さあ夏へ

 いつもは、二人だけの時間を過ごしていることが多い。


「たまには夏祭りとか行ってみない?」


 僕はそう提案した。


 本来夏祭りとは、恐ろしいに人間たちが集まるいわば「敵地」で、自ら進んで飛び込むような場所じゃない。


 それでも提案したのは、ずっと海にいては変化がないかと思ったからだ。


「どうしようかな……。人混みがあんまり得意じゃないんだよね。それに、浴衣持ってないし」


 そう言って頬を掻く彩夏さんの背には茜色の夕暮れが映えていて、夏の夜が近いことを知らせていた。


 普段はとうに解散しているはずの時間帯、普段なら見られない夕凪で波の音も聞こえず、静寂が深まる。


 僕は、彩夏さんが心から嫌がっている風には思えなかったので、もう一押しかけることにした。


「浴衣は着なくてもいいから。行かない?」


 彩夏さんはそれでも少し迷ったような表情で、もしかしたら誘わない方が良かったかもしれないと思うも、すぐに僕を見る眼差しに決意を込める。


「巡くんが、近くにいてくれるなら」


 僕が彩夏さんから離れるわけがない。


 僕は黙って彩夏さんの手を取った。彩夏さんは抵抗もせず、黙ってそれを受け入れた。顔には喜びの色が浮かんでいた。




 祭りは賑っていた。


 多くの人が「神社」と言われて思い浮かべるような山にある神社で行われた祭り。


 その影響で、神社の境内は僕や彩夏さんの想像通り、どこを見ても人、人、人。


 だけど僕は彩夏さんの手を握っていたから、普段なら恐ろしいはずの人たちを気にせずにいられた。


 楽しい時間。そのはずなのに、彩夏さんが寂しげな雰囲気をまとってなにか呟いたのは一体どうしてだろうか。


「夏祭り、光が眩しいね」


 寂しげな彩夏さんに僕は言った。


 提灯、屋台の光、屋台の商品、その他諸々が放つ華やかな色々が、普段は静かな神社を煩く染め上げていた。


「明るくて綺麗だね」


 彩夏さんはすぐに寂しげな雰囲気を引っ込めて言った。


 綺麗だね、と言った彩夏さんの言葉に呼応するように、眩しい光がより一層強く輝いた。


 ――彩夏さんの方が綺麗だ。


 喉元まで出かかった言葉はすぐ飲み込んだ。


 言葉にするのは無粋だった。


 そこで、空に虹の花が咲いた。


 破裂音が、世界の雑音を掻き消す。


 僕は思わず空を見上げた。


 一切の音が聞こえない中、光以外の情報がほとんど弾き出された世界で、それでも僕は隣を視た。


 ぼろぼろと涙を流していた。


 そんな彼女を横目に、光は咲き、音は爆ぜ、人は騒いだ。


 彼女が流した涙は言い様もない感傷を引き出す。


 僕たちは二人して闇空を見上げた。

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