幽刻時の鐘が鳴る 〈は〉
「良かったよ。僕がクラスの人間を覚え漏らしていた、なんてあるまじき失態を犯したのかと思ったが、君が幽霊だったとはね。そうじゃなかったら危なかった……僕の威厳が」
骸井は人差し指と中指を揃えて立て、それをペンに見立てて、宙に「捕」と描き、そのまま両手でバチンと一拍打つ。
すると、白井有栖の身体がそのまま後方の壁へと吹っ飛び、そして、体と壁がくっついたまま身動きが取れなくなった。
「人間五人分の力とプラスして、あれかな。もしかすると「天武開花」している可能性すらあるのか」
「ぐぅっ……む、骸井は人間じゃなかったの」
「人間だよ。ちゃんと怪我するし急所もある。ただ、元々が身体も持たぬ存在だってだけ。君は……どうなんだろうか」
「私は……違う。ただの卑屈な幽霊だよ」
視界に白井有栖を入れながら、窓際まで歩いてガラスをノックして確認する骸井。
「ここから出る方法は?」
「私が死ぬ」
「そうか」
そして、窓際から白井有栖がいる壁際まで歩いていき、目の前でピタッと立ち止まった。
自身の唇を指でさすりながら頭から足先までじろりと観察する骸井。
「……変態」
「どう言ってくれても構わない。構わないが……なるほど。後天性なのか」
初めて見た、と呟きながら文庫本を開き、そのまま再びえんじ色のソファーへと腰掛けた。
そして、骸井は文章に目を滑らせながら質問をする。
「幽体になってからの記憶はあるか」
「ないよ。気付いたらここにいた」
「そうか……幽霊ってのは、僕達とちょっと成り立ちが異なるんだな」
「……さっきから何の話をしてるの。早くこれ解いてよ」
「君は生前の記憶があるのか?」
「ないよ」
「では、何故五人も殺したんだ」
「何故って……多分恨んでたんだと思う」
「多分?」
「なんか、その人達を見た瞬間、身体が逆立つ感覚と吐き気と全能感でいっぱいになったの。で、気付いたら殺しちゃってたの」
「……じゃあ、僕を見た時にも同じ感じがしたってことか?」
「違う。なんか見た瞬間、この人から魂を貰えたら、私自身の自我というか魂が安定するって、そう思ったの」
「その直感は正しい。正解だ」
その言葉を聞いて頬が緩む白井有栖。「ただし」と続いて、
「僕の魂を取っても、それは人一人分の魂と変わらない」
再び表情が暗くなる白井有栖。
「方法は二つ。一つは、僕が君をこの世に強く縛る文字を刻むこと。このことによるデメリットは、君自身が実体化せざるを得なくなる。でも、存在としては幽霊だ。要は、中途半端な形でしか留められないから、それで悩むことになっても知らん」
骸井が文庫本を閉じて、バチンと強く一拍打つと、白井有栖は身体の自由を取り戻した。
「わっ」
「それと、もし君がそうすると決めた場合、その時は、僕の言うことを
「……」
白井有栖は黙って話の続きを待っている。
「後もう一つの方法は……」
そう言いながら、骸井は自分の右胸に手を当てて小さく何らかの呪文を唱え、そして、すぐにまたバチンと一拍手を打った。
「僕の魂の濃度を極限まで高めた。今君が僕を殺して魂を取り込めたら自由と安定と力、全てを同時に手にできる」
骸井は制服の袖をまくった。
「デメリットは、僕が君を祓ってしまう可能性があることだ」
白井有栖は一瞬だけ目を瞑って、深呼吸をする。
「さて、どっちにするか?」
白井有栖は拳を握り込んで一直線に骸井を見据える。
「――後悔しないでくださいね」
「かかってこい」
骸井は吊り上がる口端を隠しながら、人差し指と中指を立てて構える。
カチ……。
電気のスイッチがまたひとりでに作動した。再び辺りが真っ暗になる。
あるのは窓から仄かに入ってくる月の明かりだけ。
光のない世界で霊力は強まり、そして輝くのだ。と、ある専門家は言った。
