誰が為に

誰が為に 〈い〉

 夏休みに入った北上川高校はいつもより静かだった。

 そうは言っても、グラウンドに行ったら掛け声は聞こえてくるし、微かに楽器の音が聞こえてくるのは変わらないのだが、それにしても人の気配や普段の喧騒が無いだけでこんなにも静かになるなんて、まるで別の世界を覗いているような気分だと骸井は思った。

 その分だけ蝉の声がうるさく聞こえる。

 文豪気分で鼻高々とそんな事を思っていた。

 最初はそう思っていた。

 風流な感傷に浸る時間は、その日その時が最初で最後だという事を誰も教えてはくれないのである。

 そんな夏休みに入る少し前。

 例の結界と嵯峨野花についての話を神下や新井姉妹にしたら案の定、「それなら一緒に協力した方がいい!」と言い出したので、どうにかこうにか言いくるめて嵯峨野の意向に沿うような方向に持っていくことができた。

 神下達の意見を嵯峨野花に伝え、嵯峨野花の意見を神下達に伝える。

 〝中間管理職みたいな立場を強いられる高校生〟なんて、そんなグロテスクな字面なんか見たくなかったが、「この成り行きは定められた運命だから逆えないよ」と新井リコの半ば脅しのような言葉により言い訳のような言論は封殺された。

 なお、嵯峨野花は「流石に三対一なんだからこっちに常駐してくれるよね?」と不安がっていたので、「緊急事態で向こうに手助けが必要になった時以外は同行する」ということに決まった。

