第008話

「でも俺のこと、そんなに信用して大丈夫?」


「はい。大丈夫……だと思ってます」


「それは光栄だけど」


「あの時……私、本当に嬉しかったんです。いままで何度も痴漢にあったんですけど……誰かに助けてもらったことなんて、一度もなかったんです」


「そうなの? あんなに悪質だったのに」


「はい。なんかああいうのって、証拠がないと難しいらしいんです。それに逆に痴漢のほうから『冤罪だ。名誉毀損で訴えてやる』とか言ってくるケースもあるらしくて……だから何かおかしいなって思っても、そのまま何もしない人が大半みたいなんですよ。皆さん忙しいでしょうから、面倒なことには関わりたくないというか」


「そうなのかな……俺は我慢ならなかったけどな」


「ありがとうございます。だから……その……信用してます。それと、すいません。送ってもらっちゃって」


「あ、全然。これ、本当にご褒美だから。ちゃんと期待を裏切らないように、山下町まで送っていくよ」


「ありがとうございます」


 山下町の交差点までは、俺の足で7分ぐらい。


 できるだけゆっくり歩こう。


 二人の間の会話が途切れた。


 何を話せばいいんだ? 話題話題……


「えーっと……いつもあの時間の電車に乗ってるの?」


 そういえば今朝は見かけなかった。


「いえ、いつもはもう一本早い電車に乗るんです。たまたま昨日は寝坊してしまって、乗り過ごしちゃいました。そしたらあんなことになっちゃって」


「そっか。そりゃ災難だったね」


 たまたま遅れて乗った電車で痴漢にあうとは……ツイてないとしか言いようがない。


「あ、そういえば……君、めっちゃ力が強いんだな。あのとき手首を掴まれてさ、俺めちゃめちゃ痛かったんだよ。なにか鍛えてたりしてる?」


「えっ? あっ、す、すいませんでした」


 彼女は立ち止まって、頭を下げる。


「あ、いやいや。別にあやまることじゃなくってさ。単に力が強かったなぁって」


「いえ、力なんて全然ですよ。スポーツも何もやってないです」


「本当に?」


「はい。ただ……あまりにも痴漢にあうので、父親から護身術を教わったんですよ。父親は合気道の有段者なので」


「そうなの?」


「はい。だから力が弱くても、掴む場所とひねる方向でかなりのダメージを与えることはできるみたいです」


「なるほど……でもそんなに痴漢にあってたんだ」


「ええ、まあ……。中学のときから電車通学だったんですけど……何故か私、痴漢にあいやすいみたいで」


「でも……それこそ女性専用車両っていうのがあるよね?」


 もし彼女がそれに乗っていたら、俺は彼女と出会うことはなかったのだが。


「はい。でもあの電車の女性専用車両は先頭の1両だけで、そこはめっちゃ混むんですよ。それに……以前女性専用車両でも、痴漢にあったことがあって……」


「は? マジで? それって……女の人ってこと?」


「はい、そうなんです。だから……もうそれ以来、女性専用車両には乗らなくなりました」


「うわー……そりゃ大変だな」


 でもこれだけの美少女だったら、そういうこともあるかもしれないな。


 美少女、恐るべしだ。


 ところで……俺は最初にすべき質問を、すっかり忘れていたようだった。


「ところでさ……名前訊いてもいいかな? えっと、名字がアレだったら下の名前だけでも」


「あ、そうですよね……それじゃあ……『うみか』っていいます。海にかなでるって書いて、海奏です」


「海奏ちゃんか。めっちゃ可愛い名前だね。あ、俺、暁斗ね。あかつきに北斗七星の斗で、暁斗」


「暁斗さんですね。よろしくお願いします」


 彼女はもう一度ペコリと頭を下げた。


 うわなにこれ。


 めっちゃいい感じじゃねーの?


 二人の間で話はそこそこ弾んでいた。


 ところが……もう山下町の交差点の信号が見えてきた。


 うわー、あっという間だったな。


 今日はここまでか。


「えっと……暁斗さんは、どんなお仕事をされてるんですか?」


 話題に困った彼女は、そんな話題を俺に振ってきた。


「ん? ああ、建設会社で経理の仕事をしてるよ」


「そうなんですね。大っきい会社なんですか?」


「いや……中堅の建設会社で、知らないと思うけどマギー建設ってとこ。残業は少ないんだけど、安月給でさ。なかなか生活が……って、海奏ちゃん?」


 ふと見てみると……海奏ちゃんは驚いた表情で立ち止まっていた。


 俺もちょっと、個人情報を開示し過ぎだったか?


「……マギー建設……ですか?」


「うん。知ってるの?」


「ひょっとして、XXX駅の近くですか?」


 彼女はうちの会社の最寄り駅を言ってきた。


「うん、そうだよ。もしかして、知ってる人とかいる?」


「……え? あ、えーっと……でも、ちょっと知ってます。多分」


「?」


 反応が微妙だな。


 でも……何か知ってそうだ。


「暁斗さん……経理のお仕事をされてるって言われましたよね」


「ああ、そうだよ」


「もしかして岩瀬さん、っていう女性の課長さん、いますか?」


「え!? うん、いるよ。俺の上司。知ってるの?」


「スタイル抜群の?」


「うん、そうだね」


「ボン・キュッ・ボンの?」


「そうだね」


「巨乳の?」


「う、うん……そうだね」


「暁斗さん、巨乳好きですか?」


「うん、そうだね……って、あれ?」


「……フンッ」


「あ、ちょっと」


 海奏ちゃんは顔を正面に向けたまま、早足でスタスタと俺も前を歩いて行く。


 どうやら解答を間違えたみたいだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る