決められたこと

 ある日、海で巡くんと会っていたわたしがいつも通りに家に帰ると、玄関口に母が待ち構えていた。


 母はいつも険しい顔をしていて、そのうえ厳しい声をしているものだから、出来る限り顔を合わせたくない。


「彩夏、最近帰ってくるのが遅いわね。なにをしてるの?」


 母はいつもの通りに険しい表情を携えて、責め立てるような声で尋ねる。


「なにって、友達と会ってるだけだよ」


 巡くんは友達なのか、自身は持てないけれどそう言った。


「毎日会ってるの? それとも毎日他の友達に乗り換えてる?」

「同じ人」

「男じゃないでしょうね?」


 母はよくわたしの交友関係に口を出してくる。


 女友達は、母が顔を知っている人だけ。男友達は、一人たりとも作らせない。


「別にどっちでもいいでしょ。お母さんには関係ないよね」

「関係ないわけないでしょう。話しなさい。男なの?」


 ここで一体どう答えたら面倒くさいことにならないだろうか、なんて考えても無駄だ。なにを答えても母は問い詰めてくる。


「そうだよ。なにか悪い?」


 下手に隠してそのあとで気づかれるよりは、自分から巡くんのことを話しておいた方が被害が少ないと思った。


 だが、その認識は間違いだった。


「不純ね。引っ越します」

「え?」


 わたしは聞き間違いかと思った。


「少し前から考えてはいたんだけど、今話を聞いて決めたわ。夏休みが終わったら引っ越します」

「……どこに?」


 母は、ここ関東地方から近畿地方へ引っ越すと言った。


 わたしは母になにか言い返す気にもなれず、わたしに話しかける母の金切り声も無視して部屋に閉じ籠った。




 母は、最後にわたしに「引っ越しは決定事項だ」とだけ告げて部屋の前を去っていった。


 せっかく、巡くんと再会出来たのに。


 わたしのとっての巡くんは、心休まる存在だった。


 昔助けてくれたからか、巡くんはわたしを害さないって、心の底から思うことが出来た。


 わたしは運命なんて信じていないけど、わたしにとって巡くんとの出会いは、まさしく運命的な出会いだった。


 それなのに、引っ越してまた離ればなれになる。


 昔から母のことは少し苦手だったけれど、明確に母のことが嫌いだと、今初めて思った。


 母は引っ越しを前から視野に入れていたというから、もしかしたらこれは必然だったのかもしれない。


 でも、 決められたことだから仕方ない、と自分を納得させることは出来ない。


「巡くん……」


 消えてしまいそうに震えるか弱い声で彼の名前を呼んでも、彼が現れてわたしを救ってくれることはない。


 わたしは意味もなく虚空に手を伸ばし、力を失った腕がぼとりと地面に落ちた。

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