 そして、夏休み初日の七月二十七日、十二時十一分。

 事前に決めた各々の持ち場に付き、能力をいつでも発動できるように構えてその時を待つ。

 時計の針が一つ動き、時刻は約束の十二時十二分を指す。


 カチッ――。


 骸井が護衛している中、嵯峨野花が結界を解除した。


 その瞬間、辺りは静寂に包まれた。

 蝉の声も不自然なほどに鳴り止んでいる。

 風の音も楽器の音も、何もかもが消え去ったのである。

 自分の耳が聞こえなくなったのかと錯覚するぐらいの静寂だった。

 そして、変化はそれだけに留まらなかった。


 一番の大きな変化はというと〝外が真っ暗になっている〟という事だった。


 それは、〝太陽が沈んで暗くなった〟というレベルではなく、窓の外にあったはずの世界が切り取られたかのようだった。

 もしくは、窓の外側に〝世界一黒い絵の具〟を分厚く塗り広げたかのような、そんな浮世離れした事態に見舞われていたのだった。

 三階にある廊下のT字路に立ち、三方を見渡せる位置で警戒していた骸井と嵯峨野はその場で身動きを止めた。

 そして、五感に神経を集中させながら、何かに襲われるかもしれないという緊張と隣り合っていた。



「「…………すぅ…………すぅ…………」」



 音の無い世界で二人だけの小さな呼吸だけが聞こえる。

 それは普段ならあまりにも小さくて聞こえないはずなのに、今だけは嫌に大きく聞こえてくる。

 そんな張り詰めた緊張状態のまま警戒してどのぐらい経っただろうか。

 しびれを切らした嵯峨野が軽く緊張の糸を緩めて口を開く。

「これは、どういう事?」

「お前が知らないのなら分かるわけない」

「いや、そうなんだけどね」

 骸井も少しだけ警戒を解いて、二人で廊下をゆっくりと歩き始める。

「嵯峨野、結界を読み解けばある程度その内容が把握出来ると言っていたよな」

「そうだね」

「それならば、こうなることも分かっていたはずなのに、今さっきなんで慌てていたんだ」

「なんで、ってそりゃあ、分かっていたのならこんなに慌てることもなかったよ」

「……どこまで想定外だ?」

 嵯峨野は逡巡して、重くなった口を開く。


「全て」


「過去に同じ経験をしたことはあるか」

「いや、記憶している中ではない。こんな事は初めて」

「……そう言う割には落ち着いてるんだな」

「まぁ、想定外だったけど、どこかでこうなる気がしていたというか、いつからか覚悟は決まっていたんだと思う」

 廊下をどれだけ歩いても変わらない窓の外の風景が不安を煽ってくる。

 覗いてみても何も無い、窓を開けて手を伸ばしてみても、ただただ真っ暗な空間があるというだけであった。

 一応スマホを確認してみても、やはり圏外であり、こういう場面で電波が通じていることなんかないのか、とフィクションのご都合的な展開についての考えを改めたくなった。

 また、電気と水は通っていた。

 その為、廊下や教室の電灯はしっかり点いた。

 果たしてこれらはどこから供給されているのだろうか。

 そんな疑問を無視して、無人の廊下を歩く。

 とりあえず三階を探索したが、結局何もなかったので二人は階段を下りて、二階の廊下を歩く。

 やはり二階も三階と同じように暗黒が窓の外に広がっていて、電気は都合良く通っている。

 なので、廊下の端から端までしっかりと見渡せた。

 見慣れた光景の異様な違和感に少し精神が疲弊する感覚が圧迫する。

 というかそもそも。


 直前まで中にいた部活動中の生徒はどこへ行ったのだろうか。


 そんな当然の疑問が骸井の頭に浮かんだところで嵯峨野が口を開いた。

「僕たち以外の生徒は多分無事だろうね」

 嵯峨野は平然とした口調でそう言った。

「その根拠はなんだ」

「そりゃあ目の前の景色を見たら一目瞭然じゃない」

「迂遠な表現をしている場合か」

「分かったよ……〝ちょっぱや〟で結論を言うと、――〝二階を担当していたはずの新井姉妹がいないから〟だね」

「……確かに彼女たちがいないのはおかしいと思った。お前は結界術に長けているからこの空間に入れるのは理解できる。でも、僕は違う。でも、今お前と一緒に居る。だから、〝原存だからこの空間には入れた〟と解釈した」

「僕もこの空間に入る前はその解釈だったよ。でも、どうやら違った。今の現状を見れば分かる通りだ」

「じゃあ……どういう理屈で僕とお前はここにいるっていうんだ?」

 嵯峨野は口を三日月に口角を上げて、大きくかっ開いた瞳孔が細長く狭まった。


「〝ここにいる〟じゃない!」

「どういう――」


「〝僕たちは最初からここにいる〟。つまり、僕たちは転移させられたり封印されたりした訳じゃない! 結界の効果で僕たちは周りに視認されなくなり、そして、視認出来なくなったんだ! もっと言うと干渉すらできなくなってる!」


 骸井は目を細めて口元に手を添えた。

「尚更だ、僕達が対象である理由はなんだ」


「――結界術師」


 嵯峨野はそう言った後に「憶測だけど」と続いた。

「僕は結界術師ではないが?」


「いや、君は結界術師だよ」


「……知識があればだれでもなれるものだから、とか言うんじゃないだろうな?」

「それは〝呪符結界〟の話をしているのかな? 言っておくけどあれは呪符を作れる者を結界術師と呼ぶのだろう。けど、あれは〝結界術師〟というよりも〝呪符職人〟というのが正しい気がするけどね」

「君の使う結界術は呪符を使わないのか?」

「うん。君に見せた魔法陣とかはまぁ、なけなしの知識を寄り集めた、見様見真似みたいな呪符結界だったけど、僕が得意なのは全然違う種類で……」

 二人は再び階段を下り歩く。

 そして、一階へと下り立った時、嵯峨野は再び口を開いた。


「君とお揃いの結界術者だよ」


 身に覚えのない事実を口にする嵯峨野の言葉は、骸井にとってどうでもよかった。

 「世界一のね」と小さく呟くのを聞いたとしても、骸井自身、結界術師であるという自覚がないが故に、ただただ「入れる権利がなかったはずなのに、幸運で入れた」という偶然を享受したに過ぎなかった。

「まぁ、この結界に入れたのだから、僕が結界師だろうがなかろうがどうでもいい」

「そう言うと思った!」

 おどけた調子でないと苦しくなりそうなほどに静かな空間に喉を詰まらせながら、ついに最後の段差へ別れを告げて二人は、一階へと下り立つのだった。

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