骸井から見た白井有栖は、青白く薄ぼんやり透けていて、当たりの温度を冷やしているのか、さっきまで暖かった空気が霜になって霧状になり白く舞っている。
本棚がカタカタと細かく揺れたかと思ったら、一冊不自然に落ちた。
落ちた一冊の本は、誰かが持ち上げているかのようにスッと浮かび上がり、そして、回転を始めた。
その刹那――。
骸井目掛けて一寸の狂いもなく、的確に目を狙って飛んでくる。
正確に硬い角をめり込ませるという意図を感じるその攻撃は、骸井を驚かせた。
そして、その本は骸井の眼球数センチ前で止まった。
と、同時に骸井の手から小さな真っ白の紙がはらりと落ちる。
「遠隔で攻撃するのはいいアイデアだが、本は投げちゃダメじゃないか。それは、命よりも大事な物なんだから」
飛んできたその本の題名は『呪殺』だった。
白井有栖にとって、それは宣言であり、そして、凄惨で残酷無比な猛攻が始まる合図に過ぎなかった。
本棚にある全ての本が本棚からバラバラと落ち、電気ポットやフォークにハサミなどが宙に浮く。
それからお互い、どう動き始めるかの拮抗状態の末、最初に動き出したのは白井有栖の方だった。
まず、床に落ちた本を操って地を這うように動かし、足の踏み場と足の自由を奪おうとし始めた。
骸井は考えた。
地を這っているこの無数の本を踏んだら、そのまま足をすくわれるだろう。なので、骸井は前方へと思いっきりジャンプをして、そのままえんじ色のソファーに飛び乗った。
しかしそれが、それこそが白井有栖の狙いだという可能性を、ソファーに乗った瞬間に思いついたが、その時にはもう手遅れだった。
ソファーごと動かせるほどの力はないはずだと決めつけた、それこそが骸井の過ちだった。
骸井を乗せたソファーは、まるでスポンジでできているみたいに軽くひっくり返り始めた。
そして、そのまま宙に浮いてひっくり返るソファーと、ひっくり返りながら背中を地面に強打する骸井。
「がはっ――はっ!」
その衝撃で骸井は一秒間、息が出来なかった。
――と思ったその瞬間、浮いていたフォークとハサミを骸井の頭をめがけて一本ずつ殺意と恨みを込めて打ち込んでくる。
それを視認してから身体を回転して避けるのだが、それでは最後の電気ポットを避けるスペースがないことに、肩と壁がぶつかって初めて気が付いた。
咄嗟にポケットから先程と同じ小さな紙を取り出そうとしたが、それよりも先に速い速度で飛んできた電気ポットがみぞおちにめり込む。
「ぐああぁぁ! ……なんてね。僕は知っているんだ、古来より不良とかいう人種は腹にガード性能の高い雑誌を仕込んでいるということを」
その場でサッと膝を抱えて後転倒立をして、その反動を利用してすぐに体制を整えるが、元居た場所に白井有栖は居なかった。
骸井の頭には様々なホラー映画のジャンプスケアが思い浮かぶ。
今後ろに立っているのか、ひっくり返っているソファーの下か、それとも完全な透過が出来る程の力を付けてしまったのか。
コンマ数秒の思考が、とっさの判断を遅らせた。
ひゅん――。
骸井が床を見ると、視界の外、上から落ちてきたのは眼鏡であった。太ぶちで黒い眼鏡。
骸井の身体に冷たい緊張が駆け巡った。
そして。
上から真っ逆さまの状態で降ってきた白井有栖が、骸井の鼻と目の先で止まった。
その瞳は、ひどく冷たく――綺麗だった。
骸井は不意を突かれた。
それを自覚して行動するには、余りにも猶予がなく、距離も思考も何もかもが間に合わないと、それを判断する時間すら残されていなかった。
白くて白くて……真っ白白な白い手が、中心にある魂目掛けて伸びていくのに対して、それを目線で追うのが今の骸井にできる精一杯で――。
白井有栖は骸井の中にあった魂を握ってその場を離れ、骸井は微動だにせず、そのままゆっくりと倒れるのだった。
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