開示

開示 〈い〉

 しゅうぅい……しゅうぅい……――


 ツクツクウィーー……ツクツクウィーー……――


 ジジジジジ。ジジッ……――


 蝉の声が聞こえ始めたのはいつからだっただろうか。

 梅雨のせいで雨が降る日が続き、あの夏のカラッとした日差しを待ち望んでは延長を繰り返していたあの雨雲は、七月の半分ぐらいまではみ出してうだうだと延長をしていた。

 その名の通り梅雨みたいな、ジメ……ジメ……と粘ついたしつこさで居座り続けた梅雨だった。

 しかしそんな陰湿な奴も、夏の陽気な高気圧に押し出されるように日本からすたこらと逃げていった。

 ――どこでもそうなのだ。

 陰気な奴が調子に乗ってみんなに迷惑かけていると、陽気でカラッとした奴がどこからか現れてその場の空気を支配する。

 そして、どこか居づらさを感じた陰湿な奴がその空気に耐えられずにその場を立ち去っていくのである。

 いつの時代もそれが常であり、その逆もまた自然の摂理的に起きるのである。

 その正しい循環が空気の健康であり、故に片方の視点だけで見てしまうと必ず悪と正義の形を模してしまうのである。

 なんて、そんな細かい陰だの陽だの「ツユ」知らず、北上川高校は年間行事に狂いなく沿うような形で順調な学校生活を送っていた。

 骸井としても、勉学に滞りがあるわけでもなく、中間テストも平均以上、体育祭もささやかな貢献で留めて変な悪目立ちすることも無かった。

 これは一高校生として見た場合、一番平穏で穏やかな学校生活を送れているといっても問題は無かった。

 しかし、それが骸井に課された課題に関係するかといえば全くそんな事はない。

 結論を先に言うと、骸井一行の調査は一旦目的を失い、暗礁に乗り上げてしまっていたのだった。

 ただ、全く成果が無いという訳ではなく、辛うじて分かったことは、この学校内に悪霊がいるのは確かだが、何らかの障害が邪魔をして、直接干渉できないようになっているという現状を突き付けられただけ。

 なので、本腰を入れるにもその当てもなく、その為、神下から我々に伝えられるのは、今、目の前の学校生活を通して得られる情報があったら積極的に関わって収集をする、という平易なものであり、一応それを目標であると言えなくもないが、そんな虚勢も言ってしまえば地団太を踏んでいる現実の裏返しとも言えるのだろう。

 そんな日々が三ヶ月も続いた。

 その末に、我々は小さいながらに一つ前進したのだ。

 それは、この悪霊を認知できないという問題の外堀と状況確認から推測して辿り着いた一つの結論であった。

 それはというと……


「ある特定の悪霊のみを対象にした〝いかなる知覚を阻害する〟結界……」


 背の高い方の妹、新井リタは与えられた情報をうまく呑み込めないのか、その言葉の端が尻すぼみしながら思考し始めた。

 誰もいない教室に三人の生徒と先生が一人。

 窓は全開にしてあり、時々ミントグリーンの風が吹き、半開きの扉を抜けて廊下へと逃げていく。

 骸井九は相変わらず文庫本を開き、新井リタは小さなノートとペンを携え、新井リコはペン回しの練習をして、神下冬太郎は白衣を腰に巻き、適当に綺麗にした黒板に板書をする。


 『ある特定の悪霊のみを対象にした、いかなる知覚を阻害する結界について』


「こほん……これは仮定に過ぎないけど、これまでに得られたわずかな情報と俺が持っている呪符を利用した結界術に関する知識を持って考えた結果、こうなんじゃないかと思ったという仮の結論だ。弱い悪霊がちらほら居るからそいつらが何故この学校に集まっているのかの理由がないとおかしいはずなのに、その原因と言える呪物も上位悪霊も見つからないからね」

 その軽快な口ぶりからは感じないが、神下冬太郎は腕を組みながら苦い表情でそう言った。

 一か月前の衣替えした辺りの時期に神下は、「悪霊と対峙するときに大事なのは、その対象を祓うだけでなくその悪霊が出現した原因を特定しないと、再び同じことの繰り返しになってしまう」という旨を骸井と新井姉妹に話していた。

 むしろ、大元の究明とその改善の方が大変なケースが多々あり、実際の実働時間の大半は、悪霊退散の前と後だという。

「その口ぶりからして、このケースは珍しいという事か?」

 文庫本を閉じた骸井は、神下の目を見て、事の重要さを図るようにそう言った。

「珍しいというか見たことも聞いたこともないよ」

「神下の爺さんも知らないと?」

「詳しくは聞いてみないと分からないけど、恐らくないと思っていい――というか、推測するにこれは多分だけど……」

 そこまで言っておいて今更になって言い淀む神下。



 数秒間の沈黙――――それと葛藤。



 やがて自身の中で覚悟を決めたのか、固く閉ざされた口が重々しく開いた。

「……人為的でないと呪符結界は張れない。それも、対象が指定した特定の霊体ならば尚更だ。これがどういうことかというと、まぁ、そ――」


 ――ばちん! からん、ころころころ……。


「……ごめんなさい」

 小さな手からペンが吹き飛んで大きな音を立てた後、心底申し訳なさそうな表情で謝る新井リコ。

「お姉ちゃん……」

 リコはおずおずと席を立ち、落としたペンを拾って、小さくなった背中のまま元の席に戻っていく。

 見かねたリタがリコの傍まで近寄り、さっきまで話していた内容を優しく教えているようだった。

「撤退も視野か?」

 骸井は気にせずに話を進める。

「いや、今はまだこっちの存在が結界師に気づかれていないだろうから、向こうからこちらに何かを仕掛けてくることはないだろうけど、そもそもこんな事をする理由も動機も意味が分からないのが不気味で仕方がない」

「ええぇぇー! じゃあ、幽霊退治と合わせてその正体不明な呪符結界師と戦闘になる可能性があるって事ー!?」

 遅れて事の状況を理解したリコが机に手をつき立ち上がって叫んだ。

「おい、ドア開いてるんだから大きな声出すんじゃあない」

「あ……ごめん」

「もしかしたら……撤退をしたって余りあるぐらいの厄介事なのかもしれないって考えると、それも取り得る手段な気もしてきたなぁ……」

 そう言って腕を組み、眉間にしわを寄せる神下。

「わ、私に出来る事はありますか……?」

「その気持ちはありがたいけど、これに関して今すぐに決断はできないから、後日また決定した結論を伝えるよ」

「はい……分かりました」

「……」

「……ふーん」

 納得しかねる言い回しに違和感を覚える骸井とリコだったが、それぞれがそのことを少し頭に置きながら、特に言及するでもなく会議は進んでいくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る