開示 〈ろ〉
「そもそも、なんでそんな結論にたどり着いたのかの経緯を聞いてない」
「……確かにそうだったね。結論に急いちゃったけど、そもそもの〝呪符結界師がそんな結界を張っている〟という仮説を立てるに至った経緯を説明するね」
そう言って、神下は短くなったチョークをもって板書しながら説明を始めた。
「結界というのは、元来、空間そのものに施す術で、主に神聖な場所が邪悪なものに汚されたりするのを防いだりするところから始まった、と言われているんだ。そして、その対象を空間よりも細かいものにすればより難しくなる。それは例えば生物や極端に小さなもの、今回みたいな実態を持たない存在とかだね。それとは逆に学校全体とか街全体、日本全体とかを覆うほどの結界を張るのも大きくなればなるほどに至難の業となってくる」
「その結界とやらに種類はあるのか? さっき話したものに〝呪符結界〟と名がつくのなら、呪符と関係ない結界術もある、とか」
「うん、あるよ。あるのは知ってる。けど、呪符結界ならある程度知識はあるけど、その他については勉強不足でね……だから詳しいことは知らない。でも、存在しているって事は確実と言える」
「なるほどな」
「そうなんですね」メモメモ……。
「なんだけど、呪符結界師の中でも抜けて腕があると言われているうちのじいちゃんをもってしても、幽体を対象に、しかも高度な認知障害を施す呪符を練って結界を張るのはとんでもなく時間が掛かかるらしい。そして、何よりそんな複雑で強力な結界なんだ、それ自体を維持するのが一番大変だと」
「へー」
新井リコは何にも分かってなさそうな返事を吐き出した。
「それは……どれほど大変なんでしょうか」
「経験的におそらくだけど、複雑さとか規模の大きさを含めると……大体30時間経てば限界を迎えて自壊するだろね」
「え、では呪符結界が壊れてしまいそうな時はどうするんでしょうか」
「呪符を張り直して詠唱し直す」
「おいおい、それってつまり……」
「そう、この学校にその呪符結界があるってことは、〝毎日その結界師がこの北上川学校に来ている〟という事になる」
それを聞いて新井リコは、軽快に鼻を鳴らす。
「ふん、じゃあ話は簡単、学校中探して怪しそうなやつを片っ端からぶっとばしていけばいいんだろ?」
「別にお前がいいならこっちとしてはそれでも構わないが、少し経った後お前が〝北上川の番長〟とかいう肩書きで恐れられる存在とかになったりしないよな」
「お姉ちゃん、それ、普通に退学処分っていうのがオチだから辞めようね」
「えー、そっか」
新井リコは残念そうに肩を落とした。
「……リタちゃんというストッパーが存在してくれて良かったと心から思うよ」
「昔からこういう役割をしてきたので、もう慣れっこです」
荒くれ者の妹という気苦労が透けて見えたところでいったん話を戻す。
「神下は、呪符結界師を探して直接叩くのと、結界を形成している呪符本体を探して壊し、悪霊を叩くの、どっちの方が最適解だと思うんだ?」
「俺は呪符を探して壊す方を押したいかな……数百という生徒や先生、はたまた外部の存在かも知れない数多の可能性から術者を探すのも骨が折れる。それなら、手分けをして呪符を探した方がリスクが少なくて済むし、多少時間がかかるかもしれないがその時その時の状況変化にも対応しやすい」
「……一理ある」
「お姉ちゃんはそれでもいい?」
「あたしは頭使うとかごめんだから、怪しいやつを片っ端から殴る……のはやりすぎだとしても人海戦術を使わない手もないっていう考えだ! 聞いた感じ、結局は人が関わらざるを得ないだろうし、生徒が術者の線は結構潰せるんじゃないか?」
「……お前にしては一理ある」
「〝お前にしては〟は余計だ!」
余計な一言を言ったせいで、骸井は新井リコの素早い動きで足を絡め取られて、そのままジャイアントスイングを食らったが、グルグル回されながらもその手から文庫本は離れなかった。
「骸井! ちょっとは抵抗したらどうなんだ!?」
骸井は表情変わらず、ぶんぶんと振り回されながら読書に耽る姿勢を止めず、
「回したかったら好きなだけ回したらいい」
と気にもめない態度で回されることを甘んじて受け入れた。
その数分後、骸井はトイレへと駆けこんでいく事を今はまだ知らなかった。
――――――………………
「このままいくと夏休みに調査することになり、夏休みの間は基本、部活動か用事のある生徒以外校舎に立ち入れません。つまり、この活動が難しくなる……気がしますけど、神下先生のお考えはどんな感じでしょうか?」
トイレにしては幾らか長い時間離席をしていた骸井が教室に戻ってきた瞬間、耳に入ってきた言葉は以上の通りだった。
「それは、えーっと、さっきも言った通りちゃんと考えをまとめてから後日連絡しようかなって思ってるよ」
「えーっと……分かりまし、た」
納得いかない様子の新井リタを見かねて骸井が口を開く。
「他に言いたいことがありそうに見えたが気のせいか?」
そう言われて、新井リタは意を決したように口火を切った。
