幽刻時の鐘が鳴る 〈に〉

 ドスン……。

 魂の分だけ少し軽くなった骸井の体は、床を這っていた本のクッションに崩れた後、静かに瞳を閉じている。

「はぁ……はぁ……」

 白井有栖に残っている霊力は残りわずかであった。

 人間五人を殺して手に入れた霊力は、複数の物体を動かしながら、「透明浮遊奪魂寒」を発動できるぐらいの膨大な霊力だったのだ。

 それは、およそ骸井が想定していた強さを超えていたということと同意である。

「はは……私って強いんじゃん」

 白井有栖は、霊力の行使と「透明浮遊奪魂寒」を解除した。

 消えていた電灯が力弱く点灯する。

 そして、手の中にある青白く、たまに薄く琥珀色になったり、次の瞬間には翡翠色なったりと絶えず変化し続けている魂をうっとりと眺める。

「恨みっこなしだよ……いただきます」

 白井有栖はその魂を口から飲み込むように取り込んだ。

 ごくり……。

 ……。

「あれ」

 ……。

「どうして」

 ……。

 白井有栖は骸井が嘘を教えたのだと思い、恨みをこめて骸井の死体をキッ睨んだ。

 しかし、そこに死体はなかった。

 あったのは死体ではなく、窓からの微弱な月明かりで逆光になった骸井が窓際の壁にもたれて立っていた。

「明後日クリスマスだからな。ついでにイルミネーション仕様にしてやったがお気に召したか?」

「貴方、さっき嘘つきましたよね」

「はい? ついてないが……というか、僕の魂奪って食べたくせに、なんだその言い草は! こっちに文句を垂れる筋合いなんかこれっぽちもないだろうに! それなら、僕の魂を食べた感想でもなんでも言ってほしいな……美味しかったかい?」

「……殺す」

「物騒だな。言っておくが、君の食べた魂はしっかり僕の中にあった正真正銘で純正の魂だ。デコレーションはまぁ……適当な冗談だ。僕も自分の魂なんて初めて見たし」

 骸井は人差し指と中指を揃えて立て構える。

 白井有栖は深くうつむき、掌を下にして広げて、両腕をゆっくりとじっとりと大きく上げていく。

 ただでさえ長かった前髪は、みるみるうちに伸びてすぐに腰当たりまで到達した。

 そして、体がゆっくりと宙に上がって浮遊する。

「言ったはずだがな……僕と言えど魂は人一人分で他の奴と変わらない。そして……」


「本は命よりも大事だ、って忠告しただろう」


 白井有栖は聞いているのかいないのか、腕を上げた先で祈るように手を組み、顔は真上を向いている。

 骸井は腹に仕込んでいた雑誌を取り出す。

「これが濃度を上げた魂だ。まさか、体外にあるなんて思わなかったろう……僕でも驚きだね。じゃあ、この魂は元通りにして体に戻しておこうか」

 雑誌から魂という文字が消失し、骸井の中に魂が戻っていく。

 白井有栖はというと、上空から骸井を見下ろして睨んでいる。

 ふと、この部屋の重力が軽くなった感覚がした。

 そこで骸井は確信する。今ならこの部屋から出られるのだと。

 つまりそれは、白井有栖がこの部屋に施していた骸井を閉じ込める何かを解除したということであった。

 ……正確には、解除せざるを得なかったと。

 それは、目の前に立っている男を殺すためであり、自身の腹から煮えくり返る恨みに応えるためだった。

 骸井はやれやれと呆れたように首を振る。

「逆恨みはよしてくれよ」

 骸井の見立てでは、もう目の前の白井有栖にはっきりとした意思があるとは考えられなかった。

 元々、半端な幽霊に理性を支配する仕組みなんか無いはずなのに、今までしっかりとした意図と思考と企みがあったことの方が不気味だったということで、こっちの方が本来の悪霊らしいと、半ば感心するみたいに納得しようとするが、これから始まるであろう、完全に悪霊と化した化け物との地獄の鬼ごっこを想像して心がギリリと痛む。

