと思って、あいつがそう言ったんだよ。その……海奏ちゃんが、あまりにも可愛いからさ」


「なっ……そんなこと……」


 海奏ちゃんが口ごもって、赤面している。


 俺も言ってて恥ずかしい。


「でも……本当に彼女さんじゃないんですか?」


「本当に本当に違うから」


「そうなんですね……もしそうだったら、家まで送ってもらうのも悪いです」


「だからマジで違うからね。あ、そうそう、次のシフトっていつか訊いてもいいかな?」


 俺は強引に話題を変える。


「え? えっと……実は今日なんですけど」


「わかった。じゃあまた買い物に行くね」


「……本当に無理しないで下さいね?」


「全然無理してないから」


 ちょっと強引過ぎたか?


 でもこれぐらい言っておかないとな。


 その後すぐにホームへ電車が入ってきた。


 月曜日の朝はいつもより混んでいる。


 俺たちは他の乗客の流れと一緒に、車内へ流れ込む。


 海奏ちゃんはなんとかドア横の位置をキープできた。


 俺はなんとか彼女の前に回り込む。


 彼女はカバンを胸に抱えていた。


 電車が走り出すと、その揺れに伴って俺の背中が押された。


 俺と海奏ちゃんの距離が近くなる。


 俺はなんとかドアに手をついて、後ろからの圧力に抵抗する。


 ちょっと昔流行った壁ドン状態だ。


「やっぱり月曜日は混んでますね」


 カバンを抱えながら、海奏ちゃんはそう呟いた。


 近距離の海奏ちゃんに、俺の心臓は少しテンポトアップしていた。


 睫毛長いんだな……俺はそんな美少女を上からステルスモードで眺めていた。


「ちょっと今日は近いよね。我慢してね」


「はい、大丈夫です……あの……私、臭ったりしませんよね?」


「え?」


 あまりにも近いので……海奏ちゃんは気になったのだろう。


「全然。強いて言えば」


「え? 臭いますか?」


「女子高生の匂いかな」


「……普通に変態ですね」


 海奏ちゃんは眉間に少しシワを寄せ、苦笑する。


 恥ずかしいのか少しうつむいてカバンを自分の口元まで持ち上げ、頬を紅潮させている。


 やばっ……可愛すぎる。


 カバンごと抱きしめたい。


「逆に俺、臭かったりする?」


「はい、臭いますよ」


 即答だった。


「え? マジで? どんな臭い?」


「素人童貞の臭いがします」


「なっ……」


 海奏ちゃんのそのワードに、俺の周りの何人かの乗客が反応した。


 息を潜めて笑いをこらえているのが分かる。


 そのワードは俺が痴漢と間違えられたときに、周りの野次馬どもの一人が俺に浴びせた罵声の中にあったワードだ。


 海奏ちゃん……公衆の面前で、あんまりそういうワードを言ってほしくないんだけど……。


「あの……暁斗さん?」


「ん、なにかな?」


「素人童貞って、どういう意味ですか?」


 それを聞いた俺の隣のお兄さんが、今度は声を上げて笑い出した。


 周りの数人も、クスクスと笑っている。


 俺は「海奏ちゃん……それは友達に訊いてくれる?」というのが精一杯だった。


 海奏ちゃんの頭上には、小さなクエスチョンマークが出現していた。



 ◆◆◆



 俺が会社に着くと、朝礼が始まった。


 毎週月曜日の朝は、各部で朝礼が行われる。


 朝礼と言っても、その週の主なスケジュールは連絡事項を伝えるだけの3分程度のものだ。


 経理財務部の篠原部長から「今週は月末週なので、ミスのないように気を引き締めて」と、先ずは毎月この時期に繰り返されるセリフをありがたく拝聴する。


 次に今週の主なスケジュールを各課長が確認する。


 支払伝票のカットオフタイムや、月末の残業体勢などの確認だ。


 朝礼が終わって俺が席について仕事に取り掛かろうとすると、菜々世が部内回覧物を財務課から俺のところへ持ってきた。


 その回覧物を置くとき、俺の耳元で……


「昨日はありがとうございました」


 そう小声でささやいた。


 俺は背筋がゾクッとして、思わず体を菜々世から離してしまう。


 思わず菜々世の顔を見ると、彼女はいたずらっぽく笑って自分の席へ戻っていった。


 まったく……ていうか菜々世の本音というか本心というか……謎だ。


 それにやっぱり社内は色々とややこしい。

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