「明後日が終業式で、その次からもう夏休みなのに、後日考えをまとめるのはどう考えても遅いと思います。今話し合って結論を出すべきだと私は考えます」
「あたしも同意」
新井リコも静かな表情で同意した。
「……理由を聞いてもいいかな?」
リタが口を開く。
「理由は簡単です。先へ進める足掛かりを見つけたのならば、真っ先に踏み込むべきだと。問題があるのか、危険があるのかはその時になってみないと分からない。だから、今は前に進むしかできないから、です」
そこに共鳴するようリコも口を開く。
「そう! あたしとか骸井は突っ走ってぶつかってから考えるタイプなんだ! そうじゃないと考えるものも考えられないし、使える能力も使えずに腐るだけ。逆に何故、神下先生がそんなに石橋を叩くのか教えてほしいぐらいだね」
「?」
神下は頬をかき、その問いに対して思考する。
「特に理由があるかといえば……無いかもね。単にそういう性格だから、丁寧に丁寧に歩を進めてる。目の前に現れた足掛かりがどういう状態かを観察して、考察し、次のフックを確認してから確実に足を運んで進む。これを続けて生きてきたから、だから、これしかできないといっても過言じゃないのかもね。ただ……」
そう言って、次の言葉を探る表情を滲ませながら神下は視線を左下に移して、顎に手を置き、その後、ストレッチの要領でぐるりと首を回して、首が鳴るのを感じながら腕を組む。
そして、スッー――と鼻から息を吸い、「ふーー」っと、今ある思考を整理するように薄く長めに口から息を吐いた。
「ただ、過去を振り返ってみれば、その石橋を叩いた人間も、渡った人間も一人だけだったのかもしれない。一緒に石橋を叩いたことも、石橋の向こうに何があるのかを議論しながらどうやって川を渡るのかを選んだことも無かったかも知れない。いや、無かった」
新井姉妹も骸井も口を挟むことなく、神下の次の言葉を静かに待つ。
不思議と蝉の声は小さく心地よい音量でしか聞こえなく、そこに織りなすように夏風で青く茂った木の葉っぱが擦れる音、テニスボールを打つポップな打音、外をジョグで走っている運動部が、はしゃいで追いかけっこを仕掛けているじゃれ合いが聴こえてくる。
「ここからは各々にそれ相応のリスクがある。そして、それを各々に信じて託すという選択を俺は避けようとした。それは認める。……はは、人を信用するってのは案外難しいものなんだな」
神下は力なく笑った。
「神下先生は何で一人でそんなに責任を背負っているんですか」
リタはきっぱりとそう言った。
「それは……結局信用していないという事の裏返し――」
「それは違います! ……と、私は思います」
「リタさん……」
「先生は私達を〝信用していない〟のではなく、〝心配している〟のだと思います。多分それはまだ私達が心許ないのも原因だと思いますが、その他に〝傷ついてほしくない〟という思いもあるんじゃないですか?」
「いや、そんな事は……」
言葉がのどに詰まったのか、押し黙ってしまった。
その様子を見て新井リコが口を開く。
「あるのか?」
「……」
新井リコは静かに席を立ちあがり、神下を睨む。
そして、二歩後ろに下がり、右の拳を握りしめる。
そして、助走をつけて走り出し――
鋭く風を切った拳を神下の頬に向けてブチ当てた。
「リタ!」
「(コクリ)!」
瞬間、新井リタも立ちあがり、手のひらを吹き飛ばされた神下に向けて開き、精神を研ぎ澄ましている。
殴られた直後、密かに交わされた姉妹の小さな意思疎通。
――ドガッ、ガシャガシャ、ガシャシャン!
声を出す隙間もなく吹き飛ばされた神下は、後ろの黒板に激しくぶつかってバウンドし、チョークや黒板消し、教壇を巻き込みながら大きな音を立てて倒れた。
新井リコは腰に手を当て、呆れた顔で神下を見下ろしながら言う。
「傷つくだって? 心配だって? これでも言えるのか? そんな醜態を晒しておいて、お前がそれをあたしたちに言うのか?」
「……」
神下のどこを見ても外傷は無く、ただただ――心が傷ついていた。
それは誰に傷つけられたわけでもなく、ただ自分自身の行いで自分自身を傷つけた事と一緒であることを神下は、心の痛みからありありと自覚させられていた。
「骸井とリタの分で〝二歩分〟の助走を取った。先生はあたしの能力を分かっているでしょ。それがあたしから渡せる三人分の重みだ。それと、言わなくても分かってるだろうけど、無傷にしてくれたリタに感謝して」
神下は俯いていた顔を上げる。
「……そうだね、うん。ありがとう」
神下は埃を払いながら、立ち上がった。
「もう、君達を軽く見るようなことはしない」
そして、三人を順番に見ながら、
「ちゃんと重みを受け取ったから」
そう呟いて自分の手のひらをじっと見つめた。
それから、力強く、大切そうに、ぎゅっと握って、ポケットにその手を仕舞ったのだった。
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