 白井有栖程の幽霊が、自分の身体を動かすことに集中して骸井と戦った場合、現実的に考えて五分五分ぐらいの差である。

 さっきまではそうだった。

 しかし、今目の前にいる化け物はの魂を吸収した大悪霊だ。

 五人分までだったらせっかく互角だったのに、変なアプローチを掛けたせいでどう考えても勝てない戦いに追い込まれるなんて、とんだ阿保の自殺願望者でしかないなと骸井は心の中で笑った。

 窓ガラスを割って外へ行くか、今目の前にいる化け物をどうにかして、後ろにある扉を開く。

 もしくは、本当に自殺志願者として体を差し出すか。

「あああぁぁぁー!」

 悪霊は、しびれを切らしたのか雄叫びを上げて、身体をぐるりと渦のようにひねりながら骸井めがけて距離を詰める。

 骸井はポケットに残った一枚の紙を握る。

 すると、辺りが一面が真っ白に輝いた。

 その光は一瞬で部屋に広がり、悪霊と骸井は白に覆われた。

 やがて光は収縮して、元に戻っていく。

 教室に残っているのは相も変わらず悪霊と骸井であった。

「……気づいたか?」

 悪霊は一瞬、たじろいだが腹の底から止むことのない恨みの怨嗟が、再び彼女を動かし始める。


「あんなに光らせなくても、こんなに巨大な霊力ならあそこにいるってすぐに分かるわよ」


 所在の分からない声が教室に響き、悪霊は動きを止めた。

「まだ待機していて助かった」

「当たり前じゃない……というか、私が九ちゃんを置いて帰るような女に見える?」

「今姿が見えないが。……まぁ、こうやって会話している時点で、少なくとも違うとはっきり言えるか」

「そうでしょ、もう! ……ふふっ」

 綺麗で美しい声は、口を手で覆った含み笑いを洩らす。

「それで……もう終わらせてもいいわよね? 九ちゃん」

「あぁ……派手にやっちまえ」

 骸井は自身の耳に触れる。


 ――ゴオオォーーン……。


 教室全体に大鐘を叩いたような音が強く響き渡る。

「一回」

 その音を聞いた悪霊は、自身の異変に気が付いた。

 それは、あたりの物音が何も聞こえなくなっているという事に。


 ――ゴオオォーーン……。


「二回」


 無音の世界なはずなのに響く鐘の音は、悪霊の視界を奪い暗黒に染に染めてしまった。

 音の聴こえない暗闇の世界への誘い。


 ――ゴオオォーーン……。



「三回」


 そして、身体の自由を奪われた。


「また逢う日まで静かに眠りなさい」


 ――ゴオオォーーーーン……。


 ぐぉ――――――――。


 悪霊が四回目の鐘の音を聞く間際に放った力一杯叫びは、無慈悲にも分断され、儚く消えていった。

 悪霊がいた少し後ろあたりから、ぼんやりとした輪郭ができてゆき、徐々にはっきりとした姿が見えていく。

 その人は、男性と比べても高い部類入るぐらいの長身に、出るとこ出て引っ込むとこはくびれている、誰もが憧れるその体に纏った黒のスーツ。艶やかな髪を後ろで結び、ワインレッドが薄く透けた色付き丸サングラスを掛けたお姉さんの姿がそこにあった。

 悪霊が騙っていた名前の主が、まさか彼女みたいな女性だなんて思っていなかっただろう。

 、これが彼女の名前であり――似ても似つかぬ対極の二人。

 白井は骸井に向かって、耳を人差し指でさすジェスチャーをすると、骸井は特殊な素材でできた完全遮音耳栓を耳から取り外してポケットに入れた。

「言いたいことがいっぱいあるけど、その前に行かないとね」

「ああ」

 白井有栖と骸井九は、部屋中に物が溢れかえった凄惨な様相の教室を一瞥して、後始末が頭をよぎり溜息をつきながら、その場を後にするのだった。

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