第3話
震災後、春子はそんなふうに楽しく暮らしていたことにも罪悪感をもつようになり、ふさぎ込み、自分の殻に閉じこもった。
どうすることもできなかった。
僕はといえば、身近な大切な誰かを喪ったことなどほとんどなかった。
さすがに祖父祖母は喪ったが、それは自然な流れだ。
誰かを喪った悲しい記憶をたどると、皮肉にもそこにも地震があった。
神戸に転校していった友人が震災による火災に巻き込まれ亡くなったのだった。
あのときのなんともいえない気持ちは、大人になって日々の大きな出来事も小さな出来事もどんどん断捨離してきた心ではもう再現できない。
繊細でもろくて、そしてこのうえなく悲しいのに、どこか美しい揺れを感じさせる。
僕は自分だけ生きていることが、妙に申し訳なくて、罪悪感でいっぱいで、それなのに友達と会えばはしゃいで、感じはじめた性欲を抑えることもできなくて・・・自分が大嫌いだった。
死んだ友達の顔を何度も思い出した。
忘れないように。自分の中の罪悪感を大事に温めていた。なぜそんなことをしていたのかわからない。
酔っていたのかもしれない。初めての生死を伴う悲しみに。不測の事態で知人を亡くした喪失感に。
しかし、春子の喪失感はそれとは比べ物にならない。
どこか生ぬるく、言っては悪いが経験のなかった新鮮な悲しみに故意にとどまろうとしていた自分とは違って、春子は立ち上がろうとしても、ゆっくりでも前に進もうとしても、特別に粘度の高い泥水に足を奪われ叶わなかった。
沼から出るのに三年かかった。
その半分の期間、春子は家にこもった。二人の小さな家に。
リハビリのように再び派遣社員として働きはじめ、少しずつ契約期間が長い仕事にステップアップして、自分を取り戻していった。
偉いと思った。誇らしいとも。
一安心を一区切りにしたくて、僕は春子にプロポーズし、春子はそれを受けてくれた。
僕たちは、小さくほんのりと笑いながら、毎日をなんとかやりすごしている。
暗い海に飲み込まれてしまわないように必死に水面下では足を掻きながら。
それでも、がんばっても振り子はすぐに好ましくないほうに振れそうになる。
なぜ、悲しみとか、嫉妬とか、憎しみとか、負の感情のほうが人を留めておきやすいのだろう。
神様、憎いぜ、この野郎。
人間をこんなふうに作ったことも、あんな地震や津波を起こしたことも。
でも、僕たちは歩いていく。
二人の間に境界線はついてまわっても、その上で手を握り合うことはできる。
小さなぬくもりが僕たちをつなぐ。
誰かがいるから、歩いていける。
夢とか出会いとか、春とか、桜とか、見たい景色がまだあるから。
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